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第9章:教義と聖約20-22章


第9章

教義と聖約20-22章

紹介とタイムライン

預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示の中で,主は1830年4月6日に主の教会を組織するよう命じられた。現在教義と聖約20章に記載されているこの啓示は,教会の組織から数日後に記録されたものですが,その一部は早くも1829年6月に明らかにされていた可能性がある。この啓示ではモルモン書の重要性が強調されており,神権の職の責任を説明し,バプテスマと聖餐の儀式に対する指示を与えている。

教会が組織された当日,預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約21章に記録されている啓示を受けた。この中で,主はジョセフを回復された教会の預言者,聖見者,および指導者として任命し,預言者の言葉を心に留めるよう教会員に勧められた。教会が設立されてからすぐに,一部の人々は,ほかの教会ですでにバプテスマを受けた人々が,回復された教会の会員となるために再度バプテスマを受ける必要があるかどうかについて疑問を感じた。ジョセフは主に尋ね,教義と聖約22章にある啓示を受けた。主はこの啓示で,バプテスマは適切な権能を持つ人によって施されなければならないとお教えになった。

1830年3月末モルモン書の印刷が完了した。

1830年4月6日ニューヨーク州フェイエットで,ジョセフ・スミスによって教会が組織された。

1830年4月6日教義と聖約21章が与えられた。

1830年4月6月以降教義と聖約20章がまとめられ,記録された(その一部は数か月前に与えられていたと思われる)。

1830年4月16日教義と聖約22章が与えられた。

1830年6月9日ニューヨーク州フェイエットで最初の教会の大会が開かれた。

教義と聖約20章:追加の歴史的背景

預言者ジョセフ・スミスは,1829年6月,ピーター・ホイットマー・シニアの家で,神の声がお互いを長老として聖任するようジョセフとオリバー・カウドリに命じたが,兄弟たちが集まり,挙手によって同意を示すことができるまでは聖任を遅らせるべきだと明確に述べたと記録しました(See The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 1: Joseph Smith Histories, 1832–1844, ed. Karen Lynn Davidson and others [2012], 326教義と聖約128:21も参照)。その6月,主はオリバー・カウドリに,当時完成間近であったモルモン書に頼ることによって「〔主の〕教会を築き上げる」(教義と聖約18:5)助けとなるようにとも命じられました。その後,オリバーは,モルモン書に記載されている儀式,神権の職,および教会手続きについての詳細が含まれる“Articles of the Church of Christ”(『キリスト教会の規定』)と呼ばれる文書をまとめました(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, ed. Michael Hubbard MacKay and others [2013], 368–74)。この情報は,教会が設立されるときまで信者を導くためのものであったのかもしれません。

〔ニューヨーク州フェイエットにある再建されたピーター・ホイットマー・シニアの家の2階にある部屋の画像〕

ニューヨーク州フェイエットにある再建されたピーター・ホイットマー・シニアの家の2階にある部屋。ここでモルモン書の翻訳が完成され,神の声が聞かれた(教義と聖約128:21参照)。

教義と聖約20章に記録されている啓示が与えられた正確な時期は分かっていませんが,預言者ジョセフ・スミスは神の導きの流れを次のように要約しました。「この方法で,主は,わたしたちに任された義務に関して,折々わたしたちに指示を与え続けられました。これに類するその他多くの事柄の中で,わたしたちは預言の霊と啓示によって,主から以下を授けられました。これは,わたしたちに多くの情報を提供しただけでなく,主の御心と命令に従って,この世における主の教会の再組織を開始すべき正確な日取りも指し示しました。」(in The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 1: Joseph Smith Histories, 1832–1844, 336; spelling standardized)これらの指示は,“Articles and Covenants of the Church of Christ”(『キリスト教会の規定と聖約』)として知られるようになりました。

