第7章
教義と聖約4章;11-12章;14-16章
紹介とタイムライン
1829年初頭,ジョセフ・スミス・シニアはペンシルベニア州ハーモニーにいる息子のジョセフを訪問した。滞在中,ジョセフ・スミス・シニアは,主の業を助けるために何をすることができるか知りたいと望んだ。預言者は主に尋ね,教義と聖約4章に記録されている啓示を受けた。主はこの啓示で,人が主の業を助ける資格があると見なされるための特質を明らかにされた。
1829年5月,預言者の兄ハイラムは,ジョセフを訪ねるためにペンシルベニア州ハーモニーに赴いた。ハイラムの依頼に応じて,預言者は彼の兄に関する主の御心を明らかにしてくださるよう主に尋ねた。教義と聖約11章に記録されている啓示で,主はハイラムに,シオンを確立するためには彼が何を行わなくてはならないかを告げられた。
ジョセフ・ナイト・シニアは1829年5月に預言者ジョセフ・スミスを訪ねた。彼は,神の業において奉仕し,援助したいと申し出た。教義と聖約12章には,彼に対する主の勧告が含まれている。
ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリがニューヨーク州フェイエットにあるピーター・ホイットマー・シニアの家に移り,モルモン書の翻訳を再開した後,預言者はピーター・ホイットマー・シニアの3人の息子であるデビッド,ジョン,ピーター・ホイットマー・ジュニアに対する啓示を受けた。教義と聖約14-16章に記録されているこれらの啓示で,主は人々を御自分のもとに導くために悔い改めを宣言することの重要性を強調された。
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1829年1月ジョセフ・スミス・シニアはペンシルベニア州ハーモニーにいるジョセフとエマ・スミスを訪問した。
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1829年2月教義と聖約4章が与えられた。
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1829年5月ジョセフとエマ・スミスはハイラム・スミスとジョセフ・ナイト・シニアの訪問を受けた。
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1829年5月教義と聖約11-12章が与えられた。
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1829年6月1日ごろジョセフとオリバーは,モルモン書の翻訳を継続するためにニューヨーク州フェイエットに移住した。
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1829年6月教義と聖約14-16章が与えられた。
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1829年6月下旬三人の証人と八人の証人が金版を見た。
教義と聖約4章:追加の歴史的背景
ジョセフ・スミス・シニアは,息子ジョセフに与えられた天の現れの話を最初に聞いた人の一人でした。彼は自分の息子の確固たる信者となり,神から与えられたジョセフの使命の擁護者となりました。1829年1月,ジョセフ・スミス・シニアと息子のサミュエルは,ジョセフ・スミス・ジュニアと彼の妻エマを訪問するために,ニューヨーク州パルマイラ近くの自宅からペンシルベニア州ハーモニーに赴きました。この訪問の間,ジョセフ・スミス・シニアは,神の業において自分が携わることができる役割に関する啓示を求めました。(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, ed. Michael Hubbard MacKay and others [2013], 5)その答えとして与えられた啓示は,神の業に召されるために人が育まなければならない重要な特質を説明するものでした。自宅に戻った後,ジョセフ・スミス・シニアと彼の妻のルーシーは,学校の教師であったオリバー・カウドリに一緒に暮らすように招待しました。オリバーがジョセフ・スミス・ジュニアと「金の聖書」に関して耳にした噂について尋ねたとき,ジョセフ・スミス・シニアは当初それらについて詳しく話すのをためらいました。その地域の多くの人々が息子を嘲笑していることを知っていたからです。しかし,最終的に,モルモン書の版とそれらを翻訳するジョセフの責任に関する事実を幾つか話しました。教義と聖約4章でジョセフ・スミス・シニアが受けた業に対する召しが,その版についてオリバー・カウドリとより率直に話す勇気を彼に与えたのかもしれません。(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, 11, 13)
