第10章
教義と聖約23-25章
紹介とタイムライン
1830年4月6日の教会設立から数日後,5人の人が回復された教会に関するそれぞれの務めを知ろうと預言者ジョセフ・スミスに申し出た。5人それぞれに個人的な答えが一連の5つの啓示として与えられ,これらは後に教義と聖約23章にまとめられた。
1830年の6月と7月,預言者ジョセフ・スミスとそのほかの教会員に対する迫害がニューヨーク州コールズビル地域で起こった。この困難な時期に,主は教義と聖約24章に記録されている啓示を預言者とオリバー・カウドリに与えることで彼らを強められた。この中で,彼らは苦難にあっても忍耐強くあり,福音を教え,宣言し続けるように指示を受けた。
預言者の妻エマ・スミスは,1830年6月28日にバプテスマを受けた。そのときの迫害により,エマの確認はほぼ2か月後の8月まで延期せざるを得なかった。1830年7月,主はエマに教義と聖約25章にある啓示をお与えになった。この啓示の中で,主はエマが選ばれた婦人であることをお伝えになり,彼女の家族と教会での責任について指示をお与えになった。
教義と聖約23章:追加の歴史的背景
1830年4月,教会が組織されてから間もなく,オリバー・カウドリ,ハイラム・スミス,サミュエル・H・スミス,ジョセフ・スミス・シニア,およびジョセフ・ナイト・シニアが,預言者ジョセフ・スミスを通じて主から個人的な啓示を受けました。1833年にこれらの神の指示が初めて“the Book of Commandments”(『戒めの書』)として出版されたとき,5つの個別の啓示として掲載されましたが,1835年に教義と聖約が出版されてからは,一つの章にまとめられています。
教義と聖約23章
主は,5人の男性の望みに応じて御心を明らかにされる
教義と聖約23:1-2。「あなたは誘惑に陥ることのないように,高慢に気をつけなさい」
オリバー・カウドリはモルモン書の翻訳と出版に尽力した人で,教義と聖約23章に記録されている啓示が与えられたときに教会の第二の長老として聖任されたばかりでした(教義と聖約20:3参照)。しかし,オリバーの長所と短所を知っておられた主は,高慢に気をつけるようオリバーに勧告されました。この勧告について,大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長(1920-2007年)は,次のように述べました。「オリバーは豊かな知性に恵まれ,驚くべき霊的な祝福にあずかりました。ところが,しばらくして主の警告を忘れ,慢心しました。ブリガム・ヤングは後に彼の高慢に触れ,次のように語りました。『わたしは,この王国に属し自分がいなければこの王国に発展はないと心の底から思っている人々を,見たことがある。今わたしは特にある人を思い出しているが,……その人は非常な自立心と豊かな才能に恵まれていた。その人は,預言者ジョセフにさえ何度も,自分がこの王国を去れば,これ以上の進歩はないだろうと,言わんばかりであった。その人とはオリバー・カウドリである。彼は王国を離れたが,王国は発展し,今なお反対勢力に打ち勝ち,王国に忠実な人々を守り支えてきた。』〔in Journal of Discourses, 11:252〕」(「預言の声」『聖徒の道』1996年7月号,6)
1837年,オハイオ州カートランドの聖徒の中で困難が起こったとき,オリバー・カウドリは預言者ジョセフ・スミスやほかの教会指導者たちと一致できなくなり,ミズーリ州に引っ越しました。1838年,ミズーリ州の教会指導者たちは,オリバー・カウドリを「厄介な訴訟により教会指導者を迫害したこと,ジョセフ・スミスの人格を傷つけたこと,実務的な事柄について指導者に従わなかったこと,〔主の勧告に反して〕ジャクソン郡の土地を売却したこと,大管長補佐の召しを離れて法律業に身を転じたことで〔訴えた〕。オリバーは高等評議会への出席を拒み,手紙で返答している。彼は教会が私事にまで命令を下す権利はないと主張,教会とのつながりを絶つことを要求してきた。」(『時満ちる時代の教会歴史生徒用手引き』〔教会教育システム手引き〕186)オリバーは1838年4月12日に破門されました。彼は10年間教会との関係を持たずにいましたが,1848年11月12日,アイオワ州ケーンズビルで再度バプテスマを受けました。オリバーは,ソルトレーク盆地の聖徒たちに加わる手はずを整える前にミズーリ州リッチモンドで大病を患い,1850年3月3日にそこで死去しました。
教義と聖約23:3。「あなたの務めはとこしえに教会に対するものである。これはあなたの家族のゆえである」
ハイラム・スミスは,預言者ジョセフ・スミスの兄として,回復の初期にあった多くの出来事の目撃者となりました。ハイラムは印刷業者と直接取り引きすることにより,モルモン書の出版を助けました。また,ニューヨーク州コールズビルにおける最初の支部の支部会長として奉仕しました。ハイラムは生涯を通じて弟の忠実な支援者であり,ジョセフが神の預言者であることについて強い証を持っていました。
