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第6章:教義と聖約7章;13章;18章


第6章

教義と聖約7章13章18章

紹介とタイムライン

1829年4月,モルモン書の翻訳作業中に,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは使徒ヨハネが死んでいるか,まだこの世で生き続けているかについて意見を異にした。預言者ジョセフ・スミスはウリムとトンミムを通じて主に尋ね,教義と聖約7章に記録されている啓示を受けた。「この啓示は,ヨハネが羊皮紙に記して……おいた記録の訳文」(教義と聖約7章,見出し)であり,再臨の時まで生き長らえ,人々をイエス・キリストのもとに導くというヨハネの望みを主がかなえてくださったことを教えている。

モルモン書の版の第三ニーファイを翻訳していたとき,ジョセフとオリバーは罪の赦しのためにバプテスマを施す権能について学んだ。1829年5月15日,彼らはペンシルベニア州ハーモニーのジョセフ・スミスの農場の近くにあった森に入り,この権能について祈った。ジョセフとオリバーの祈りの答えとして,バプテスマのヨハネが復活した者として現れ,彼らにアロン神権を授けた。バプテスマのヨハネが語った言葉は,教義と聖約13章に記載されている。

1829年6月,ニューヨーク州フェイエットのピーター・ホイットマー・シニアの家でモルモン書の翻訳が完成間近となったとき,預言者ジョセフ・スミスはキリストの教会を築き上げることについての教えが含まれた啓示を受けた。教義と聖約18章に記録されているこの啓示は,福音を宣べ伝えるためにオリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーを召し,彼らに使徒として奉仕する12人を探し出すよう命じた。この啓示は,十二使徒として召される人の多数の責任についても詳しく説明した。

1829年4月ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは金版の翻訳を続けた。

1829年4月教義と聖約7章が与えられた。

1829年5月15日バプテスマのヨハネがアロン神権を回復した(教義と聖約13章参照)。

1829年5-6月ペテロ,ヤコブ,ヨハネがメルキゼデク神権を回復した。

1829年6月三人の証人に金版が見せられた。

1829年6月教義と聖約18章が与えられた。

教義と聖約7章:追加の歴史的背景

使徒ヨハネが死んでしまっているのか,またはイエス・キリストの再臨までこの世で生き長らえるのかという預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリの疑問は,ヨハネ21:18-23に基づくものと思われます。この節で,主がペテロの死を預言された後,ペテロは使徒ヨハネに何が起こるか主に尋ねました。主は次のようにお答えになりました。「たとい,わたしの来る時まで彼が生き残っていることを,わたしが望んだとしても,あなたにはなんの係わりがあるか。」(ヨハネ21:23)ヨハネの運命についての疑問は,ジョセフ・スミスの時代のキリスト教徒によくあった疑問でした。

ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは,ウリムとトンミムを通じて主に尋ねることによって,疑問を解決することにしました。主に尋ねた後,ジョセフは教義と聖約7章に記録されている啓示を受けました。この啓示は,「ヨハネが羊皮紙に記して自ら隠しておいた記録の訳文」です(教義と聖約7章,見出し)。ジョセフ・スミスが実際の羊皮紙を所持していたかどうかは分かっていません。ジョセフは,示現の中で羊皮紙を見た,またはウリムとトンミムを通して翻訳された言葉を受けた可能性があります。

〔地図3:アメリカ合衆国北東部の画像〕

教義と聖約7章

再臨の時まで人々をキリストのもとに導くために働く,身を変えられた者である愛弟子ヨハネ

教義と聖約7:1-3。「わたしが栄光のうちに来るときまであなたはこの世にとどま〔る〕」

主は,生き長らえて人々をキリストのもとに導くことができるように死を制する力を与えてほしいという使徒ヨハネの望みに応じられました(ヨハネ21:21-23参照)。ヨハネに対する主の祝福は,ヨハネが決して死なないことを意味するのではなく,イエス・キリストの再臨まで死なないことを意味していました(マタイ16:28マルコ9:1ルカ9:273ニーファイ28:7-8参照)。ヨハネが再臨まで地上で生き長らえるために,ヨハネの死すべき体は身を変えられた人となるように変えられました。身を変えられた人とは,「復活して不死不滅となるまで,痛みや死を味わうことがないように体の状態を変えられた人」です(『聖句ガイド』「身を変えられた人」の項scriptures.lds.org)。