教義と聖約4章
主は,人が何によって主の業を助ける資格があると見なされるかをジョセフ・スミス・シニアに明らかにされる
教義と聖約4:1。「驚くべき業が……現れようとしている」
古代,主は末の日に背教が起こるだろうと預言されました。そのため,主は「この民に,再び驚くべきわざを行」われ,「それは不思議な驚くべきわざ」となります(イザヤ29:14)。
教義と聖約4:1にある表現は,この啓示が与えられた時にはイザヤの預言がまだ成就していなかったことを示しています。デビッド・O・マッケイ大管長(1873-1970年)は,この聖句について次のように述べました。「この啓示が預言者ジョセフに与えられたとき,ジョセフはわずか23歳でした。モルモン書はまだ出版されておらず,神権に聖任された人はいませんでした。教会も組織されていませんでしたが,『驚くべき業が人の子らの中に現れようとしている』という言葉が何の条件もないまま伝えられ,書き留められました。」(in Conference Report, Oct. 1966, 86)教会が組織される前に,教義と聖約4:1と同様の言葉を含むさらなる啓示が幾つか与えられました(教義と聖約6:1;11:1;12:1;14:1参照)。
教義と聖約4:2-3。「あなたがたの心と,勢力と,思いと,力を尽くして神に仕えなさい」
教義と聖約4章に記録されている啓示は,もともとジョセフ・スミス・シニアに与えられたものですが,神の業に携わりたいと願う人すべてに当てはめることができます。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は次のように書きました。「この啓示はわずか7節と非常に短いものです。しかしこの中には生涯研究して余りあるほどの勧告と指示が含まれています。……神に仕えるための教会員の資格について,あらゆる聖典の中で,これほど大いなる指示がこれだけ凝縮した形で表現されている啓示は,他にないでしょう。内容は永遠のごとく広く,高尚で,深みがあります。」(Church History and Modern Revelation [1953], 1:35)
十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老が説明したように,神に仕えることを望む人々には大きな個人的な努力が求められます。
「〔教義と聖約4:2にある〕この戒めから,神に仕えるには,勢力と力を尽くすだけでは十分ではないことが分かります。わたしたちの心の中を読み,思いを御存じの神は,それ以上のことを期待しておられるのです。終わりの日に神の前にとがなくして立つためには,心と思いを尽くして奉仕しなければならないのです。
心と思いを尽くして奉仕することは,だれにとっても大変なチャレンジです。そのような奉仕は,利己的な野心と無縁のものでなければなりません。そのような奉仕の真の動機となり得るのは,キリストの純粋な愛以外にありません。」(「何のために奉仕するのか」『聖徒の道』1985年1月号,15)
教義と聖約4:4。「畑はすでに白くなり刈り入れを待っている」
現世における務めの間,弟子たちに話をされた主は,福音を受ける備えのできた人々を収穫できる状態になった畑の穀物と比較されました。「目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。」(ヨハネ4:35)小麦や大麦などの穀物は,成長するにつれて色が変わります。若いときには緑色ですが,成熟するにつれて色が薄くなるのです。収穫できる状態になると,穀物は「白い」色と表現することができます。主はこの隠喩を,人々が福音を教えられ,主のもとに,そして主の教会に集う備えができていることを示すために,末日の啓示の数か所でお使いになりました(教義と聖約6:3;11:3;12:3;14:3;31:4;33:3参照)。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,畑は今も収穫の準備が整った状態であることを教会指導者と会員に思い起こさせました。
「この業への熱意とあらゆる国民,部族,国語の民,民族に福音を伝えるというきわめて大きな責任を負っている宣教師を助けたいという強い望みを持つ大規模な軍勢になってください。『畑はすでに白くなり刈り入れを待っている〔。〕』(教義と聖約4:4)主は繰り返しそのように宣言なさいました。その御言葉どおりに信じるべきではないでしょうか。
