「教義と聖約の歴史的リソース:エドワード・パートリッジ」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)
「エドワード・パートリッジ」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)
エドワード・パートリッジ
(1793-1840年)
エドワード・パートリッジはマサチューセッツ州ピッツフィールドで生まれました。1819年,リディア・クリスビーと結婚しました。パートリッジは1830年12月にジョセフ・スミスからバプテスマを受け,その4日後にシドニー・リグドンによって長老に聖任されました。1831年2月,オハイオ州カートランドで,パートリッジは末日聖徒イエス・キリスト教会の最初のビショップに任命され,聖徒たちの間で奉献の律法を施行する責任を与えられました(教義と聖約41章;42:30–36;51章)。彼は死ぬまでビショップとして奉仕し続けました。
1831年の夏,パートリッジはジョセフ・スミスとともにミズーリ州ジャクソン郡に赴き,そこで土地を購入して管理することで,移住してきた聖徒たちの入植を監督するのを助けました。1832年4月,共同商会の会員に任命されました。1833年7月,ミズーリの聖徒たちに対して暴徒による暴力が起きたとき,タールを塗られ,羽根を付けられました。家族とともにミズーリ州ジャクソン郡からクレイ郡に逃れ,後にミズーリ州コールドウェル郡となった場所に移りました。1835年には宣教師としてミズーリ州,イリノイ州,インディアナ州,オハイオ州に赴き,その後ニューヨーク州とニューイングランド州へと赴任しました。1838年の秋,ミズーリ州リッチモンドの監獄に投獄されました。1839年,残りの聖徒たちとともにミズーリ州から追放され,イリノイ州コマース(後にノーブーと改名)に移り住みました。
教義と聖約の中の参照聖句
教義と聖約35章,36章,41章,42章,50章,51章,52章,57章,58章,60章,64章,82章,115章,124章