「教義と聖約の歴史的リソース:ジョージ・A・スミス」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)
「ジョージ・A・スミス」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)
ジョージ・A・スミス
(1817-1875年)
ジョセフ・スミス・ジュニアのいとこであり,ジョージ・アルバート・スミス大管長の祖父であるジョージ・A・スミスは,1817年にニューヨーク州ポツダムで生まれました。1832年9月,ポツダムでバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になりました。翌年,オハイオ州カートランドに移り住み,カートランド神殿の建設のために尽力しました。1834年には,イスラエルの陣営の遠征隊の一員としてオハイオ州からミズーリ州まで行軍しました。1835年,七十人に聖任され,合衆国東部への伝道に向かうライマン・スミスに同行しました。1838年にミズーリ州ファーウェストに移住し,その後間もなくミズーリ州アダム・オンダイ・アーマンに移り住み,そこで高等評議員を務めました。1839年,スミスは十二使徒定員会の会員に聖任され,その後1841年までイギリスで伝道しました。その年,イリノイ州ノーブーの末日聖徒に加わり,バスシバ・W・ビグラーと結婚しました。五十人評議会の一員でもありました。ノーブーハウス協会の一員としても奉仕しました。1847年1月,啓示により,ユタ準州への末日聖徒の移住を監督するのを助けるように任命されました(教義と聖約136:14)。ユタでは教会歴史家兼記録者に任命され,1868年には大管長会でブリガム・ヤングの第一顧問になりました。
教義と聖約の中の参照聖句