教会が組織される以前にも,伝道の業は行われていました。そのとき以来,聖徒が経験した多くの苦難にもかかわらず,伝道の業は続いてきたのです。わたしたち一人一人が心の内に決心して立ち上がりましょう。地上に住む神の息子,娘に不死不滅と永遠の命をもたらすという天の御父の栄えある業の一助となるために,新しい機会を受け入れ,新しい責任感を抱き,新しい義務を引き受けましょう。」(「子羊を見いだし,羊を養う」『リアホナ』1999年7月号,127参照)
教義と聖約4:4。「鎌を入れる者は,……自分に救いをもたらす」
鎌は,穀物を収穫するために使われる大きな湾曲した刃物です。収穫者は,作物を掴んでから鎌を手前に引くように刈る,または作物の根元に振り降ろして刈る形で鎌を使います。この道具を使って穀物を収穫することは,非常にたくさんの人手を要し,時間もかかります。この隠喩は,人々をイエス・キリストに導くために必要な勤勉な働きを表しています。
七十人のケビン・R・ダンカン長老は,鎌の隠喩がどのように伝道活動に当てはまるかについてさらなる洞察を提供しました。
「聖文はわたしたちに勢力を尽くして鎌を入れるように教えています(教義と聖約4:4参照)。わたしたちの農場で,わたしはいつも鎌を使いました。わたしの場合,単に鎌を強く振るだけでは十分ではないと学びました。刈るためには鎌も鋭く研がれていなければなりませんでした。鎌の切れ味が鈍ければ,相当な労力を費やして鎌を振り回しても上手く刈れません。
農場では,鎌を毎日研ぐためにやすりを手もとに置いていました。伝道活動でも,そして実に人生全般においても,わたしたちは自分の可能性を最大限に発揮することができるように,霊的な鎌を研いでおかなければなりません。毎日聖典を読む,祈る,そしてほかのすべての戒めを守ることは,鋭く,有益な状態を維持する助けとなります。」(“Abandoned Seeds in Rocky Places,” New Era, July 2014, 18)
教義と聖約4:4では,伝道の努めを通してわたしたちが自らの魂の救いをもたらすことを主が約束されています。大管長会のヘンリー・B・アイリング管長は,これがどのように起こり得るのかについて説明しました。「最善を尽くして人々をキリストのもとに招くなら,自分の心も変わります。……人々が主のもとに来るのを助けることにより,あなた自身も主のもとに来たことを悟るでしょう。」(「キリストのもとに来なさい」『リアホナ』2008年3月号,52)
教義と聖約4:5-6。「信仰,希望,慈愛,愛を持つ者には,その業に携わる資格がある」
主は御自分の業を助ける人に,肉体的に優れていたり,知的能力に優れていたりすることを求めてはおられません。そうではなく,主はその人が教義と聖約4:5-6に挙げられているキリストのような特質を育む努力をするように求めておられます。大管長会のディーター・F・ウークトドルフ管長は,わたしたちがこれらの特質を育むとどうなるか,次のように教えています。「『信仰,徳,知識,節制,忍耐,兄弟愛,信心,慈愛,謙遜,〔奉仕〕』〔教義と聖約4:6〕というキリストのような特質を伸ばしたいと切に願うならば,天の御父は皆さんを,多くの人を救うために御手に使われる者としてくださいます。」(「主よ,それはわたしですか」『リアホナ』2014年11月号,58)
教義と聖約4:7。「求めなさい。そうすれば,与えられるであろう」
ジョセフ・スミス・シニアは,教義と聖約4章に記録されている啓示から,主が,主の業に召された人々に霊的な導きや助けを喜んで与えてくださることを学びました。十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン会長は,祈りに対する答えを得る助けとするためにキリストのような特質を得ることの重要性を明確にしました。
「皆さんがそれぞれ自分自身の必要や責任に関する独自の啓示を受けられるように,幾つかの指針が示されています。主は皆さんに,『神の栄光にひたすら目を向けて,信仰,希望,慈愛,愛を』育むように求めておられます。その後,皆さんは確固とした『信仰,徳,知識,節制,忍耐,兄弟愛,信心,慈愛,謙遜,勤勉』をもって求めることができ,そうすれば,与えられるでしょう。たたくことができ,そうすれば,開かれるでしょう。〔教義と聖約4:5-6;強調付加。7節も参照。〕……
すべての末日聖徒には,個人の啓示を受ける資格があります。」(「求めよ,捜せ,門をたたけ」『リアホナ』2009年11月号,83)
