教会歴史
教義と聖約の歴史的リソース:ジョン・E・ページ


「教義と聖約の歴史的リソース:ジョン・E・ページ」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

「ジョン・E・ページ」『教義と聖約の歴史的リソース』(2025年)

ジョン・E・ページ

(1799-1867年)

ジョン・E・ページは1799年,ニューヨーク州トレントンで生まれました。1831年にベッツィ・トンプソンンと結婚しました。1833年8月,ページはオハイオ州ブラウンヘルムでバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となり,1か月後には長老に聖任されました。同年,ラヴォナ・スティーブンスと再婚しました。1835年,ページはオハイオ州カートランドに移りました。1836年から1837年の間,アッパーカナダで福音を宣べ伝え,1838年には改宗者の一団を率いてアッパーカナダからミズーリに向かいました。1838年7月,十二使徒定員会の空席を埋めるように,啓示により指名されました(教義と聖約118:6)。1839年にメアリー・ジャッドと再婚しました。1840年から1844年にかけて,ページは合衆国東部で伝道し,ピッツバーグで教会を管理し,ワシントンD.C.で伝道しました。1845年には五十人評議会の一員になりました。1846年2月,ページは十二使徒定員会から解任され,6月に破門されました。1840年代後半,預言者ジョセフ・スミスからの継承を主張する他の教会に一時的に加入しました。1862年,ページはキリスト教会(ヘンドリックス派)に加わりました。

教義と聖約の中の参照聖句

教義と聖約118章124章