〔ペンシルベニア州ハーモニーにあるジョセフとエマ・スミスの家の外装の画像〕

ペンシルベニア州ハーモニーにある再建されたジョセフとエマ・スミスの家。

教義と聖約7:4-5。より大きな業を行うことを願ったヨハネ

使徒ヨハネの運命についてのペテロの質問に答えた救い主は,ヨハネが地上に残ってその業を続けたいと願ったと説明されました。十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,福音を宣べ伝えることの重要性を説明するためにヨハネの願いを用いました。

「使徒ヨハネは,さらに多くの人々を神のみもとに導くというただ一つの目的のために,普通の寿命よりも長く地上に生き長らえることができるかどうか主に尋ねました。主はその願いにこたえ,それは『さらに大いなる業』であり,『速やかに』主のみもとに来るよりもさらに尊い『望み』であると語られました〔教義と聖約7章参照〕。

すべての預言者や使徒と同様に,預言者ジョセフ・スミスは,ヨハネが求めたことの深い意味を理解していました。ジョセフはこう述べています。『これまで述べられてきたすべてのことの中で,〔わたしたちのなすべき〕最も偉大で最も重要な義務は福音を宣べ伝えることです〔Teachings of the Prophet Joseph Smith, sel. Joseph Fielding Smith (1976), 113]〕。」(「わたしの証人」『リアホナ』2001年7月号,17)

教義と聖約7:6。「地上に住んでいる……者のために,彼は仕えるであろう」

使徒ヨハネが地上にとどまることを許されたことは分かっていますが,身を変えられた人としての使命についてはほとんど分かっていません。ヨハネが復活したペテロとヤコブとともに現れ,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにメルキゼデク神権を授けたことは確かです。また,オハイオ州カートランドで1831年6月に行われた教会の大会に関するジョン・ホイットマーの記述によると,「主の御霊がいつもとは違う形でジョセフ〔・スミス〕に注がれ,彼は黙示者ヨハネがその時連れ去られたイスラエルの十部族の中におり……,長きにわたる散乱からの帰還のために彼らを備えていると預言しました。」(in History of the Church, 1:176

教義と聖約7:7。「わたしはあなたがた三人に,……この務めの鍵とを授けよう」

主は,ペテロ,ヤコブ,ヨハネに,再臨までの彼らの神権時代にための務めの鍵を持つと約束されました(教義と聖約27:12-13参照。マタイ17:1-9も参照)。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,これらの鍵が何かについて説明しました。「ヨハネが,ペテロとヤコブとヨハネ自身に与えられたと言った務めの鍵……は,彼らの神権時代における教会の大管長会の権能を構成するものでした。」(Church History and Modern Revelation [1953], 1:49)ペテロ,ヤコブ,ヨハネは預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにこれらと同じ鍵を授け,この最後の神権時代,すなわち時満ちる神権時代に,地上における神の教会を管理し,導く権能を与えました。

教義と聖約13章:追加の歴史的背景

1829年の4月から5月までの間,モルモン書の版の翻訳という奇跡的な業は急速に進められました。オリバー・カウドリはこの過程に関する気持ちを次のように説明しています。「これらの日々は,決して忘れられないものであった。天の霊感によって語られた声,この胸にこの上ない感謝の念を呼び起こした声の下に座していたのである。彼〔ジョセフ・スミス〕が……ウリムとトンミム……を用いて翻訳するままに,わたしは,来る日も来る日も,彼の口から出る言葉を絶え間なく書き続けた。」(ジョセフ・スミス—歴史1:71,注釈)

その5月,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは,「この〔アメリカ〕大陸におけるヤコブの子孫の残りの者に対する救い主の働きについて述べられた話」を翻訳していました(ジョセフ・スミス—歴史1:71,注釈)。その記述には,正しい権能によるバプテスマについて何度も言及されている3ニーファイ9-28章が含まれていました。ジョセフとオリバーはさらに知りたいと望み,導きを求めて主に祈り尋ねるために森に入って行きました。

預言者ジョセフは次のように記録しています。「わたしたちがこのようにして祈って,主に呼び求めていたとき,天からの使者が光の雲の中を降って来られた。そして,その使者はわたしたちの上に手を置き,……わたしたちを聖任された。」(ジョセフ・スミス—歴史1:68