教義と聖約11章:追加の歴史的背景
ジョセフ・スミスの兄ハイラムは,1829年5月にペンシルベニア州ハーモニーにいる預言者を訪れたとき,ジョセフの業に対する信仰が持続していることを示しました。モルモン書の翻訳の進捗状態と神権の回復を知ったハイラムは,その業を助けるために神が自分に何を任せるおつもりなのか知りたいと思いました。ジョセフは,ウリムとトンミムを使って教義と聖約11章に記録されている啓示を受けました。ジョセフは数週間後の1829年6月にハイラムにバプテスマを施し,ハイラムはモルモン書の八人の証人の一人になる特権を得ました。ハイラムは,回復されたイエス・キリストの教会が1830年4月6日に組織されたとき,最初の六人の会員の一人にもなりました。
教義と聖約11章
主は主の業を助けるためにしなくてはならない事柄をハイラム・スミスに明らかにされる
教義と聖約11:2。神の言葉は「もろ刃の剣よりも鋭〔い〕」
神の言葉の力は,教義と聖約の数節で「もろ刃の剣よりも鋭〔い〕」と表現されています(教義と聖約6:2;11:2;12:2;14:2;33:1参照)。二つの鋭い刃を持つ武器は,鋭い刃が一つしかない剣よりも切る効果を発揮できます。神の言葉は,そのような武器よりもさらに鋭いと述べられています。「万物を貫〔く〕……静かな細い声」(教義と聖約85:6)のように,神の言葉はすぐさま人の心の奥底に入ることができます。
十二使徒定員会のオーソン・プラット長老(1811-1831年)は,剣のイメージと,それが神の言葉の力をどのように表しているかをさらに説明しました。「シンプルな真理のメッセージは,神から与えられたとき,すなわち神から霊感を受けた人を通じて神聖な権能によって世に明らかにされたときに,鋭いもろ刃の剣のように人の心を貫き,古くから存在するために神聖であるとされ,人間の知恵によって広められた根深い偏見,古代の過ちの頑固な根源を粉々に打ち砕きます。これは,真理と誤り,つまりキリストの教義と人間の教義の間を寸分も違わない正確さで切り離し,有識の人々が異を呈するであろうあらゆる論争をいとも簡単に鎮めます。霊感を受けない人の考えや信条,そして神学校に端を発する教義は,すべて朝露のように消え失せるのです。すなわち,天から直接受けたメッセージと比べるとき,すべては取るに足らないものとなるのです。」(“Divine Authority—or Was Joseph Smith Sent of God?”Orson Pratt’s Works on the Doctrines of the Gospel [1945], 1:1)
教義と聖約11:6-8。「あなたはこの時代に大いに善を行う仲立ちとなるであろう」
主は,戒めを守れば生涯にわたって大いに善を行う仲立ちとなるであろうとハイラム・スミスに約束されました。十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は,ハイラム・スミスの重要な偉業の幾つかを指摘しました。
「〔ハイラムは〕回復の長く困難な過程を通じて,弟の預言者ジョセフを援助し,仕えました。そして最後には,ジョセフ・スミスとともに,過去の福音の神権時代の殉教者の一人に加えられました。世に対する最後の証として,自らの血を流したのです。……
ハイラムはたゆむことなく教会に奉仕しました。1829年には,数人の兄弟とともに,金版を見ることを許されました。この金版からモルモン書が翻訳されたのです。そして,『金版を実際に目で見,手で持ち上げてみた』〔quoted in Richard Lloyd Anderson, Investigating the Book of Mormon Witnesses [1981], 158–59〕八人の証人の一人として,残りの生涯,モルモン書の神聖さを証しました。……1830年,当時30歳のハイラムは,末日聖徒イエス・キリスト教会を正式に組織するために選ばれた6人の中で最年長でした。……神殿管理委員会の長として,ハイラムは,教会員を集めて,ほとんどの会員が文字どおり何もできないときに,カートランド神殿の建設という不可能と思われた仕事を成し遂げました。また数年後には,ノーブー神殿の建設のために同様の働きをしました。
ハイラムは,オハイオでビショップリック,最初の高等評議員,祝福師,大管長会顧問,そしてかつて二人しか受けていない大管長補佐の職に就いて,働きました。……