1829年5月,主はハイラムに聖書を研究し,翻訳が完成したときにはモルモン書も研究するように言われ,教会が組織されてハイラムが主の言葉を得るまでは福音を宣言しないように言われました(教義と聖約11:21-22参照)。1830年4月,モルモン書が出版され,教会が組織された後で教義と聖約23章の啓示が与えられたとき,ハイラムは,説き勧め(つまり促して励ます),「絶えず教会員を強める」ことが彼の召しであると言われました(教義と聖約23:3)。ハイラム・スミスの玄孫である十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は,ハイラムがどのように教会を強め,預言者である弟を支持したかを説明しました。
「ハイラムの生涯を通じて,悪魔は力を結集して働きかけ,彼を打ち負かすか,正しい道から外れさせようとしました。
1823年に彼の兄アルビンが亡くなると,ハイラムはスミス家で重要な責任を担うようになりました。同時に,回復の長く困難な過程を通じて,弟の預言者ジョセフを援助し,仕えました。そして最後には,ジョセフ・スミスとともに,過去の福音の神権時代の殉教者の一人に加えられました。,世に対する最後の証として,自らの血を流したのです。
ハイラムは常に「強固」でした。人生のたどるべき道を知り,自ら選んでそれに従いました。ジョセフにとって,ハイラムは同僚であり,守り手であり,助け手であり,親友であり,ゆくゆくはともに殉教者となりました。不当な迫害に生涯さらされていました。自分の方が年上でしたが,弟に与えられた神聖な権威を認めていました。ジョセフに強く助言することもありましたが,ハイラムはいつも弟に従いました。
兄と話していたジョセフがこう述べています。『ハイラム兄弟,あなたは何と忠実な心を持っていることでしょう!わたしの魂を気遣ってくれた報いとして,永遠のエホバが永遠の祝福をあなたの頭に授けてくださいますように!ああ,わたしたちはどれほどの悲しみを共にしてきたことでしょう。』〔in History of the Church, 5:107–8〕……
ハイラムは,たゆむことなく教会に奉仕しました。」(「ハイラム・スミス—『天の柱のように強固』な人」「聖徒の道」1996年1月号,5-6参照)
教義と聖約23:4。「あなたはまだ世の人々の前に教えを説くようには召されていない」
預言者の弟サミュエル・スミスは,1829年5月のアロン神権の回復後にバプテスマを受けた3番目の人でした。彼の兄弟のジョセフとハイラムほどよく知られてはいませんが,サミュエルは金版を見た八人の証人の一人でした。教義と聖約23章に記録されている啓示の当時,主はサミュエルに対して福音を宣べ伝えるようには命じられませんでしたが,1830年6月9日に長老として聖任された後,サミュエルは教会の最初の宣教師として召され,モルモン書を販売し,福音を宣べ伝えるために,パルマイラ周辺に隣接する町々を訪ね始めました。サミュエルはこのような旅の一つで,やがてブリガム・ヤング,ヒーバー・C・キンボール,および彼らの家族の多くの改宗につながる1冊のモルモン書を販売しました。
教義と聖約23:5。「あなたの召しもまた,説き勧め,教会員を強めることである」
教義と聖約23章は,2番目に記録されたジョセフ・スミス・シニアに対する啓示です。預言者の父は,息子に対して必要不可欠なサポートと励ましを提供しました。ジョセフ・スミス・シニアは,教会が組織されたその日に会員になりました。彼は,息子のドン・カルロスとともに,1830年8月からニューヨーク州北部で福音のメッセージを親戚に伝え始め,その伝道を全うしました。教会の祝福師としての後の召しでは,初期の教会員の多くを祝福し,彼らを説き勧めて勧告する機会を得ました。
教義と聖約23:6-7。「まことの教会に加わ〔る〕……のが,あなたの務めである」
教義と聖約23章に記録されている啓示が与えられたとき,ジョセフ・ナイト・シニアはまだ教会員としてバプテスマを受けていませんでした。彼は預言者ジョセフ・スミスの親しい友人で,ジョセフに対して非常に親切でした。預言者がモルモン書の翻訳を行っていたとき,ジョセフ・ナイト・シニアは預言者に物資を提供しました。教会が組織された日,彼はほかの人々とともにバプテスマを受けたいと感じましたが,モルモン書をさらに研究したかったためにバプテスマを受けませんでした。彼は,この啓示にある5人の中でただ一人,はっきりと「何ら罪の宣告を受けていない」と言われなかった人でした(教義と聖約23:1,3,4,5)。ジョセフ・ナイト・シニアは,この啓示が与えられてから間もなくバプテスマを受けました。預言者は後に彼について「忠実で真実で,公正で模範的で,徳高く優しく,決して右にも左にもそれて行くことがありませんでした」と述べています(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』462)。