この天使は,今や栄光ある復活体となったバプテスマのヨハネであり,ジョセフとオリバーに互いにバプテスマを施し合うよう指示しました。二人はその指示に従って近くのサスケハナ川に行き,その川でジョセフはオリバーにバプテスマを施し,次にオリバーがジョセフにバプテスマを施しました。バプテスマを受けた後,二人はバプテスマのヨハネの指示通り,お互いをアロン神権に聖任しました。(ジョセフ・スミス—歴史1:70-72参照)

バプテスマのヨハネはまた,彼がメルキゼデク神権の鍵を持つペテロ,ヤコブ,ヨハネの指示に従って働いているとジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに言いました。ヨハネは,時が来ればジョセフとオリバーにもメルキゼデク神権が授けられると説明しました。(ジョセフ・スミス—歴史1:72参照)歴史的な証拠から,1829年6月1日以前にペテロ,ヤコブ,ヨハネが預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに姿を現し,この二人にメルキゼデク神権を授けたことが示唆されています(see Larry C. Porter, “The Restoration of the Aaronic and Melchizedek Priesthoods,” Ensign, Dec. 1996, 33)。

〔アロン神権が回復された場所の森林地域の画像〕

アロン神権は,ペンシルベニア州ハーモニーにあるジョセフ・スミスの家に近い場所でバプテスマのヨハネによって回復された。

教義と聖約13章

バプテスマのヨハネはジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにアロン神権を授ける

教義と聖約13:1。神権の鍵の説明

アロン神権とメルキゼデク神権の回復は,天使が預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに権能と鍵を授けたときに起こりました(教義と聖約13:1110:11-16128:20-21参照)。ジョセフ・F・スミス大管長(1838-1918年)は,神権の権能と神権の鍵との違いについて説明しました。

「一般に神権は神に代わって行動するために人に与えられた権能です。神権のいかなる職であっても聖任された人は皆,この権能が委譲されています。

しかし,この権能の下で執行されるすべての行動は適切なときに,適切な場所で,正しく,秩序に従って実施されなければなりません。これらの働きを指示する力が神権のです。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・F・スミス』140

〔「Upon You My Fellow Servants」の画像〕

Upon You My Fellow Servants(「わたしと同じ僕であるあなたがたに」)by Linda Curley Christensen.1829年5月15日,バプテスマのヨハネによってアロン神権がジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに回復された。

教義と聖約13:1。「天使の働きの鍵」

教義と聖約では,天使がメッセージを届け,地上の神の子供たちを教え導く主の僕であることが説明されています(教義と聖約7:5-620:5-1029:4243:2584:42103:19-20109:22参照)。モルモン書からは,「天使が人に現れて教え導くのも,信仰による。したがって,もしこれらのことがなくなっているとすれば,それは不信仰のためであり,すべてはむなしいので,人の子らは災いである」(モロナイ7:37)ことを学びます。天使は男性,女性,子供たちを教え導くことができます(アルマ32:23参照)。

バプテスマのヨハネは,アロン神権が「天使の働きの鍵……を持つ」(教義と聖約13:1)ことを預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに説明しました。十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は,次のような洞察を提供しました。

「アロン神権が『天使の働き……の鍵』また『悔い改めとバプテスマと罪の赦しの福音』の鍵を持つとはどういう意味でしょうか〔教義と聖約84:26-27〕。その意味はバプテスマと聖餐の儀式の中に示されています。バプテスマは罪の赦しのための儀式です。そして,聖餐はバプテスマの聖約と祝福の更新です。どちらの儀式も,最初に求められるのが,悔い改めです。これらの儀式の中で交わした聖約を守る人々は,いつも御子の御霊を受けられると約束されています。天使の働きとは,この御霊の現れの一つです。……

アロン神権者だったころのわたしは,自分が天使を見るなどということは考えもしませんでした。そして,そのような現れがアロン神権とどのような関係があるのだろうかと思いました。

