教会歴史
教義と聖約の歴史的リソース:ウィラード・リチャーズ


教義と聖約の歴史的リソース:ウィラード・リチャーズ『教義と聖約の歴史的リソース』(2025)

ウィラード・リチャーズ『教義と聖約の歴史的リソース』(2025)

ウィラード・リチャーズ

(1804-1854年)

ウィラード・リチャーズの写真

ウィラード・リチャーズ,約1845年,写真/ルシアン・R・フォスター,教会歴史図書館,PH 4819。

ウィラード・リチャーズは1804年にマサチューセッツ州ホプキントンで生まれ,1836年12月,オハイオ州カートランドでバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会に加わりました。1837年から1841年にかけてイングランドで伝道し,その間にジェネッタ・リチャーズと結婚し,十二使徒定員会の一員に聖任されました(教義と聖約118:6)。1841年12月,リチャーズはイリノイ州ノーブーに移り,そこでノーブー神殿レコーダー,ジョセフ・スミスの筆記者ならびに個人秘書,教会歴史家などの責任を果たしました。リチャーズは,ジョセフ・スミスとハイラム・スミスが1844年6月にカーセージの監獄で殉教したとき,その場に居合わせていました(教義と聖約125:2)。1846ー1847年にほかの聖徒たちとともにユタ準州のソルトレーク盆地に移り住み,後にネブラスカとなるウィンタークオーターズに戻りました。1847年,大管長会でブリガム・ヤングの第二顧問に任命されました。1848年,ソルトレーク盆地に戻る末日聖徒の一団を導き,最後はそこで1854年に亡くなりました。

教義と聖約の中の参照聖句

教義と聖約118章124章, 135章