教義と聖約24章:追加の歴史的背景
1830年6月下旬,ジョセフ・スミス,エマ・スミス,オリバー・カウドリ,デビッド・ホイットマー,およびジョン・ホイットマーは,ニューヨーク州コールズビルの教会員とほかの信者を訪ねるためにペンシルベニア州ハーモニーから旅立ちました。6月26日の土曜日,翌日(日曜日)バプテスマを行うために川をせき止めましたが,敵意を持つ暴徒が夜中に障壁を破壊しました。月曜の早朝,障壁は再建され,エマ・スミスを含めた13人がバプテスマを受けました。ところが,バプテスマがすべて終わるころには50人近くの暴徒が集まって,聖徒をあざけり,危害を加えると脅しました。早朝にバプテスマを受けた人々を確認するために,その晩,聖徒たちが集まりましたが,確認を行う前に,ジョセフは「モルモン書について教えを説いたことにより,治安を乱し,国内で騒動を起こした」という罪で逮捕されました(in The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 1: Joseph Smith Histories, 1832–1844, ed. Karen Lynn Davidson and others [2012], 396)。
裁判に向かう途中,ジョセフは彼を連行していた同情的な巡査の助けによって暴徒の手から逃れました。裁判を受け,無罪放免された後,ジョセフはすぐに別の郡からの巡査によって再逮捕されました。その夜,ジョセフは「大勢の人」に嘲笑されて虐待を受け,翌朝裁判にかけられました(in The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 1: Joseph Smith Histories, 1832–1844, 402)。ジョセフは再び無罪となり,家に戻る道中で別の暴徒から逃れました。
ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは再度,バプテスマを受けたばかりのコールズビルの会員と合流しようと試みましたが,彼らが到着したとたんに暴徒が集まりました。ジョセフとオリバーは逃げざるを得ず,彼らを夜通し追い回した暴徒からかろうじて逃れました(see The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 1: Joseph Smith Histories, 1832–1844, 414)。7月のある時期,ハーモニーに戻った後で,ジョセフとオリバーは教義と聖約24章に記録されている啓示を受けました。
教義と聖約24章
ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリはそれぞれの召しについて導きを受ける
教義と聖約24:3。「あなたの務めを尊んで大いなるものとしなさい」
1829年3月,モルモン書の版の翻訳作業が終わったときに,預言者ジョセフ・スミスは,彼が「聖任され,出て行って人の子らに〔主の〕言葉を告げる」ことを学びました(教義と聖約5:6)。1年後に教会が組織されたとき,ジョセフは最初の長老として聖任されました。教義と聖約24章に与えられている神の指示は,ジョセフが,彼の時間と注意力をもはや現世の事柄ではなく,主の預言者としての職にささげなければならなくなったことを思い出すために役立ちました。主は,教会員がジョセフ・スミスを物質的に支援し,そのために彼らは祝福されると説明されました(教義と聖約41:7;43:12-14も参照)。ジョセフと初期の教会員が経験していた迫害の中で,教会を築くための取り組みを最小限に抑えてさらなる迫害を避けることが多くの人の自然な願望だったのかもしれません。しかし,主は預言者に務めを尊んで大いなるものとする,つまり彼の召しに対する時間と献身を拡大するように勧告されました。神権者に話していたゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,次のように述べました。
「『全力を尽くして遂行する』とは含蓄のある言葉です。わたしが思うに,この言葉(magnify)には拡大する,明確にする,強化するなどの意味があります。……
皆さんはもちろん,双眼鏡についてよく御存じでしょう。レンズの部分を目に当てて,焦点を合わせると,視界に入る物がすべて拡大されて,近くに見えます。しかし,双眼鏡を逆に持って反対側からのぞくと,見える物がすべて小さく,遠くに見えます。