しかし天使の働きには,目には見えないものもあるのです。天使のメッセージは声,あるいは心に浮かぶ考えや感じという形でも伝えられる場合があります。……

多くの場合,天使の働きかけは,視覚よりも感情や聴覚として伝えられます。……

一般的に,霊的な導きと交わりという祝福は,清い人々にだけにもたらされます。前にも説明したように,わたしたちはバプテスマと聖餐というアロン神権の儀式を通して,自分自身の罪から清められ,戒めに従うなら常に主の御霊の導きを受けられるとの約束を授けられるのです。わたしは,その約束は聖霊だけでなく天使の働きのことも述べていると信じています。なぜなら『天使は聖霊の力で語る。したがって,天使はキリストの言葉を語る』からです(2ニーファイ32:3)。ですから,ふさわしい状態で聖餐を受けるすべての教会員に対して,主の御霊と天使の働きの導きを受ける扉を開くのはアロン神権を持つ人々なのです。」(「アロン神権と聖餐」『リアホナ』1999年1月号,41-43参照)

教義と聖約13:1。悔い改めと罪の赦しのためのバプテスマの鍵

ダリン・H・オークス長老は,悔い改めと罪の赦しのためのバプテスマの福音の鍵を持つことが何を意味するのかについて説明しました。

「バプテスマを受けた後,まったく罪のない生活をしてきたという人はだれもいません。だれであっても,バプテスマの後,さらに自分を清める備えをしなければ,霊的な事柄に関して死んでしまうのです。……

わたしたちは罪を悔い改め,打ち砕かれた心と悔いる霊をもって主のみもとに来るように,また聖約に従って聖餐にあずかるように命じられています。わたしたちがそのようにしてバプテスマの聖約を更新するなら,主はバプテスマの清めの効果を更新してくださいます。このようにして,わたしたちは清められ,常に主の御霊とともにいられるのです。……

この事柄におけるアロン神権の重要性は,幾ら強調しても足りないほどです。罪の赦しに関するこの重要なステップのすべては,バプテスマという救いの儀式とそれを更新する聖餐の儀式を通して行われます。この二つの儀式は,悔い改めの福音,またバプテスマと罪の赦しの鍵を行使するビショップリックの指示の下に,アロン神権者によって執り行われます。」(「アロン神権と聖餐」,42)

教義と聖約13:1。レビの子らが「義をもってささげ物を主にささげる」ことの意味

古代,神は御自分の民に,礼拝の一環として動物の犠牲をささげるよう命じられました。動物の血を流すことの目的は,イエス・キリストの血が人々の罪に対する贖いのために流される時を信仰をもって待ち望むように人々を助けることでした。モーセの時代からイエス・キリストの死に至るまで,動物の犠牲と燔祭は幕屋や神殿で職務を行う祭司によって行われることがモーセの律法で決められていました。これらの祭司は,聖所で働くように主によって任命されたレビの子孫でした(民数18:20-21参照)。このため,「レビの子ら」という言葉は神権所有者を指しています。

聖文には,教会員が「義をもってささげ物を主にささげる」(教義と聖約13:1)ことができる重要な方法が幾つか説明されています。モルモン書はわたしたちに「キリストのもとに来て,……自分自身をキリストへのささげ物としてささげ〔る〕」ように教えています(オムナイ1:26)。イザヤは,末の日,主によって集められた人々は「〔彼らの〕兄弟をことごとく……主の供え物とする」(イザヤ66:20)と預言しています。これは,改心した人々が神殿に連れて来られることを意味しています。これに加え,預言者ジョセフ・スミスは,末日聖徒は「義をもってささげ物を主にささげ……また,死者の記録を主の聖なる神殿……にささげ」るべきであるという霊感を受けた指示を与えています(教義と聖約128:24)。

動物の犠牲に関して,預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は次のように説明しました。

「一般に,犠牲はかの大いなる犠牲,〔すなわち主イエスの犠牲〕がささげられたときに終わりを告げ,将来は,犠牲の儀式はまったく必要がないと思われている。しかしながら,このように主張する人は,神権の義務や特権,権能について,また預言者について無知な人である。

犠牲をささげることは神権と関連するものであり,神権の義務の一部である。これは神権とともに始まり,キリストの来臨の後まで代々続くであろう。……

これらの犠牲と,神権に属するすべての儀式は,主の神殿が建てられ,レビの子らが清められるときに,あらゆる力と効果と祝福を伴い,ことごとく回復されるであろう。〔メルキゼデク〕神権の力が十分に現れていたときには,かつてこれがあった。また,これからもそうであろう。そうでなければ,聖なる預言者たちの語った万物更新がどうしてあるであろうか。モーセの律法がそのすべての儀式とともに再び設けられると考えてはならない。預言者たちはそのようには言わなかった。しかし,モーセの時代以前にあったもの,すなわち犠牲は,継続するのである。」(History of the Church, 4:211–12で引用)