『教会の規定と聖約』の完全な文書は,1830年4月6日に行われた組織集会のすぐ後で記述され,イエス・キリストの教会の信条,およびその職と儀式の概要を述べています。『教会の規定と聖約』は,1830年6月9日にピーター・ホイットマー・シニアの家で行われた教会の最初の大会で読み上げられ,承認のために会員に提示されました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, 116–26)。その後数年間,現在の教義と聖約20章である『教会の規定と聖約』は,預言者ジョセフ・スミスが教会の構造に関する啓示を受け続けたことから,時折修正されました。例えば,教義と聖約20:65-67は,1831年6月にオハイオ州カートランドで大祭司の職が明らかにされた後で追加されました(教義と聖約52章の前書き参照)。

〔地図3:アメリカ合衆国北東部の画像〕

教義と聖約20:1-36

回復の出来事が語られ,モルモン書で教えられている真理が要約される

〔ニューヨーク州フェイエットにある再建されたピーター・ホイットマー・シニアの家の外観の画像〕

ニューヨーク州フェイエットにある再建されたピーター・ホイットマー・シニアの家。

教義と聖約20:1。「この終わりの時におけるキリストの教会の起こり」

古代の使徒の死後,イエス・キリストの教会の組織,教義,および儀式が権能のないまま変えられました。何世紀にも及ぶ背教の後,主は預言者ジョセフ・スミスを通じて御自身の福音と教会を回復されました。この回復には,1830年4月6日のキリストの教会の組織が含まれていました。ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,主の教会の行く末について証しました。

「ジョセフ・スミスは僚友とともに,ピーター・ホイットマーの農場に建てられた質素な丸太小屋に集まり,キリストの教会を組織しました。農場は,ニューヨーク州フェイエットの静かな村にありました。

その小さな発端から,実に驚くべきことが起こりました。この業の歴史は偉大なものです。わたしたちの民はあらゆる苦難に耐えてきました。民が払った犠牲は言葉で言い表すことができません。その労苦はとうてい信じ難いものです。しかし,この大きな苦難の犠牲から,栄光に満ちたものが生まれました。今日,わたしたちはこれらの労苦の結果を見ることのできる地点に立っており,成し遂げられたことを見渡すことができます。

最初は6人しかいなかった教会員は,……膨大な数の信者へと膨れ上がりました。あの静かな村から生まれた教会は,今日では地上の約160か国にまで拡大し,合衆国で5番目に大きな教会になっています。……この広範囲に及ぶ教会には,多くの言語を話す多くの国民がいます。それは前例のない事象です。織り上げられたタペストリーを広げると美しい模様が現れるように,発展した教会の見事な成果が現れています。その成果は,幸福ですばらしい人々の生活に表れています。驚くべき事柄がまだこれからも起きることでしょう。」(「教会は前進する」『リアホナ』2002年7月号,4)

教義と聖約20:1。キリストの教会

回復された教会が1930年4月6日に正式に組織されたとき,教会はキリストの教会と呼ばれていました。1834年,教会の評議会は,教会の望ましい別名として末日聖徒の教会という名称を承認しました。最終的に,主は1838年4月に預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示において,主の教会が末日聖徒イエス・キリスト教会と呼ばれると宣言されました(教義と聖約115:4参照)。

十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は,わたしたちの昇栄の探求における神の教会の目的と重要性について説明しました。

「昇栄は,この死すべき世の旅のゴールです。そして,イエス・キリストの福音の手段,すなわち,贖罪,儀式,教会に見いだされる指針となる教義と原則がなければ,そこに到達できる人はだれもいないのです。

わたしたちが神の業を学び,わたしたちに救いをもたらす主イエス・キリストの恵みを受け入れる場所は,教会です。わたしたちが昇栄へのパスポートとなる永遠の家族にかかわる決意と聖約を行うのは,教会です。死すべき世の予測できない海域を進むために,神権が装備されているのが教会です。」(「神が舵を取っておられる」『リアホナ』2015年11月号,27参照)

