教会歴史
教義と聖約の歴史的リソース:チャールズ・C・リッチ


「教義と聖約の歴史的リソース:チャールズ・C・リッチ」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

「チャールズ・C・リッチ」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

チャールズ・C・リッチ

(1809-1883年)

チャールズ・C・リッチの写真

チャールズ・C・リッチ,1870年頃,チャールズ・R・サベージによる写真,教会歴史図書館,PH 7189

チャールズ・C・リッチはケンタッキー州キャンベル郡で生まれました。1832年4月にバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となり,翌月には長老に聖任されました。1834年には,イスラエルの陣営のミズーリ州への遠征に参加しました。その後数年のうちに,イリノイ州で伝道し,大祭司に聖任され,ミズーリ州の大祭司定員会の会長になりました。1838年にサラ・デアーモン・ピーと結婚しました。1839年,イリノイ州コマース(後にノーブーと改名)に移り住み,そこでノーブーステーク高等評議会の一員に任命されました。その後,ノーブーステーク会長会での召しや,幾つかの市民としての役職を務めました。1842年から1844年にかけて,イリノイ州とミシガン州で伝道し,五十人評議会の一員として認められました。翌年,ノーブーの町の評議員に選出されました。1846年,リッチはアイオワ準州のマウントピスガで管理長老として奉仕しました。1847年にユタ準州のソルトレーク盆地に移住し,1849年にブリガム・ヤングによって十二使徒定員会の会員に聖任されました。その後,何度か伝道に出て,ユタ準州ローガンの神殿建設委員会で奉仕しました。

教義と聖約の中の参照聖句

教義と聖約124章