確かに,ハイラム・スミスは,回復の強固な柱でした。しかし悲しいことに,多くの教会員は,カーセージの監獄で弟とともに殉教したこと以外,ハイラムについてほとんど知りません。殉教は重要ですが,彼はもっと多くのことをしています。ジョセフ・スミス自身がかつて同胞に,ハイラムの模範に従って生活するよう勧めたほどです〔see History of the Church, 5:108〕。」(「ハイラム・スミス—『天の柱のように強固』な人」『聖徒の道』1996年1月号,5-6)
教義と聖約11:9。「この時代の人々には,悔い改めのほかに何も語ってはならない」
「この時代の人々には,悔い改めのほかに何も語ってはならない」(教義と聖約11:9)という主の戒めは,イエス・キリストとその贖罪の真実性と,悔い改め,福音の律法と儀式に従順な人々が手にすることのできる救いを宣べ伝えなさいという意味です。「悔い改めのほかに何も語ってはならない」とは,福音のほかの教義や原則を教えるべきではないという意味ではありません。そうではなく,これはわたしたちの教えを福音,つまり主イエス・キリストの憐れみ,恵み,そして功徳による悔い改めと救いの福音の範囲内にとどめることを意味します。
教義と聖約11:12-14。「善を行うように導く……御霊を信頼しなさい」
教義と聖約11章に記録された啓示が与えられる前の数か月間,主は聖霊を通して霊感を求め,認識する方法に関してオリバー・カウドリをお教えになりました(教義と聖約6章;8-9章参照)。主はこの啓示で,御霊の影響と導きを認識する方法に関してさらなる洞察を明らかにすることによって,その理解を増し加えられました。主はハイラム・スミスに御霊を信頼するよう勧告し,御霊は「善を行うように導く,すなわち,公正に行動し,へりくだって歩み,義にかなって裁くように導く」とお教えになりました(教義と聖約11:12)。
主はまた,御霊がわたしたちの思いとわたしたちの心に真理を明らかにするであろうという以前の主の教えをさらに強化されました(教義と聖約8:2参照)。ハイラムに対するこの啓示で,主は御霊が「あなたの思いを照らし」「あなたの霊に喜びを満たす」(教義と聖約11:13)と説明されました。御霊がわたしたちの思いを照らすとき,わたしたちは真理をより明確に目にし,理解します(教義と聖約76:12参照)。主はハイラムに,このように理解が深まるのは,ハイラムが「わたしに願うこと……は何であろうとすべて知る」ことができるようにするための御霊の方法であるとお教えになりました(教義と聖約11:14)。
十二使徒定員会のリチャード・G・スコット長老(1928-2015年)は,わたしたちの生活の中で困難に直面し,導きを求めているときに御霊を信頼するべき理由を説明しました。「天の御父は皆さんが問題に直面し,判断能力を超えた選択を迫られることがあるのを御存じでした。御父は幸福の計画の中で,皆さんがそのような現世での問題や選択に対処する際に助けを受けられる方法を用意されました。この助けは,聖霊を通して霊的な導きとして来ます。霊的な導きは,皆さんが持つ能力以上の力です。平安と幸福を得るために皆さんがこの力を絶えず用いることを,愛に満ちた天の御父は望んでおられます。」(「霊的な導きを得るために」『リアホナ』2009年11月号,6)
教義と聖約11:15-21。「わたしの言葉,わたしの岩,わたしの教会,わたしの福音を得るまで,……待ちなさい」
主はハイラム・スミスに,まだ福音を宣べ伝えるようには召されていないことを言い聞かせられました(教義と聖約11:15参照)。主は,そのように召される前に,力と御霊をもって福音を教えることができるようになるために行わなければならない事柄をハイラムにお教えになりました。この啓示が与えられた1829年5月,ハイラムはまだバプテスマを受けていませんでした。教会も組織されておらず,ハイラムは聖霊の賜物を授けられていませんでした。主はハイラムに,福音をより深く理解し,主の教義を確実に知るまで教えを説くのを待つように命じられました。ハイラムは,戒めを守り,御霊に請い求めるならば,やがて御霊を受け,ほかの人々が真理を知るように助ける力を持つようになると約束されました。
教義と聖約11:20。「わたしの戒めを守ることが,あなたのなすべきことである」
主は教義と聖約11章で,ハイラム・スミスに対して戒めを守るように4回指示されました(教義と聖約11:6,9,18,20参照)。十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老は,ハイラムに対する主の言葉がどのようにわたしたちそれぞれに関係しているのかについて教えました。