教義と聖約20:2-16。モルモン書と回復の出来事

〔ジョセフ・スミスを描写する画像〕

ジョセフ・スミスは神の賜物と力によってモルモン書を翻訳した。

教義と聖約20章は,回復における重要な出来事の幾つかを振り返っています。例えば,ジョセフ・スミスは父なる神と神の御子イエス・キリストの訪れを受け,最初の示現のさなかで「罪の赦しを受け」ました(教義と聖約20:5)。ジョセフ・スミスに「聖なる天使」モロナイが姿を現し,ジョセフを教え,「彼を鼓舞する数々の戒めを下」しました(教義と聖約20:6-7)。ジョセフ・スミスは後に金版を入手し,モルモン書を翻訳するための「力」と「手立て」を授けられました(教義と聖約20:8)。三人の証人などのほかの人々も,モルモン書の神聖な起源の確認を受けました(教義と聖約20:10参照)。神権の権能の回復は,第一および第二の長老としてのジョセフ・スミスとオリバー・カウドリの聖任からも明らかです(教義と聖約20:2-3参照)。

この啓示は,モルモン書が聖書の真実性を証明することも証しています(教義と聖約20:11参照。1ニーファイ13:40モルモン7:8-9も参照)。この啓示はさらに,「信仰をもってこれを受け入れ」る者に永遠の命を約束し,「不信仰によって心をかたくなにし,これを拒む者」を非難する(教義と聖約20:14-15)ことによって,モルモン書のきわめて重要な役割を強調しています。

教義と聖約20:9。モルモン書には「イエス・キリストの完全な福音」が収められている

主は,「完全な福音」(教義と聖約20:9)を「イスラエルの家に属するわたしの民を再び元に戻すために送り出した聖約」(教義と聖約39:11)と定義されました。教義と聖約には,モルモン書に完全な福音が収められていることを示す啓示が幾つか含まれています(教義と聖約20:927:542:12135:3参照)。

エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は,次のように説明しました。「モルモン書に『イエス・キリストの完全な福音』が載っていると言われたのは主御自身です(教義と聖約20:9)。それはすべての教え,これまでに明らかにされたすべての教義が載っているということではありません。そうではなく,モルモン書には救いに必要な完全な教義が収められているということなのです。そして,その教義は分かりやすく簡単で,子供でさえも救いと昇栄の道を学ぶことができます。モルモン書は救いの教義をより深く理解させる内容に満ちています。モルモン書がなかったならば,ほかの聖典で教えられていることも,とうてい『分かりやすくて貴い』ものではなかったことでしょう。」(「モルモン書—わたしたちの宗教のかなめ石」『リアホナ』2011年10月号,55)

教義と聖約20:17-36。「これらのことによって,わたしたちは……知っている」

教義と聖約20:17にある「これらのことによって」という言葉は,わたしたちがモルモン書を通じて知っている真理を指しています(教義と聖約20:8-10参照)。末日聖徒には,モルモン書と完全な福音の回復を通じて,個人的な救い,特にわたしたちの主および救い主としてのイエス・キリストの中核的な役割について,より明確な理解が与えられています。エズラ・タフト・ベンソン大管長は,次のように教えました。

「教義と聖約20章の中の数節で,主はモルモン書の中に教えられている大切な真理を要約しておられます(17-36節参照)。そこには,神,人間の創造,堕落,贖い,キリストの昇天,預言者,信仰,悔い改め,バプテスマ,聖霊,忍耐,祈り,義認,および恵みによる清め,神を愛し神に仕えることなどについて書かれています。

わたしたちはこれらの基本的な真理を知る必要があります。モルモン書のアロン,アンモン,およびその兄弟たちは『最も暗い,深い淵の中』(アルマ26:3)にあったレーマン人たちに,これと同じ真理を教えました(アルマ18:22-39参照)。モルモン書は,このとき改宗したレーマン人たちが永遠の真理を受け入れてから後いつまでも神の道から外れなかったと述べています(アルマ23:6参照)。

