教会歴史
教義と聖約の歴史的リソース:ダニエル・スタントン


「教義と聖約の歴史的リソース:ダニエル・スタントン」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

「ダニエル・スタントン」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

ダニエル・スタントン

(1795-1872年)

ダニエル・スタントンはニューヨーク州マンリウスで生まれました。1816年にクラリンダ・グレーブスと結婚しました。1830年の終わりごろ,オハイオ州カートランドでパーリー・P・プラットからバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になりました。翌年,ライマン・ワイトによって祭司に,ジョセフ・スミスによって長老に,そしてオリバー・カウドリによって大祭司に聖任されました。1832年,セイモア・ブランソンとともに伝道するよう,啓示により任命されました(教義と聖約75:33)。スタントンは同年,ミズーリ州ジャクソン郡に移り住みました。1833年,ミズーリ州インディペンデンスにある教会の支部を見守るよう任命されました。1838年にはミズーリ州デイビーズ郡に移住しており,そこでアダム・オンダイ・アーマンの高等評議会の一員に任命されていました。1839年,ほかの聖徒たちとともにミズーリ州から追放され,イリノイ州に移り住みました。スタントンは,1843年にイリノイ州リマの高等評議員に任命されました。翌年,ブリガム・ヤングは彼とほかの人々を,ノーブーを去り,他の場所で教会の支部を管理するように任命しました。1852年にはユタ準州に移住しており,1861年にはユタ準州セントジョージの入植者の定住を助けました。

教義と聖約の中の参照聖句

教義と聖約75章