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,末の日における動物の犠牲についてさらに明確に説明しました。「上述の神殿が建てられるとき,回復を完成させるために動物の犠牲がささげられるであろう。福千年の初めに,あるいは回復の過程において,血の犠牲はこの神権時代における回復が完成するまでささげられるであろう。その後,犠牲は別の性格のものに変わるであろう。」(Doctrines of Salvation, comp.Bruce R. McConkie [1955], 3:94

教義と聖約18章:追加の歴史的背景

主は,恐らくは早くも1828年に,主の教会が再び地上に立てられることを預言者ジョセフ・スミスに明らかにされました(教義と聖約10:53-55参照)。1829年6月,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは,ニューヨーク州フェイエットにあるピーター・ホイットマー・シニアの家でモルモン書の翻訳を継続していました。またこの間,ジョセフとオリバーは,つい最近天使によって授けられたメルキゼデク神権の鍵をどのように行使したらよいかを知りたいと望みました。ホイットマー家の部屋で祈っていたとき,二人に主の言葉が下り,長老を聖任する,聖餐を執行する,および按手によって聖霊の賜物を授けるためにその神権を行使するよう指示されました。しかし主は,信徒を一堂に集めることができるまで,これらの儀式を行うのを待つように指示されました。(See The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 1: Joseph Smith Histories, 1832–1844, ed. Karen Lynn Davidson and others [2012], 326, 328

一方,教会を組織するようにという主の命令を待つ中,預言者とオリバー・カウドリは3ニーファイモロナイ書の翻訳を含むモルモン書の翻訳を完成させようとしていました。これら二つの書は神権の儀式と教会の手続きに関する指示を含んでおり,主が御自分の教会をいつ地上に新しく組織するよう指示されるのか深く考えていた二人に霊感を与え,導いたと思われます。

預言者が教義と聖約18章に記録された啓示を受けたのは,このような状況にあったときでした。この啓示はジョセフ・スミス,オリバー・カウドリ,およびデビッド・ホイットマーに向けられたもので,教会を築き上げることに関する指示を提供しました。また,十二使徒として召される人々に対する指示も含まれていました。

〔「The Voice of Peter, James, and John」の画像〕

The Voice of Peter, James, and John,(「ペテロとヤコブとヨハネの声」) by Linda Curley Christensen.メルキゼデク神権は,ペテロ,ヤコブ,ヨハネによってジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに回復された。

教義と聖約18:1-25

主は主の教会を築き上げるための指示をお与えになり,悔い改めを宣べ伝えるためにオリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーを召される

教義と聖約18:1-5。「記されているものに頼りなさい」

1829年6月,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリがモルモン書の翻訳を終えようとしていたとき,主は教会が正式に組織される時に備え,教会を築き上げる方法についての指示を明らかにされました(教義と聖約18章,見出し参照)。この取り組みにおいてオリバーを導くため,主はオリバーに,モルモン書に記されている事柄に頼るよう勧告されました。教会が組織される前に,オリバーはモルモン書を使って,必要不可欠な儀式と聖約の一覧を“Articles of the Church of Christ”(『キリスト教会の規定』」)という文書にまとめました。この文書は,教会が1830年4月6日に正式に組織されるまでの数か月の間,信者を導くために活用されたと思われます。(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, ed. Michael Hubbard MacKay and others [2013], 368–69

教義と聖約18:9-16。オリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーはパウロと同じ召しに召される

モロナイが3人の証人に現われてから間もなく,これらの証人の二人であるオリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーは,「この民に悔い改めを叫ぶ」よう命じられました(教義と聖約18:14)。主は,彼らが「まさに,〔使徒〕パウロが召されたと同じ召しに召されている」と言われました(教義と聖約18:9)。使徒26:15-20に記録されているように,パウロは,自分が見たことを「あかしし,……伝える務」(使徒26:16)に主によって召されたとアグリッパ王に説明しました。パウロは,自分の召しが「ダマスコにいる人々に,それからエルサレムにいる人々,さらにユダヤ全土」(使徒26:20)に加え,異邦人の中でも「彼らの目を開き,彼らをやみから光へ……帰らせ〔る〕」(使徒26:18)ように教えを説くことだと言いました。パウロは,自分の改宗後,ほかの人々が悔い改めてイエス・キリストの福音に帰依するよう助けるために生涯働きました。