もしわたしたちの子供や孫がこれと同じ真理を教えられ,それに従うなら,果たして道を外れたりするでしょうか。食卓で,団らんの中で,ベッドの側で,手紙や,電話などありとあらゆる機会をとらえて,モルモン書についてよく教えようではありませんか。」(「キリストに対する新しい証人」『聖徒の道』1985年1月号,7参照)

「知っている」という言葉は,教義と聖約20:17-36の中で数回使用されています(教義と聖約20:17,29,30,31,35参照)。これは,証の霊を反映しており,これらの基本的な教義がわたしたちの信仰を形造っていることを教会員に思い起こさせてくれます。

教義と聖約20:37-84

主は神権の職の義務を明らかにされ,バプテスマと聖餐に対する指示をお与えになる

教義と聖約20:37。打ち砕かれた心と悔いる霊を持つとは何を意味しますか。

罪の赦しを得るには,「打ち砕かれた心と悔いる霊を持って進み出」る必要があります(教義と聖約20:37)。エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は,打ち砕かれた心と悔いる霊を持つことの意味を教えました。「『神の御心に添うた悲しみ』は,御霊の賜物の一つです。それは自分の行いが御父である神に不快感を与えたことを深く認識することです。わたしたちの行いのゆえに,救い主,いかなる罪も犯されなかった御方,すなわちすべての中で最も大いなる御方が苦悶し苦しまれたことを,はっきりと自覚することです。わたしたちの罪のゆえに,主はあらゆる毛穴から血を流されたのです。このまことに現実的な,精神的,また霊的な苦しみは,『打ち砕かれた心と悔いる霊』を持つことと聖文で言われているものです。」(『歴代大管長の教え—エズラ・タフト・ベンソン』77参照)

教義と聖約20:38。「使徒は長老であ〔る〕」

回復された教会の初期,使徒という言葉は,しばしば伝道の業に携わっていた長老に対して使われました(例えば,教義と聖約18:9,14にあるオリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーに対する主の言葉を参照)。また,教義と聖約20章に記録されている啓示が与えられた当時,メルキゼデク神権における大祭司の職はまだ明らかにされていませんでした。現在「長老」という称号は,神権の職にかかわらず,福音を宣べ伝えるために召されたメルキゼデク神権者を表すために使用されています。「例えば,男性の宣教師は長老と呼ばれている。また,使徒も長老であり,十二使徒定員会や七十人定員会の会員について話すときには長老と呼ぶのがふさわしい(教義と聖約20:381ペテロ5:1)。」(『聖句ガイド』「長老」の項,scriptures.lds.org

教義と聖約20:38-59。神権の義務

1830年に教会が組織されたとき,主は長老,祭司,教師,および執事について,その責任と義務の概要を述べられました。そのとき以来,これらの神権の義務に関してさらなる詳細が明らかにされてきました。それでもなお,教義と聖約20:38-59で説明されている重要な教えは,すべての神権者が引き続き研究し,従うべき原則です。トーマス・S・モンソン大管長は,自分自身の義務を知り,ほかの人への奉仕においてその義務を実行する必要性を強調しました。

「神権は,実際のところ,賜物というよりもむしろ,委託された奉仕の務め,支え励ます特権,人の生活を祝福する機会なのです。

義務を果たそうという内なる声は,神権者としての割り当てに応じているときに,静かに聞こえてくるのです。控え目ながらも傑出した指導者であるジョージ・アルバート・スミス大管長は言いました。『皆さんの義務は,第1に,主が望んでおられることを学び,それから聖なる神権の力によって,人々の前で召しを尊んで大いなるものとし,人々が喜んで皆さんに従いたくなるような人物になることです。』〔in Conference Report, Apr. 1942, 14〕」(「最善を尽くして義務を果たす」『リアホナ』2005年11月号,58-59)

教義と聖約20:75-79。「主イエスの記念として」聖餐をいただく

教会が組織された日である1830年4月6日,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリによって聖餐が執り行われました。主は,「主イエスの記念として〔聖餐〕を受けるために,しばしば集まる」ように主の教会の会員に命じられました(教義と聖約20:75)。

