「第35章:教義と聖約89-92章」教義と聖約 生徒用資料
「第35章」教義と聖約 生徒用資料
第35章
教義と聖約89-92章
紹介とタイムライン
預言者の塾が始まった後の1833年初めに,神権を持つ兄弟たちが集会中にたばこを用いることについて,預言者ジョセフ・スミスは主に尋ねた。1833年2月27日にジョセフの質問に対する答えとして,主は教義と聖約89章に記録されている啓示をお与えになった。後に知恵の言葉として知られるようになるこの啓示の中で,主は害のある物をとることを警告され,健康に良い食物をとるように勧告された。また従順なら祝福を与えると約束された。
1833年3月8日,主は教義と聖約90章に記録されている啓示をお与えになった。この啓示には大神権の大管長会への指示が含まれており,「大管長会を確立するに当たっての継続的な一段階」であった(教義と聖約90章の前書き)。
旧約聖書の霊感訳に取り組んでいたときに,預言者は自分の聖書の翻訳の一部として聖書外典を含めるべきかについて主に尋ねた。1833年3月9日,主は教義と聖約91章に記録されている啓示を通してジョセフ・スミスの問いに答え,聖書外典を翻訳する必要はないと言われた。
1833年3月15日,預言者は教義と聖約92章に記録されている啓示を受け,フレデリック・G・ウィリアムズに,教会の福祉と事業を監督するために設立された共同商会の活発な会員となるよう指示を与えた。
教義と聖約89章:追加の歴史的背景
1830年代,たばことアルコールはアメリカ合衆国で,また末日聖徒の中でさえも広く用いられていました。1700年代後半から1800年代前半に始まり,様々な宗教の間で,アルコールの使用の節制または禁止を呼びかける禁酒運動が始まりました。オハイオ州カートランドでは,福音を宣べ伝えるためにニューヨークから宣教師が到着する以前の1830年10月に,禁酒協会が地元に組織されました(see Jed Woodworth, “The Word of Wisdom,” in Revelations in Context, ed. Matthew McBride and James Goldberg [2016], 184–86, or history.lds.org; see also The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, ed. Gerrit J. Dirkmaat and others [2014], 12)。
1833年1月23日に組織された預言者の塾は,カートランドにあったニューエル・K・ホイットニーの店の2階の部屋で定期的に開かれるようになりました。その部屋はジョセフ・スミスとエマ・スミスが住んでいた住居の一部にありました。集会中にたばこを使用していることで,預言者ジョセフ・スミスが啓示を求めるよう促される状況がもたらされました。
1868年に与えられた説教の中で,預言者の塾の環境について,ブリガム・ヤング大管長は次のように述べています。「兄弟たちは11×14フィート〔すなわち3×4メートル〕ほどしかない小さな部屋で開かれる塾に出席しようと,はるばる数百キロも旅をしてやって来ました。朝食後に集まるこの部屋で,彼らが最初にするのはパイプに火をつけることでした。そしてたばこを吸いながら,王国の偉大な事柄について話すのです。また部屋中至る所につばきを吐きました。パイプのたばこを吸い終わるやいなや,今度はかみたばこです。預言者が塾で教えるために部屋に入ると,たばこの煙が部屋中に立ち込めていることがしばしばありました。このことと,ひどく汚れた床を掃除しなければならないと妻から苦情を受けたことから,預言者はこの件について思い巡らすようになり,長老たちがたばこを口にすることに関して主に尋ねました。その結果与えられたのが知恵の言葉として知られている啓示です。」(“Remarks,” Deseret News, Feb. 26, 1868, 18)
預言者の塾の参加者の一人であるゼベディー・コルトリンは,預言者が兄弟たちにこの啓示を読み上げた後,彼らは「すぐにたばことパイプを火の中に投げ入れた」と言っています(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 15, note 73)。
教義と聖約89章
主は知恵の言葉を明らかにされる
教義と聖約89:1-2。「戒めや強制としてではなく」