〔ニューヨーク州コールズビルとペンシルベニア州ハーモニーの間にあるサスケハナ川沿いの画像〕

メルキゼデク神権は,ペンシルベニア州ハーモニーとニューヨーク州コールズビルの間にある自然の中で回復された(1907年ごろ撮影)。

教会歴史図書館アーカイブの厚意により掲載

教義と聖約18:10。「人の価値〔は〕神の目に大いなるものである」

オリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーは,神の子供である一人一人は価値があり,福音を宣べ伝えることが必要不可欠であると思い起こさせられました。(教義と聖約18:10参照)。トーマス・S・モンソン大管長は,人の価値について話しました。

「1967年3月,十二使徒評議員会の一員としてわたしが働きだしたばかりのことです。わたしはソルトレーク・シティーのモニュメントパーク西ステークのステーク大会に出席していました。一緒に大会に出席したのは,教会の中央福祉委員会の一員,ポール・C・チャイルド兄弟でした。……

チャイルド兄弟は自分の話の番が回ってくると,教義と聖約を手に持って,説教壇を離れ,これからメッセージを伝えようとする神権者の兄弟たちの中に立ちました。彼は第18章を開くと,読み始めました〔10節および15節〕。……

チャイルド兄弟は聖典から目を上げると兄弟たちにこう尋ねました。『人の値とは,何でしょうか。』彼はビショップやステーク会長,高等評議員を指さずに,代わりに長老定員会会長を選んで答えさせました。この定員会会長は少し眠たそうにしていて,質問の大切さをよく把握できませんでした。

あわてふためいた兄弟は,尋ね返しました。『チャイルド兄弟,恐れ入りますが,質問を繰り返していただけますか。』

質問が繰り返されました,『人の値とは,何でしょうか。』

……わたしは定員会会長のために熱心に祈りました。彼は永遠とも思えるほどの間,沈黙を保っていましたが,やがて口を開いてこう言いました。『チャイルド兄弟,人の値とは人が神となれる可能性ではないでしょうか。』

出席者全員がその答えに深く思いを巡らせました。チャイルド兄弟は説教壇に戻ると,わたしの方に体を傾けてこう言いました。『味わい深い答えですね。実にすばらしい。』こうして,彼は話を続けましたが,わたしはあの霊感された答えに,ずっと思いをはせてきました。」(「兄弟の守り手」『聖徒の道』1995年1月号,50)

モンソン大管長は後に次のように宣言しました。「人を見るとき,現在の姿ではなく,将来なれる姿を見る責任があるのです。周囲の人々について,どうかこのように考えるようお願いします。」(「人が将来なり得る姿を見る」『リアホナ』2012年11月号,70)

教義と聖約18:15-16。悔い改めを叫ぶことの意味

十二使徒定員会のニール・L・アンダーセン長老は次のように説明しました。「悔い改めを叫ぶとは,人々が神のもとに帰る助けをするという意味にほかなりません。」(“Preparing for Your Spiritual Destiny” [Brigham Young University fireside address, Jan. 10, 2010], 7, speeches.byu.edu

教義と聖約18:20。「悪魔の教会……と……争〔う〕」

教義と聖約18:20は,福音についてほかの人と争いなさい,または討論しなさいという戒めであると見なさないようにしなければなりません。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように教えました。「『悪魔の教会のほか,いかなる教会とも争ってはならない』と命じられるとき,これが,すべての邪悪,すなわち義と真理に反することと対決するためのわたしたちへの指示であることを理解しなければなりません。」(Church History and Modern Revelation, 1:83)これは,ほかの教会やその会員に反対するようにという呼びかけではありません。

教義と聖約18:21-25。すべての人はキリストの名を受けなければならない

わたしたちは,悔い改め,バプテスマ,最後まで堪え忍ぶことを通してキリストの名を受けるという望みを表します。大管長会のヘンリー・B・アイリング管長は,その意味を次のように説明しました。「主の御名を受けると約束します。すなわち,自分を主のものと見なすのです。生活の中で主を最優先します。自分の望みや,世が教える望みではなく,主が望まれることを求めるのです。」(「わたしたちが一つとなれるように」『聖徒の道』1998年7月号,71参照)