十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老は,この神聖な儀式に携わることが祝福である理由の一つについて説明しました。「聖餐の祈りから,主イエス・キリストによって定められた聖餐の主要な目的の一つは『いつも御子を覚え』ることであることが確かに分かります(教義と聖約20:77,79)。救い主を覚えることには,主の贖罪を覚えることが含まれるのは明らかです。主の贖罪は,主の苦しみと死の象徴であるパンと水で表されています。わたしたちは,主がわたしたちのためにしてくださったことを決して忘れてはなりません。主の贖罪や復活がなければ,人生は無意味になってしまうからです。しかし,主の贖罪と復活のおかげで,わたしたちの人生には永遠の神聖な可能性があります。」(「いつも御子を覚えるために」『リアホナ』2011年4月号,21)

〔ニューヨーク州フェイエットにある再建されたピーター・ホイットマー・シニアの家の部屋の画像〕

1830年4月6日に教会が組織された,ニューヨーク州フェイエットにある再建されたピーター・ホイットマー・シニアの家の部屋。

十二使徒定員会のデール・G・レンランド長老は,いつもイエス・キリストを覚えておくという聖約を守ることが,どのようによりよい選択をする助けとなるかについて説明しました。

「日々のチャレンジがわたしたちの前に立ちはだかるとき,その瞬間に起こっている事柄に注目してしまうのは自然なことです。しかし,そうするとき,わたしたちはよくない選択をしたり,意気消沈したり,絶望を感じたりすることがあります。預言者たちが永遠の観点を忘れないように諭してきたのは,この人間の性質のためです。そうすることによって初めて,わたしたちは現世をうまく切り抜けることができるのです。……

毎週日曜日の聖餐は,神の慈しみと驚くべき約束を覚えておく助けとなります。一片のパンと一口の水という簡素な形あるものをいただくことによって,わたしたちは救い主と主の偉大な贖いの犠牲をいつも覚えておくことを約束します。聖餐を通して,わたしたちは聖約を新たにし,主の戒めを進んで守る意志を示すのです。……

聖餐の助けによって,わたしたちはいつも主を覚え,永遠の観点を持ち続けることができます。」(“Maintaining an Eternal Perspective,” Ensign, Mar. 2014, 56, 59

教義と聖約20:77。「進んで御子の御名を受け〔る〕」

ふさわしい状態で聖餐を受けるとき,わたしたちはイエス・キリストの御名を喜んで受けることを表明します。十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は,イエス・キリストの御名を喜んで受けることの意味について説明しました。

「イエス・キリストの御名を受けることの証明には幾つかの異なった意味があります。……

……主の御名によりバプテスマを受けるとき,教会員となって主に対する信仰を公言するとき,そして主の王国の業を行うときに,わたしたちはキリストの御名を受けます。……

私たちは聖餐を受けるときに,イエス・キリストの御名を単に受けることを証明するのではありません。喜んで受けることを証明するのです(教義と聖約20:77参照)。そのためには,実際に神聖な御名を最も重要な意味において受ける前に,何かもっとほかのことをしなければなりません。……

喜んでイエス・キリストの御名を受けるということは,喜んでイエス・キリストの権能を受けることであると理解できます。この意味から,私たちは聖餐にあずかることにより,神殿の神聖な儀式に喜んで参加することや主が望まれるときに主の御名と権能を通して,その最高の祝福に喜んであずかることを証明するのです。……

……イエス・キリストの御名を喜んで受けるということは,御父の王国で永遠の生命を得るために,できることをすべて行うと約束することと言えます。つまり,日の栄の王国に入る候補者となる意志とその努力をするという決意を表明することです。」(「イエス・キリストの御名を受ける」『聖徒の道』1985年7月号,81-84参照)