預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示の多くは主から戒めとして与えられています。しかし,教義と聖約89章に記録されている啓示は,「戒めや強制としてではなく,啓示と知恵の言葉として」もたらされたものだと見なされています(教義と聖約89:2)。この啓示は教会員に知恵の言葉として知られるようになりました。この啓示が与えられた直後,教会員は知恵の言葉に見合った生活をしていませんでしたが,教会指導者は初期の教会の歴史を通して,教会員がもっと完全に知恵の言葉を守って生活するように徐々に勧めていきました。1851年の秋の総大会において,ブリガム・ヤング大管長はすべての聖徒らが茶,コーヒー,たばこ,ウィスキーをやめるために正式に聖約するように提示しました。1882年10月13日,主はジョン・テーラー大管長に,知恵の言葉は戒めとして見なすべきであることを明らかにされました。1919年には,大管長会が,ヒーバー・J・グラント大管長の指示の下,神殿推薦状を受けるために知恵の言葉を守ることを条件としました。今日でも知恵の言葉は重要な戒めであり,それに従うことはバプテスマ,神殿参入,伝道や教会のそのほかの価値ある奉仕をするための前提条件です。
主が聖徒たちにこの啓示に徐々に従うようにされたのは,神の子供たちに対する憐れみと愛の表れです。ジョセフ・F・スミス大管長(1838-1918年)は次のように説明しています。「当時,……もし〔知恵の言葉が〕戒めとして与えられていたら,これらの有害な物質の中毒となっていた人々がすべて罪に定められたでしょう。このため主は憐れみを示され,これを律法とする前に克服する機会をお与えになりました。」(in Conference Report, Oct. 1913, 14)
教義と聖約89:2。「終わりの時におけるすべての聖徒たちの現世の救い」のため
教義と聖約89章に記録されている啓示が与えられた当時,医療科学は,アルコールとたばこの使用を控えることによって肉体的健康に効果があることを明らかにしていませんでした。この啓示の中で主は,知恵の言葉の教えは,「終わりの時におけるすべての聖徒たちの現世の救いに関する神の方式と御心を示すもの」であるとされました(教義と聖約89:2)。この現世の救いとは,肉体的な健康と活力が増進するという約束のことを表していると考えられます。主は,肉体は神からの賜物であり,人の永遠の行く末に重要な役割を果たしていることを明らかにされています(アルマ11:43;40:23;教義と聖約88:15参照)。
主は以前に聖徒たちにこのように教えています。「わたしにとってはすべてが霊にかかわるものであり,わたしはいまだかつて,現世の律法をあなたがたに与えたことがない。……わたしの戒めは霊にかかわるものだからである。」(教義と聖約29:34-35)そのため,知恵の言葉に従って生活することによって得られる利点は,究極のところ霊的な祝福となります。十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン会長は,肉体が霊に影響を与える幾つかの事柄について次のように説明しています。
「君の肉体はすばらしいものだけれど,その第一の目的は,もっと重要なこと,つまり君の霊を宿すということだ。……
君の霊はこの世に生まれて肉体を得,死すべき状態で試しの生涯を送ることになった。君が受ける試しの一つは,肉体をそれに宿る霊に従わせるかどうか決めることだ。……
もし君が習慣性のある物を口にして知恵の言葉を破れば,君の霊は肉体に屈伏することになる。霊が肉体の奴隷になるんだ。これは,君が現世にいる目的に反している。しかも悪い習慣に取りつかれていくと,寿命が縮むだろうし,そうなれば,君の霊が肉体を支配するために必要な悔い改めの期間も短くなってしまう。」(「自分自身を治める」『聖徒の道』1986年1月号,32-33)
教義と聖約89:3。「約束を伴う原則」
知恵の言葉が与えられたときから,教会指導者たちは,この啓示はアルコール,たばこ,コーヒー,茶を用いることを禁止するものだと解釈してきました。非合法な薬物の使用や薬物の処方を守らずに摂取することも禁止されています。そのほか,聖徒たちは知恵の言葉に見合わない物を自分で決断するように任されています。幸いなことに,主はこの勧告は「約束を伴う原則として与えられる」と説明されました(教義と聖約89:3)。これは決断する際に,その指針となる十分な真理がこの啓示に含まれているということです。十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長(1924-2015年)は,決断するうえで指針となる原則を知恵の言葉がどのように具体的に示しているかについて次のように説明しています。