イエス・キリストの名を受けることの詳細については,本書の教義と聖約20:77,79の解説を参照してください。

教義と聖約18:26-47

主は十二使徒の召しと使命を明らかにされる

教義と聖約18:27-32。「この十二人は,十分に固い決意をもってわたしの名を受け〔る〕」

十二使徒定員会は1835年2月に組織されました。しかし,預言者ジョセフ・スミスはその6年前の1829年6月に,教義と聖約18章に記録された啓示を受けました。この啓示には,十二使徒の召しに備え,彼らの使命についての指示が含まれています。この章では,十二使徒が異邦人とユダヤ人に福音を宣言する,イエス・キリストの名を受ける,必要な儀式を提供する,および聖霊の指示に従って業を組織する必要があることが説明されています。

十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は,使徒たちにとってキリストの名を受けることが何を意味するかについて説明しました。「多くの聖句は明らかに,『イエス・キリストの名』を救い主の権能を示すものとして用いています。七十人がイエスに『あなたの名によっていたしますと,悪霊までがわたしたちに服従します』(ルカ10:17)と報告しましたが,この出来事からもそれが分かります。また,教義と聖約の中ではこの神権時代の十二使徒を次のように表現していますが,これも同じ意味です。『十分に固い決意をもってわたしの名を受けたいと願う人々である。』(教義と聖約18:27)十二使徒は後に『全世界におけるキリストの名の特別な証人』として,また『教会の大管長会の指示の下に主の名において職務を行〔う〕』よう任命されました(教義と聖約107:23,33)。」(「イエス・キリストのみ名を受ける」『聖徒の道』1985年7月号,82-83参照)

教義と聖約18:34-36。「あなたがたは,わたしの声を聞いた」

主は将来の使徒たちに,教義と聖約18章に含まれる言葉は人間によって与えられたのではなく,主の声を通して与えられたと言われました。七十人のキム・B・クラーク長老は,主の声を聞くために何をしなければならないのか説明しました。「わたしたちがキリストを頼って目を開き,耳を澄ませるならば,聖霊はわたしたちが自分の生活において働く主イエス・キリストの御手を認識できるよう,また主を信じるわたしたちの信仰を強めてくださっていることが分かるよう確信と証拠を与えてくださいます。神が御覧になるように愛と思いやりをもって兄弟姉妹を見ることができるようになっていきます。救い主の声は聖文や御霊のささやき,預言者の言葉の中で聞くことができます。」(「見る目と聞く耳」『リアホナ』2015年11月号,125)

〔聖文を研究する若い男性の画像〕

わたしたちは聖文を通してわたしたちに語られる救い主の声を聞くことができる。

教義と聖約18:37。「十二人を探し出す務め」

教義と聖約18章の啓示が与えられた時,主の指示の中でマーティン・ハリスに対するものはありませんでした。しかし,マーティンは後に,オリバー・カウドリとデビッド・ホイットマーとともに十二使徒を選ぶ業に加わりました。回復の真実性についての特別な証を受けた3人の証人たちは,後に使徒として聖任された「十二人を探し出す」(教義と聖約18:37)の務めを果たしました。1835年2月に使徒が召されたとき,オリバー・カウドリは1829年にこの啓示を授けられた時から,「これらの十二人がだれであるのかを見つけるために,わたしたちの思いを絶えず向けてきました」と述べています(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, 70)。

教義と聖約18:44。「あなたがたの手によって,わたしは……驚くべき業を行〔う〕」

大管長会のディーター・F・ウークトドルフ管長は,主がわたしたちを通して御業を行われる方法について教えました。

「救い主の完全な模範に倣うならば,わたしたちの手は主の手となり,目は主の目となり,心は主の心となることができます。……

このことを念頭に置いて,心を他の人に向け,思いやりをもって手を差し伸べましょう。だれもがそれぞれにいばらの道を歩んでいるのですから。わたしたちの主イエス・キリストの弟子として,わたしたちは非難するためではなく支え,癒すために召されています。……

救い主の御手になろうと決意しようではありませんか。わたしたちを通して人が救い主の愛の御腕を感じられるようにしようではありませんか。」(「あなたは,わたしの手である」『リアホナ』2010年5月号,68,69-70,75参照)