神権者としての行いにも同じことが言えます。高貴で神聖な召しに従って生活し,同胞への奉仕を通して神への愛を示し,自分の力と才能を使って信仰を育み,真理を広めるなら,わたしたちは神権を拡大しているといえます。つまり尊んでいることになります。反対に,わがままな生活を送り,罪におぼれ,神のことよりもこの世のことだけを目的とするならば,神権を縮小しています。つまり軽んじているのです。」(「全力を尽くして召しを遂行するために」『聖徒の道』1989年7月号,50-51参照)
教義と聖約24:4。「もしも彼らがあなたを受け入れなければ」
聖徒たちは,預言者ジョセフ・スミスを霊的に受け入れて支持し,物質的に支援することになっていました。今日の預言者を受け入れて,預言者の言葉に従って行動する人は祝福を受け,そうしない人はそれによって生じる結果を経験します。中央若い女性会長会第一顧問のキャロル・F・マッコンキー姉妹は,次のように話しました。
「天の神聖な目的に沿うために,わたしたちは預言者を支持し,預言者の言葉に従って生活することを選びます。……
義の飢饉と霊の飢餓にさらされる世にあって,わたしたちは預言者を支持する(sustain)ように命じられています。預言者の言葉に耳を傾け,それを守り,支持するとき,わたしたちは主の御心と英知に,そして主の時に,へりくだって自らを委ねる信仰があることを証明するのです。
それが不合理で,不都合で,居心地悪く感じられても,わたしたちは預言者の言葉に聞き従います。世の標準から見れば,預言者に従うのは不人気だったり,不適切だったり,あるいは社会的に受け入れられないことだったりするかもしれません。しかし,預言者に従うことは常に正しいのです。……
主は預言者の言葉に聞き従う人たちをたたえ,目をかけてくださいます。」(「預言者の言葉に従って生活する」『リアホナ』2014年11月号,77-78)
教義と聖約24:8。「あなたとともにいる」
教義と聖約24章に記録されている啓示が与えられたとき,預言者ジョセフ・スミスは24才でした。ジョセフは人生のその時点までに,つらい足の手術,愛する兄の死,最初の示現と金版ゆえの地域の人々によるあざけりと迫害,最初の子供の死,モルモン書の原稿116ページの紛失,そして最近ではニューヨーク州コールズビルでの暴徒による迫害,および無実の罪に基づく逮捕と裁判など,数々の苦難と試練に耐えてきました。主が「わたしはあなたを苦難の中から引き上げ,またあなたに勧告したので,あなたはすべての敵……〔と〕サタンの力と暗闇からも救い出された」と言われたとき,ジョセフは慰めを感じたに違いありません(教義と聖約24:1)。しかし預言者は,「苦難の中で忍耐強くありなさい。あなたは多くの苦難を受けるからである」ということも学びました(教義と聖約24:8)。それでもなお,主は「あなたの生涯の最後まで,あなたとともにいる」という約束でジョセフを安心させました(教義と聖約24:8)。
教義と聖約24:9。「俗世の働きについては,あなたは力を持たないであろう」
教会員と教会指導者が,富を蓄えるために増し加えられた能力を授かることはありません。すべての人が,現世における困難とリスクを経験します。とは言っても,ビジネス,財務,およびそのほかの事柄に対する才能に恵まれる人もいるかもしれません。これらは,ジョセフ・スミスの賜物ではありませんでした。十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は,次のように説明しました。「〔ジョセフ・スミス〕は経済的にはほぼ慢性的に困窮に瀕していました。神聖な召しの重責を果たす努力のさなかにあっても,家族を養うために,時には農夫として,また時には商人として働かなければなりませんでした。この働きは,預言者の召しを果たすときに彼を支えてくれたすばらしい霊の賜物の助けなしで成し遂げなければなりませんでした。それは,主が『世俗の働きについては,あなたは力を持たないであろう。これはあなたの召しではないからである』と教えられたとおりでした(教義と聖約24:9)。」(「ジョセフ—人として預言者として」『聖徒の道』1996年7月号,81)
教義と聖約24:13-14。「奇跡を求めてはならない」
主の僕は悪霊を追い出し,病人に祝福を施すことができますが,奇跡は主の御心に従って,および信仰が働かされるときに起こります。奇跡は人を真理に改宗させるために与えられるものではなく,主への信仰を示す人を強めるために与えられます(マルコ16:16-18, 20;モルモン9:23-25;教義と聖約84:64-73も参照)。
教義と聖約24:15。「足のちりを払い落と〔す〕」
