教会歴史
教義と聖約の歴史的リソース:ブリガム・ヤング


「教義と聖約の歴史的リソース:ブリガム・ヤング」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

「ブリガム・ヤング」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

ブリガム・ヤング

(1801-1877年)

ブリガム・ヤングの銀板写真

ブリガム・ヤング,1850-1860年頃,銀板写真,教会歴史図書館,PH 100。

ブリガム・ヤングは1801年にバーモント州ホワイティンガムで生まれました。1824年にミリアム・アンジェリン・ワークスと結婚しました。1832年4月に,バプテスマを受け,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になりました。1832年9月にミリアムが亡くなった後,ニューヨークとアッパー・カナダで伝道しました。1833年にオハイオ州カートランドに移り,そこで1834年3月にメアリー・アン・エンジェルと結婚しました。その年の後半に,イスラエルの陣営の遠征に参加しました。1835年に,ヤングは十二使徒定員会の会員に聖任されました。1835年から1837年まで,ニューヨークとニューイングランドで伝道しました。ヤングは1838年にミズーリ州ファーウェストに移住し,後にミズーリ州からイリノイ州への末日聖徒の避難を指揮する助けをしました。1839年から1841年にかけてイギリスで伝道しました。その後,イリノイ州ノーブーに移り住み,そこで五十人評議会に加わりました。ヤングは1840年に十二使徒定員会会長に任命され,1841年1月の啓示でそのように確認されました(教義と聖約124:127)。1844年8月8日,ジョセフ・スミスの死後,十二使徒は教会の諸事を管理するために支持されました。1845年4月,ヤングはノーブーでの大会で「教会全体の大管長」として認められました。1846年から1848年にかけて,ユタ準州のソルトレーク盆地への末日聖徒の移住を導き,大管長会を再組織しました。ユタでは教会の大管長を務めたほか,州知事やユタ準州のインディアン問題対策委員会の責任者など,様々な市民としての役職を務めました。

教義と聖約の中の参照聖句

教義と聖約124章126章136章138章