教義と聖約の歴史的リソース:ウィリアム・マークス『教義と聖約の歴史的リソース』(2025)
ウィリアム・マークス『教義と聖約の歴史的リソース』(2025)
ウィリアム・マークス
(1792-1872年)
ウィリアム・マークスは,1792年にバーモント州ラトランドで生まれ,1813年にロザンナ・R・ロビンソンと結婚しました。1835年4月までに,ニューヨーク州ポーテージでバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会に加わりました。1837年9月までにオハイオ州カートランドに移り住み,そこでカートランド高等評議会において奉仕し,カートランドステークの会長を務めました。1838年7月,啓示によりマークスは,ミズーリ州ファーウェストの教会を管理するよう任命されました(教義と聖約117:10)が,間もなく末日聖徒は同州から追放されました。イリノイ州クインシーでの短い滞在の後,マークスはイリノイ州ノーブーに移り,そこでステーク会長と五十人評議会の一員を務めました。1841年,ノーブーハウスの建設のために株を購入するよう啓示により指示されました(教義と聖約124:80)。ジョセフ・スミスの殉教の後,マークスはノーブーを去り,ジェームズ・J・ストラングの末日聖徒イエス・キリスト教会の顧問になりました。1852年と1855年に,預言者ジョセフ・スミスを継承すると主張するほかの教会と交わりをもちました。1859年6月,イリノイ州アンボイで,復元末日聖徒イエス・キリスト教会のバプテスマを受けて同教会に加わりました。
教義と聖約の中の参照聖句