主は預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに,彼らを受け入れなかった人に対する証として「足のちりを払い落と〔す〕」ことをお許しになりました(教義と聖約24:15)。これに関し,十二使徒定員会のジェームズ・E・タルメージ長老(1862-1933年)は次のように教えました。「他人に反対する証として足からちりを払う行為は,兄弟同士の関係を断絶し,続いて起こるかもしれない結果に対して一切責任を負わないという象徴であると,ユダヤ人はこう解釈していた。この行為は,本文に引用したように主が使徒たちに指示されたことによって,非難の証をする儀式となった〔マタイ10:12-14;マルコ6:10-11;ルカ9:4-5〕。……この神権時代にも,主は,御自身が承認された僕たちに向かって,権能を授けられた者が真理を説き教えるとき,これに対して悪意をもって故意に反対するものがいれば,その証をせよと同じように命じられた(教義と聖約24:15;60:15;75:20;84:92;99:4参照)。この非難の象徴を用いて,主の前に証を立てる責任は重大であるから,このような手段は主の御霊の指示に従って,並外れた極端な場合にだけ用いることが許される。」(『キリスト・イエス』第3版,338)今日の専任宣教師には,これを行う権限はありません。
教義と聖約24:18。「財布も,袋も,……持って行ってはならない」
預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは,「財布も,袋も,……持って行ってはならない」とも命じられました(教義と聖約24:18)。これは,二人が金銭を持たずに旅し,食事と住まいの提供に関して他人,特に教会員の親切なもてなしに頼った(教義と聖約24:3参照)ことを意味します。主は,教会を導くという要請には預言者の時間と精力のすべてが必要になると御存じであったため,預言者が彼の時間と注意を主の業に向けることができるように,教会が預言者とその家族のために必要な物質的サポートを提供するよう指示されました。後の啓示で,主は,預言者が行うように召された業を達成できるよう,教会が預言者のために物質的支援を提供するべきだと繰り返されました(教義と聖約41:7;43:13参照)。教会には給料を受け取る牧師はいませんが,今日の教会は,専任で教会での奉仕を行うために召された教会指導者たちが,すべての力,時間,および注意を主の業に向けることができるように,指導者たちにささやかな生活手当を提供することによって同じ原則に従っています。
教義と聖約25章:追加の歴史的背景
エマ・スミスは,1830年6月28日にニューヨーク州コールズビルでバプテスマを受けた聖徒たちの一人でした。暴徒たちの行為と預言者ジョセフ・スミスが無実の罪で逮捕された結果,新たにバプテスマを受けた人々は,その夜教会員として確認されませんでした。6月のエマのバプテスマと,8月にやっと行われた確認の儀式の間に,主は教義と聖約25章に記録されている啓示を,彼女の夫ジョセフを通じてエマにお与えになりました。これは,1830年7月までにジョセフ・スミスが個人に対して受けたすべての啓示の中で,初めて女性に与えられたものでした。この啓示は,回復においてエマが果たす重要な役割を示すものです。エマは,1842年3月イリノイ州ノーブーで,最初の扶助協会会長として選ばれました(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, ed. Michael Hubbard MacKay and others [2013], 162)。
教義と聖約25章
主はエマ・スミスに個人的な勧告と指示をお与えになる
教義と聖約25:1。「わたしの王国において息子であり娘……である」
地球に来るすべての人は,天の御父の霊の子供です。モルモン書および教義と聖約はどちらも,回復された福音とそれに伴う聖約と儀式を受け,まことに生まれ変わる人は,主イエス・キリストの家族に数えられると教えています。イエス・キリストは,霊的な新たな誕生の父,そして救いの父となられます。それが,ベニヤミン王が言わんとしたことです。王は,心の大きな変化を経験し,神の戒めを守る聖約に入ることを望んだ人々に話していたとき,「あなたがたが交わした聖約のために,あなたがたはキリストの子と呼ばれ,キリストの息子および娘と呼ばれる。見よ,それは,今日キリストが霊的にあなたがたを子としてもうけられたからである」と宣言しました(モーサヤ5:7。エテル3:14;教義と聖約35:2;39:4-6;45:8も参照)。エマ・スミスはつい先日バプテスマを受けて教会に入ったばかりであっため,救い主は教義と聖約25章でエマを主の娘とお呼びになりました。
教義と聖約25:2-3。「わたしの前に徳の道を歩む」