「最もよく知られ,度々引用される聖句の一つにモーセ書第1章39節があります。この聖句は,永遠の御父の業を,明確かつ簡潔に説明しています。『見よ,人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である。』(強調付加)
これと類似した聖句が教義と聖約の中にもあり,永遠の御父の息子や娘として第一になすべきことを,明確かつ簡潔に述べています。興味深いことに,この聖句はそれほど有名ではなく,度々引用されることもありません。『見よ,あなたの勢力と思いと力を尽くしてわたしの戒めを守ることが,あなたのなすべきことである。』(教義と聖約11:20;強調付加)
以上のことから,御父の業とは,その子供たちの不死不滅と永遠の命をもたらすことであると分かります。わたしたちのなすべきことは,勢力と思いと力を尽くして神の戒めを守ることです。」(「主の深い憐れみ」『リアホナ』2005年5月号,101-102)
教義と聖約11:21-22。「まずわたしの言葉を得るように努めなさい」
主はハイラム・スミスに福音を宣べ伝え始めるよう求められませんでした。その代わりに,聖書を研究し,モルモン書の翻訳が終わったときにはモルモン書も研究するようハイラムに命じられました(教義と聖約11:22参照)。主は,そうすれば御霊からの助け受けるというを約束とともに,主の言葉を宣言するために出て行くことができるとハイラムに言われました。ヘンリー・B・アイリング管長は,聖文の研究がどのように神の力をもって福音を宣言するよう人を備えるかについて説明しました。
「あなたが毎日聖文を研究し,深く考えていれば,聖霊は何を話すべきかをあなたに知らせてくださいます。聖文の言葉が聖なる御霊を招くのです。主はこのことを次のように述べておられます。『わたしの言葉を告げようとしないで,まずわたしの言葉を得るように努めなさい。そうすればその後,あなたの舌は緩められる。それから望むならば,あなたはわたしの御霊とわたしの言葉,すなわち人々を確信に導く神の力を受けるであろう。』(教義と聖約11:21)毎日聖文を研究することによって,普段,人と話すときやクラスで教師から質問されたときにもこの祝福を受けることができます。主が約束しておられる次のような力を体験することができるのです。『また,あなたがたは何を言おうかと,前もって思い煩ってはならない。ただ絶えず命の言葉をあなたがたの心の中に大切に蓄えるようにしなさい。そうすれば,それぞれの者に必要な部分が,必要なそのときに授けられるであろう。』(教義と聖約84:85)
聖文の言葉を読むだけでなく,研究することによって神の言葉を大切に蓄えるのです。章全体の上っ面を急いで読むよりも,短い章句について深く考える読み方の方がはるかに養いを受けることができます。聖霊が神の御言葉をわたしたちに大切に蓄えさせてくださるからです。」(「わたしの子羊を養いなさい」『聖徒の道』1998年1月号,96-97)
教義と聖約12章:追加の歴史的背景
1826年後半,ジョセフ・ナイトがパルマイラの南東約185キロにあるニューヨーク州コールズビルの彼の農場と製粉所での仕事のためにジョセフ・スミスとほかの人々を雇ったとき,ジョセフ・ナイト・シニアとその家族はジョセフと知り合いました。ジョセフがナイト家族の家で暮らしていたときに,ジョセフは,天からの御方が彼に現れ,古代の記録が埋められている場所を教えてくれたとナイト家族に話しました。息子の一人であったニューエル・ナイトは,家族が「主の使者から見せられたというモルモン書の金版に関する彼の話が真実であると非常に深く印象づけられた」と書き残しています(ウィリアム・G・ハートリー「ナイト家の人々—第1部」『聖徒の道』1989年10月号,26で引用)。
後に,預言者ジョセフ・スミスがモルモン書の版を翻訳していたとき,ジョセフ・ナイトは食糧と少しばかりの金銭を提供することで,ジョセフを何度か援助しました。教義と聖約12章に記録されている啓示が授けられたのは,恐らく1829年5月下旬,ジョセフ・ナイトが援助物資を届けるためにペンシルベニア州ハーモニーにいたジョセフ・スミスとオリバー・カウドリを訪問したときのことだった可能性があります。
教義と聖約12章
ジョセフ・ナイト・シニアは主の業を助けるために必要な事柄を教えられる
教義と聖約12:1-9。神の業を助けるよう召される人々に対する指示
教義と聖約12章と教義と聖約のほかの章にある指示の繰り返しは,救いの業を管理する原則が,その業を助けようとするすべての人に当てはまることを表しています(教義と聖約4章;6章;11章;12章;14章参照)。
教義と聖約12:8。「人は謙遜であり,愛に満ち……なければ,だれもこの業を助けることはできない」