教義と聖約21章:追加の歴史的背景

主の教会を組織するという主の指示に従って,1830年4月6日火曜日,預言者ジョセフ・スミスはニューヨーク州フェイエットのピーター・ホイットマー・シニアの家に約60人の信者を集めました。ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは,主の御心とニューヨーク州の法律に従って教会を組織しました。その集会では,祈り,支持,聖任,聖餐の執行,および以前バプテスマを受けた人々の確認が行われました。この集会で,預言者は教義と聖約21章に記録されている啓示を受けました。

教義と聖約21章

教会の会員はジョセフ・スミスの言葉を心に留めるものとされる

教義と聖約21:1。ジョセフ・スミスの責任

教会が組織された日に集った信者たちに対し,主は主の聖任された僕であるジョセフ・スミスに与えられた神聖な召しについて説明されました。ジョセフは「聖見者,翻訳者,預言者,イエス・キリストの使徒,教会の長老」として知られることになっていました(教義と聖約21:1教義と聖約107:91-92124:125127:12135:3も参照)。これらの神聖な責任により,ジョセフ・スミスは彼の時代のほかのすべての宗教指導者たちと明らかに異なっていました。末日におけるこの偉大な預言者は,単なる管理役員になるのではありませんでした。ジョセフは,主の教会を設立し,明らかにされた主の言葉を世に現すことを神に認められていました。

〔教会の組織を描写する画像〕

教会は,1830年4月6日にニューヨーク州フェイエットで組織された。

教義と聖約21:1。「あなたがたの間で記録を記さなければならない」

教会における記録保持の重要性は,教会の組織集会で与えられた啓示で強調されています。教会歴史家であった七十人のマーリン・K・ジェンセン長老は,記録を維持するという主の戒めは現在も有効であると述べました。「イエス・キリストの教会とその民の歴史を,記憶にとどめるべきだということです。聖典では,教会の歴史に重点が置かれています。実際,聖典の大部分は教会歴史から成っています。教会が組織されたその日,神はジョセフ・スミスに,『見よ,あなたがたの間で記録を記さなければならない』と命じられました〔教義と聖約21:1〕。この命令に従い,ジョセフは教会の第二の長老であり,ジョセフの第一補佐でもあったオリバー・カウドリを,最初の教会歴史家に任命しました。記録を取るのは記憶を助けるためであり,教会の起こりと発展は,オリバー・カウドリの時代から現在まで記録されています。この驚くべき歴史記録は,神が再び天を開き,現代のわたしたちに行動を促す真理を明らかにされたことを思い起こさせます。」(「覚えておきなさい。滅びてはならない」『リアホナ』2007年5月号,37)

教義と聖約21:4-6。「忍耐と信仰を尽くして,……彼の言葉を受け入れなければならない」

主は,主がお選びになった僕を通じて主の民を導かれます。1830年4月,教会の会員となる信者たちは,預言者ジョセフ・スミスの言葉と戒めを,それらが主の口から出たかのように「心に留め〔る〕」よう指示されました(教義と聖約21:4-5参照)。別の啓示で,主は預言者を神の代弁者として見なすことができる理由について説明されました。「主なるわたしが語ったことは,わたしが語ったのであって,わたしは言い逃れをしない。たとえ天地が過ぎ去っても,わたしの言葉は過ぎ去ることがなく,すべて成就する。わたし自身の声によろうと,わたしの僕たちの声によろうと,それは同じである。」(教義と聖約1:38