徳というキリストのような特質は,「道徳的に高い標準に基づいた思いと行動のパターンです。……〔そして〕御霊の導きを受けるには徳を身に付けることが前提条件となります。」(『わたしの福音を宣べ伝えなさい—伝道活動のガイド』118)エマ・スミスに対する「徳の道を歩む」(教義と聖約25:2)という主の教えについて説明していたゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように話しました。
「エマ・スミスに,ひいてはわたしたち全員に与えられたこの聖句は,神の王国で受け継ぎを得たいと望む人が守るべき条件を教えているのではないでしょうか。徳の欠如は,神の戒めに従順であることとはまったく相反することです。徳以上に麗しいものはありません。徳の力ほど偉大な力もありません。……
興味深いことに,この啓示の中で主は条件付きの偉大な約束をエマに与えて,次のように言っておられます。『あなたの罪は赦されている。あなたは,わたしが召した,選ばれた婦人である。』〔教義と聖約25:3〕わたしは,恵み深い御父から赦しの賜物が与えられていることに心から感謝しています。主は,悔い改めて赦される人々について,預言者イザヤを通じて次のように言われました。『たといあなたがたの罪は緋のようであっても,雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても,羊の毛のようになるのだ。』(イザヤ1:18)
これまでの人生で重大な過ちを犯して嘆き悲しんでいる人がいるかもしれません。わたしはそのような人々に確信をもって申し上げます。古代と現代の啓示の中で約束されているとおり,悔い改めのあるところには赦しもあります。過去に犯した悲しい過ちにいつまでも捕らわれていることはありません。それよりも,『神に頼って生き』るのです(アルマ37:47)。」「『汝もし忠実にして』」『聖徒の道』1992年3月号,4参照)
教義と聖約25:3。エマはどのような点で「選ばれた婦人」であったのか
主は,エマ・スミスが「選ばれた婦人」であると言われました(教義と聖約25:3)。これは,彼女がその忠実さゆえに,神の業を助けるよう選ばれたという意味です。預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は後に,扶助協会が1842年3月17日に組織されたときにこの称号の意味について説明しました。「わたしは,ロッジルームでの『ノーブー女性扶助協会』の開設を助けました。会長にはエマ・スミス姉妹,顧問にはエリザベス・アン・ホイットニー姉妹とサラ・M・クリーブランド姉妹が召されました。わたしは多くの指示を与え,選ばれた婦人について新約聖書および教義と聖約の書を読み,選ばれたとは特定の業を行うために選ばれたことを意味し,……聖文を解き明かすようにすでに聖任されているエマ姉妹が協会の会長として選ばれたことによってこの啓示が成就したと説明しました。」(in History of the Church, 4:552–53)
教義と聖約25:4。エマが見ていなかったもの,つぶやく原因となったかもしれないこととは
主はエマ・スミスを御存じで,彼女を愛しておられました。彼女に対する「つぶやいてはならない」という主の指示は,エマがモルモン書の版を見ていなかったためのものでした(教義と聖約25:4)。エマは,金版の一部が翻訳されていたときにその場に居合わせ,一時筆記者として参加したことさえもありました。三人の証人と八人の証人に金版を見ることが許され,彼女には許されなかったのは,エマにとってつらいことであったかもしれません。エマに金版を見る機会はありませんでしたが,彼女は後に次のように説明しました。翻訳作業の間「版はわたしが版を覆うために〔ジョセフ・スミス〕に渡した小さな麻のテーブルクロスに包まれ,隠そうともされずにテーブルの上に置かれていることがよくありました。わたしは一度,テーブルの上に置かれた版に触れ,その輪郭と形をなぞったことがあります。それらは厚紙のようにしなやかで,本のページの縁を親指でめくるように親指で動かすと,金属音をたててパラパラと鳴るかのようでした。……
わたしは,〔麻の布越しに〕触れる以外,版を手に取ろうとはしませんでした。……それが神の業であることで満足していたため,そうする必要を感じなかったのです。」(“Last Testimony of Sister Emma,” Saints’ Herald, Oct. 1, 1879, 290; spelling standardized)
教義と聖約25:5-9。「あなたが召された務め」
エマ・スミスは,夫が負わされた困難,虐げ,および迫害に彼女も耐えたことから,多くの苦難と悲しみを耐え抜きました。主は,回復の預言者という特有の立場にある夫を慰め,サポートするようエマを召されました。さらに,エマは教会で導き,教えるための重要な責任を受けました。元中央扶助協会会長のジュリー・B・ベック姉妹は,回復におけるエマの役割について次の事柄を教えました。