教義と聖約12章に記録されているように,主はジョセフ・ナイト・シニアに,主の業を助けるにはキリストのような特質を得ることが必要不可欠であると話されました。ラッセル・M・ネルソン大管長は,人がこれらの特質を得ることができる過程を説明しました。「わたしたちはいつの日か裁きを受けますが,裁かれる性質はすべて霊に関するものです。これには愛,徳,高潔,思いやり,周りの人への奉仕が含まれます。皆さんの霊は,体とともにあり体に宿っているときに,永遠の進歩に欠かせない方法でこれらの性質を身につけ,示すことができます。霊的な成長は,信仰,悔い改め,バプテスマ,聖霊の賜物,そして聖なる神殿でのエンダウメントや結び固めの儀式を含む,最後まで堪え忍ぶという段階を踏むことによって達成されます。」(「神に感謝しましょう」『リアホナ』2012年5月号,79)
教義と聖約14-16章:追加の歴史的背景
オリバー・カウドリは,ペンシルベニア州ハーモニーに到着してから間もなく,ニューヨーク州フェイエットに住む友人デビッド・ホイットマーにモルモン書の版の翻訳をしているジョセフ・スミスの筆記者として働いていると説明した手紙を送りました。オリバーはその後数か月にわたってホイットマー家との手紙のやりとりを続け,その版の真実性について証しました。
ハーモニーで預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに対する迫害が強まり始めたとき,預言者はオリバーに,再びデビッド・ホイットマーに手紙を書いて,彼らが彼の家に行き,そこでモルモン書の翻訳を終えることができるかどうか尋ねるよう依頼しました。これに対する返信で,デビッドの父であるピーター・ホイットマー・シニアは,翻訳を終わらせるために必要な限り彼らの家に滞在するようジョセフとオリバーを招待しました。
デビッド・ホイットマーはすぐさま馬車に乗って預言者とオリバー・カウドリを迎えに行きたかったのですが,行く前に農場の土を耕して準備する必要がありました。「ところが,耕作を終えてその日の仕事を振り返ってみると,普段の2日分の面積を1日で耕していた。デビッドの父ピーター・ホイットマー・シニアもこれには奇跡だと言って感嘆し,こう述べている。『これは何か大きな力が働いているに違いない。畑に石灰をまいたらすぐにペンシルベニアに出かけるといい。』(石灰は土壌の酸化を低減させるものとして用いられた。)翌日,デビッドは石灰をまこうと畑に出た。すると驚いたことにすでにそれはまかれてあった。近くに住む彼の姉妹によれば,前日に子供たちに呼ばれて外に出ると,見ず知らずの3人の男が驚くほどの手際よさで石灰をまいていたとのことだった。てっきりデビッドの雇った者たちだと彼女は思ったのである。
こうした神の助けに感謝し,デビッドはハーモニーへの3日の旅に出発した。ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは町外れまで迎えに出ていた。デビッドはいつ到着するかを告げてはいなかったが,ジョセフは示現でデビッドのハーモニーへの旅の様子をつぶさに見ていたのだった。」(『時満ちる時代の教会歴史』56)
デビッドはジョセフとオリバーを連れてニューヨーク州フェイエットに向かい,1829年6月上旬に到着しました。ジョセフ・スミスは後に「デビッドとジョン,それにピーター・ホイットマー・ジュニアはわたしたちの翻訳の業の熱心な支持者,援助者となった」と書いています(inThe Joseph Smith Papers, Histories, Volume 1: Joseph Smith Histories, 1832–1844, ed. Karen Lynn Davidson and others [2012], 308)。この3人の兄弟たちは,「それぞれ,この業が真実のものであるという証を得ていたので,自分のなすべき務めをひどく気にかけるように」なりました(教義と聖約14章,見出し)。その求めの答えとして,預言者ジョセフ・スミスは兄弟それぞれのための啓示を受けました(教義と聖約14-16章参照)。
教義と聖約14-16章
主はデビッド・ホイットマー,ジョン・ホイットマー,ピーター・ホイットマー・ジュニアに御心を明かされる
教義と聖約14:7。「わたしの戒めを守り,最後まで堪え忍ぶならば」
