教会歴史
教義と聖約の歴史的リソース:ジョン・テーラー


「教義と聖約の歴史的リソース:ジョン・テーラー」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

「ジョン・テーラー」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

ジョン・テーラー

(1808-87年)

ジョン・テーラーの写真

ジョン・テーラー,1870年頃,写真/チャールズ・R・サベージ,教会歴史図書館,PH 7189。

ジョン・テーラーは1808年にイギリスのミルンソープで生まれました。1832年頃,テーラーはアッパー・カナダのヨーク・タウンシップに移住し,そこで1833年にレオノーラ・キャノンと結婚しました。1836年5月,テーラーはバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になり,長老に聖任されました。その後間もなく,アッパーカナダの教会の支部を管理するように召されました。1838年7月,十二使徒定員会の空席を埋めるよう,啓示によって召されました(教義と聖約118:6)。1839年から1841年にはイギリスで伝道しました。その後,イリノイ州ノーブーに移り住み,教会の新聞Times and Seasons(『タイムズ・アンド・シーズンズ』)の編集に携わり,五十人評議会の一員となりました。1844年6月にジョセフ・スミスとハイラム・スミスがカーセージの監獄で殉教したとき,その場にいました(教義と聖約135:2)。テーラーは再びイギリスで伝道した後,1847年にユタ準州のソルトレーク盆地に移住しました。1849年から1852年まで,フランスとドイツで伝道しました。1854年,合衆国東部の支部を管理するよう任命されました。1857年にユタ準州に戻ったテーラーは,使徒として奉仕するほかに幾つかの公職を歴任しました。1877年にブリガム・ヤングが亡くなった後,テーラーは1887年にユタ準州ケイズビルで亡くなるまで教会の第3代大管長を務めました。

教義と聖約の中の参照聖句

教義と聖約118章124章135章138章