「主は預言者ジョセフ・スミスを通して御自身の教会の回復に取りかかるに当たり,弟子としての規範に再び女性たちを加えられました。教会が公式に組織されて数か月たったころ,主はエマ・スミスを教会における指導者,教師として,また預言者である夫の公式の助け手として任命するようにという啓示をお与えになりました〔教義と聖約25章参照〕。主を助けて主の王国を築くという召しを受けたエマ・スミスは,どのように自らの信仰と義を増し加えるべきか,家族と家庭を強めるべきか,人々に仕えるべきか指示を受けました。
わたしは孫娘たちに,この神権時代における福音の回復が始まったそのときから,主は主の弟子としてともに働く忠実な女性を必要とされたことを理解してほしいと願っています。」(「扶助協会について孫娘(および孫息子)たちに理解してほしいこと」『リアホナ』2011年11月号,110)
教会に対して女性が行う重要な貢献について話した十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン会長は,次のように述べました。
「しかし,この神権時代の女性は,ほかのいかなる時代の女性よりも際立っています。なぜなら,この時代はほかのいかなる時代よりも際立っているからです。この違いは特権と責任の両方をもたらします。
……1979年に,スペンサー・W・キンボール大管長は,聖約を守る女性がこれからの主の教会に及ぼす影響について深遠な預言をし,次のように述べました。『終わりの時に教会に大きな発展がもたらされようとしていますが,その多くは,世界中にいる善良な女性たち……が大勢教会に引き寄せられることが理由となって起きるでしょう。これがどの程度の規模になるかは,教会の女性たちがどの程度まで義を反映した生活を送り,自分をしっかりと表現できるか,また,どの程度まで世の中の女性と良い意味で区別され,異なって見られるかで決まるでしょう。』〔『歴代大管長の教え—スペンサー・W・キンボール』223-224〕
愛する姉妹の皆さん,この締めくくりの時代にあって,わたしたちの大切な同僚である皆さん,キンボール大管長が見た時代は,今この時代です。皆さんこそ,彼が予見した女性たちなのです!皆さんの徳,光,愛,知識,勇気,人格,信仰,義にかなった生活は,世の善良な女性たちを,その家族とともに,前例がないほど多く,教会へ引きつけるでしょう。
皆さんの兄弟であるわたしたちは,皆さんの力,改心,確信,指導力,知恵,そして声を必要としています。神聖な聖約を交わし,それを守る女性,神の力と権能をもって語ることのできる女性がいなければ,神の王国は完全ではありませんし,そうなれないのです。
〔ボイド・K・〕パッカー会長はこう宣言しました。
『教会には,組織的に考える女性,物事や人を組織できる女性が必要です。計画,指導,管理ができる実行力のある女性,教えることのできる女性,躊躇することなく意見を述べることのできる女性が必要です。……
世の風潮を見極め,たとえどんなにもてはやされても浅薄なものや危険なものを確実に判別する識別の賜物を持った女性が,教会には必要です。』〔「扶助協会」『聖徒の道』1979年2月号,11〕
今日,さらに付け加えたいと思います。わたしたちは信仰を行使して,価値あることを起こす方法を知っている女性,罪の蔓延する世界で道徳や家族を雄々しく擁護する女性が必要です。聖約の道を昇栄を目指して歩めるように,神の子供たちを献身的に導く女性が必要です。個人の啓示を受ける方法を知っている女性,神殿のエンダウメントから得られる力と平安を理解している女性,子供と家族を守り,強めるために天の力を呼び求める方法を知っている女性,恐れることなく教える女性が必要です。」(「姉妹たちへの懇願」『リアホナ』2015年11月号,96)
教義と聖約25:7。聖任されるという言葉の意味
1842年3月17日のノーブー女性扶助協会を組織するための集会で,会長会会長にエマ・スミス,エマの顧問にサラ・M・クリーブランドとエリザベス・アン・ホイットニーが選ばれました。ジョン・テイラーは,サラとエリザベスを彼女たちの召しに聖任しましたが,「スミス夫人の頭に手を置いた」とき,ジョン・テイラーは「彼女を祝福し,彼女に授けられた祝福のすべてを確認」しました(The First Fifty Years of Relief Society: Key Documents in Latter-day Saint Women’s History, ed. Jill Mulvay Derr, Carol Cornwall Madsen, Kate Holbrook, and Matthew J. Grow [2016], 32; spelling standardized)。