「わたしの戒めを守り,最後まで堪え忍ぶ」(教義と聖約14:7)という主の勧告は,デビット・ホイットマーに対する警告または注意として見なすことができます。デビッドは三人の証人の一人になり,6人の最初の教会員の一人にもなりました。彼は後にミズーリ州に定住し,そこで教会の指導者として奉仕しました。しかし,1837年,デビット・ホイットマーは教会の背教者となったほかの人々に同調するようになりました。彼は1838年4月13日に破門され,教会に戻ることはついにありませんでしたが,死ぬまでモルモン書の版についての証を述べました。最後まで堪え忍ぶことの重要性は,十二使徒定員会のジョセフ・B・ワースリン長老(1917-2008年)によって次のように説明されました。
「最後まで堪え忍ぶことを,単に問題を何とか切り抜けることだと考えている人がいます。しかし実際は,はるかにそれ以上のことです。それはキリストのみもとに来て,キリストによって完全になる過程なのです。……
最後まで堪え忍ぶとは,信仰,悔い改め,バプテスマ,聖霊を受けることによって永遠の命に至る道に入った人が,その道を歩み続けるという教義です。最後まで堪え忍ぶには心を尽くすことが求められます。……
最後まで堪え忍ぶとは,人生を福音の土壌にしっかりと植え付け,承認された教会の教義を守り,謙遜に同胞に仕え,キリストのような生活を送り,聖約を守ることを意味します。」(「進み続ける」『リアホナ』2004年11月号,101)
教義と聖約14:7。「永遠の命……は,神のあらゆる賜物の中で最も大いなるものである」
十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老(1915-1985年)は,永遠の命が何であるか,そしてそれが神から授けられる最もすばらしい賜物であると見なされている理由について説明しました。
「永遠の命とは神が送っておられる類の人生の名称です。このために,これは『神のあらゆる賜物の中で最も大いなるもの』(教義と聖約14:7)であり,これを得る人々は神のようになることから,神と一つであるのです。
昇栄は,日の栄えの世界という最も高い天における受け継ぎから成るものです。日の栄えの世界は,昇栄した人全員が神が送っておられるような人生を送り,それゆえに神と一つとなるように,家族という単位が継続される唯一の場所であり,昇栄を受けた人それぞれが自分自身のために天の御父である神の家族を模範とした永遠の家族単位を得る場所です。
したがって,救われ,昇栄を得て,永遠の命を受け継ぐことはすべて,神と一つとなり,神のように生き,神のように考え,神のように行動し,神と同じ栄光,同じ力,同じ勢力と統治力を持つことを意味するのです。」(The Promised Messiah: The First Coming of Christ [1978], 130)
教義と聖約15-16章。同じ言葉を含む啓示
主は時折,異なる人々に対して同じメッセージを明らかにされることがあります。これは彼らが同じような望みを持ち,同じような状況にいる場合があるからです。例えば,今日教会の大管長によって与えられる伝道の召しには,ほぼ同じ言葉が使われています。それにもかかわらず,召しを受ける人は,それが彼らの宣教師としての奉仕における導きとなるため,与えられた指示が個人的に当てはまることに気づきます。教義と聖約15-16章に記録されているように,主はジョン・ホイットマーとピーター・ホイットマーを名前で呼び,一人ずつその御心を明らかにされました。
教義と聖約15:4-6(16:4-6)。「あなたにとって最も価値のあること」
教義と聖約15-16章に記録されている啓示で,主は,ほかの人々と神の言葉を分かち合ったことについてジョンとピーター・ホイットマーを祝福されました。二人は,悔い改めを宣言し,人々をイエス・キリストのみもとに導くことが,自分たちができる最も価値あることだと学びました。M・ラッセル・バラード長老は,人々をイエス・キリストのみもとに導くことにそれほど大きな重要性がある理由の一つを説明しました。「兄弟姉妹の皆さん,決して忘れないでください。皆さんもわたしも,人々を主に導く真の教義を知っているのです。イエス・キリストの回復された福音自体に,真実不変の幸福を人に与える力があるのです。それはこれから先,永遠にわたって尊ばれ,大切にされるものなのです。わたしたちは単に人々を教会に加入させているのではありません。イエス・キリストの完全な回復された福音を伝えているのです。しかし,このメッセージがいかに力強いものであっても,それを人に押しつけたり強要したりすることはできません。ただ心から心へ,魂から魂へ,霊から霊へ伝えることができるのです。善き隣人となり,心を配り,愛を示さなければなりません。」(「会員伝道のきわめて重要な役割」『リアホナ』2003年5月号,40)