また,主は主の教会の会員になる人々に対し,預言者ジョセフ・スミスの言葉を「忍耐と信仰を尽くして」受け入れるように勧告されました(教義と聖約21:5)。ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は,この節がどのように今日の教会員全員に当てはまるかについて説明しました。「教会の会員としてわたしたちが受けている唯一の安全策は,教会が設立された日に,主が教会員に向けて語られた教えを,そのまま実行することです。わたしたちは,主が預言者を通じて下された言葉や戒めに聞き従うことを学ばなければなりません。『〔預言者〕が〔主〕の前を完全に聖く歩み,〔主〕の言葉と戒めを受けるとき,……あなたがたは忍耐と信仰を尽くして,あたかも〔主御自身〕の口から出ているかのように〔預言者〕の言葉を受け入れなければならない。』(教義と聖約21:4-5)信仰と忍耐を必要とするものもあるでしょう。教会の役員からのメッセージを快く思えないこともあるかもしれません。あなたの政治上の見解や社会観と相いれないものもあるでしょう。また,あなたの社会生活を多少なりとも犠牲にしなければならないようなメッセージかもしれません。しかし,忍耐と信仰をもって,主御自身の口から出ているように,これらの教えに耳を傾ける人々に対しては,次のような約束がなされています。『地獄の門もあなたがたに打ち勝つことはない……。そして,主なる神はあなたがたの前から闇の力を追い払い,また,あなたがたのためと,神の名の栄光のために天を震わせるであろう。』(教義と聖約21:6)」(『歴代大管長の教え—ハロルド・B・リー』88-89

教義と聖約22章:追加の歴史的背景

教会が組織されてから間もないころ,新しく設立されたキリストの教会に加わることを望んだ人の中には,もう一度バプテスマを受けなければならないという必要条件をなかなか理解できない人がいました。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように説明しました。「神の権能という問題については,彼らの心にしっかりと根を下ろしていませんでした。彼らはジョセフ・スミスの話が事実であるという証を得て,教会に入ることを望んでいました。しかし,すでに水に沈められるバプテスマの儀式を受けているのに,なぜ再びバプテスマを受ける必要があるのか疑問に思いました。」(Church History and Modern Revelation [1953], 1:109

教義と聖約22章に記録されている啓示は,1830年4月16日に与えられました。この啓示を記した最も早期の文書は,時折『教会の規定と聖約』の一部として収録されていました。これは恐らく,この啓示が教義と聖約20章で教えられているバプテスマの教義を明瞭にするためだと思われます。

教義と聖約22章

バプテスマは,正当な神権の権能を有する人によって執行されなければならない

教義と聖約22:1。「新しくかつ永遠の聖約」

主は,「新しくかつ永遠の聖約」が与えられたことを宣言することによって,新会員が再びバプテスマを受ける必要性についての疑問にお答えになりました(教義と聖約22:1)。新しい神権時代に完全な福音が明らかにされるとき,それは新しくかつ永遠の聖約と呼ばれます。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように説明しました。

「新しくかつ永遠の聖約は完全な福音です。それは,『すべての聖約や契約,きずな,義務,誓詞,誓言,履行,関係,交際,期待』からなっています。そしてそれらは,約束の聖なる御霊または聖霊により,鍵を持つ教会の大管長の権能によって教会の会員に結び固められています。……

永遠の結婚は新しくかつ永遠の聖約です。バプテスマも新しくかつ永遠の聖約であり,そして同じように神権への聖任やほかのすべての聖約は,永遠のそしてすべてのものを包括する新しくかつ永遠の聖約の一部なのです。」(Answers to Gospel Questions, comp. Joseph Fielding Smith Jr. [1966], 1:65

〔セネカ湖の岸辺の画像〕

初期の聖徒の多くがニューヨーク州フェイエットに近いセネカ湖でバプテスマを受けた(1897-1927年ごろ撮影)。

教会歴史図書館アーカイブの厚意により掲載

教義と聖約22:2。「あなたがたはモーセの律法によっても,狭い門から入ることはできない」

「狭い門」はバプテスマを指しています(2ニーファイ31:17-18参照)。教義と聖約22章に記録されている啓示で,主は,再びバプテスマを受けることなく主の回復された教会に加わりたいと願う人を,イエス・キリストへの信仰を持つことなくモーセの律法に頼った人と比較されました。主はこの比較を使って,キリスト教に改宗した初期のユダヤ人改宗者と同様に,神権の権能なくして行われたバプテスマを含む,救うことのできない「死んだ」宗教的習慣(教義と聖約22:3)を捨て,福音の新しくかつ永遠の聖約を受け入れる必要性を強調されました。