預言者ジョセフ・スミスは,エマが「啓示〔教義と聖約25章〕を与えられたときに聖任された」ため,その集会では聖任されなかったことを明確にしました(The First Fifty Years of Relief Society, 32; spelling standardized; see also The Joseph Smith Papers, Journals; Volume 2; December 1841–April 1843, ed. Andrew H. Hedges and others [2011], 45, note 163)。
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,主がエマ・スミスは「預言者ジョセフ・スミス〕の手の下で聖任を受けなければならない」(教義と聖約25:7)と言われたときに何を意味しておられたかについて説明しました。「教会初期の時代,『聖任する』という言葉は一般的に聖任と任命の両方を指して使われていました。……神権を持つ男性は,支部を管理し,特別な業を行うために『聖任された』と言われ,姉妹たちも,特別な義務や責任に召されたときに『聖任された』と言われていました。後に,わたしたちは聖任と任命を区別するようになりました。男性は神権の職に聖任され,ステーク,ワード,支部,伝道部,および補助組織を管理するように任命されます。姉妹たちは,補助組織の会長,または伝道などに聖任されるのではなく,任命されます。エマ・スミスが聖文を解き明かすために『聖任された』という言い回しは,エマに神権が授けられたという意味ではなく,この召しに任命されたことを意味しており,これは教会の扶助協会において成就されました。」(Church History and Modern Revelation, [1953], 1:126)
教義と聖約25:10。「この世のものを捨て〔る〕」
教義と聖約25:10にあるエマ・スミスへの主の指示について説明したゴードン・B・ヒンクレー大管長は,次のように述べました。「ここでは,主がエマに,住む場所や食卓に載せる食べ物や衣服などに関心を持ってはならないと言われているわけではありません。現代でも多くの人がこうした物のとりこになっていますが,主が言わんとされたのは,こうした物に心を悩ませてはならないということです。むしろ,生命にかかわるもっと高い次元の問題,正義や善,人への愛や思いやり,永遠の事柄に,心を砕かなければならないと教えておられるのです。」(「『汝もし忠実にして』」5)
教義と聖約25:11-12。「わたしは心の歌を喜ぶからである」
聖文には,音楽が神の子供たちにとってしばしば礼拝の重要な要素であったという証拠が記されています(歴代上15:27;マタイ26:30;コロサイ3:16;アルマ26:8;モルモン7:7;モロナイ6:9;教義と聖約136:28参照)。主は「義人の歌はわたしへの祈りである」と宣言されました(教義と聖約25:12)。エマ・スミスは「神聖な賛美歌の選定をする」ように主から依頼されました(教義と聖約25:11)。1835年,教会の最初の賛美歌がオハイオ州カートランドで出版され,そのタイトルページにはエマ・スミスが賛美歌を選んだと記されています。エマは,W・W・フェルプスなどの教会員が書いた新しい賛美歌とともに,おもにプロテスタント教会の原本から90曲の賛美歌を集めました。
教義と聖約25:16。「これはすべての者へのわたしの声である」
教義と聖約にある啓示の一部はもともと特定の人物に与えられたものですが,読者が聖句にある教義的な真理と原則を主から個人的に受け取ったものであるかのように見なすことが適切であり,大切です。聖文の熱心な研究は,読者がこれらの重要な真理を見いだすために役立ちます。大管長会のマリオン・G・ロムニー管長(1897-1988年)は,次のように説明しました。「誠実に聖文を研究すれば,必ず福音の原則を学ぶことができます。なぜなら,聖文は人のためになる原則を残すために書かれたものだからです。」(“The Message of the Old Testament,” [address to Church Educational System religious educators, Aug. 17, 1979], 3)人は福音の真理と原則を見いだし,尊重すとき,それらを毎日の生活に応用することができます。
その他の資料
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「福音のテーマ」「神権,神殿および女性についてのジョセフ・スミスの教え」の項,『』www.lds.org/topics?lang=jpn。