「知恵の言葉は『約束を伴う原則として与えられ』ました(教義と聖約89:3)。この啓示の中の原則という言葉は,非常に重要です。原則は永続する真理,律法,規則であり,決断をする際の指針となるものです。一般に原則は詳しくは説明されていません。皆さんが永続する真理や原則をよりどころとして,自ら道を見いだす自由があるのです。
会員たちからの手紙で,これやあれは知恵の言葉に反しますか,と聞かれることがあります。よく知られているように,お茶やコーヒー,酒,たばこは反しています。それ以上詳しくは説明されていません。むしろ,わたしたちはその原則を約束された祝福とともに教えます。人々は肉体と霊を損なう多くの習慣性のあるものを飲んだり,かんだり,吸ったり,注射したりしますが,それらは啓示の中に記されていません。
有害なものがすべて列挙されているのではないのです。例えばヒ素です。明らかに有毒ですが,習慣になるはずがありません。主が言われるように,すべてのことを命じられなければならない人は『怠惰であって,賢い僕ではない』のです(教義と聖約58:26)。
ある文化圏地方では,地元の飲み物が啓示の中に明記されていないので害はないと主張されています。しかし,そのような飲み物があるために,会員たち,特に男性は,家族から離れて,明らかにこの原則 に反するようなパーティーに引き寄せられてしまうのです。啓示の中でなされた約束は,不注意な人や思慮分別を欠く人には及ばないのです。
勧告に従順であれば,人生の安全な側にいることができます。」(「知恵の言葉—その原則と約束」『聖徒の道』1996年7月号,21-22)
教義と聖約89:4。「悪ともくろみのゆえに」
主は聖徒に,「陰謀を企てる人々の心の中に今あ〔る〕……悪ともくろみ」について警告を与えておられます(教義と聖約89:4)。エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は次のように説明しています。
「〔教義と聖約〕89章の啓示の中には,今の世の人々に対して与えられたと思われる警告があります。『終わりの時に陰謀を企てる人々の心の中に今あり,また将来もある悪ともくろみのゆえに,わたしはあなたがたに警告を与えており,また,啓示によりこの知恵の言葉を与えることによって,あなたがたにあらかじめ警告するものである。』(教義と聖約89:4)
主は今日の状況を予見しておられました。金銭欲にかられた人々が,有害な物質を体に取り入れるように世の人々をそそのかす時が来るということです。ビールやワイン,酒,コーヒー,たばこ,そのほか有害な物質を売り込むための広告は,まさに主が予見されたことの一例です。しかし,現代において「陰謀を企てる人々」の最たる例は,若人を麻薬や覚せい剤のとりこにしようとする人々です。
若い兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは心から愛を持って警告します。サタンとその手下たちは懸命になって皆さんをそそのかし,有害な物質をとらせようとしています。サタンは,それらの物を体内に入れれば,皆さんの霊的な力が阻害され,皆さんが悪の勢力に加わる者となることを知っているのです。神の戒めを破るように皆さんを誘惑する人々や場所に近づいてはなりません。神の戒めを守って下さい。そうすれば,悪しきものを見分ける知恵を得ることができるでしょう。」(「『約束を有てる原理』」『聖徒の道』1983年7月号,95)
教義と聖約89:5-7。「ぶどう酒や強い飲み物」
アルコール飲料の摂取は1800年代初期のアメリカでは習慣となっていましたが,それに反対する宗教団体や地域組織もありました(「知恵の言葉」『啓示の背景』history.lds.org)。教会が組織されて間もなく,主は預言者ジョセフ・スミスに手作りのぶどう酒のみを聖餐で用いるようにし,敵からぶどう酒を買ってはならないと警告されました(教義と聖約27:3-4参照)。1833年の知恵の言葉についての啓示では,「ぶどう酒や強い飲み物」を用いるのは「良いとされ〔ない〕」ことが示されています(教義と聖約89:5)。しかし,手作りのぶどう酒は聖餐の一部として引き続き用いることは許されていました。
知恵の言葉が聖徒たちに最初に知らされたとき,アルコールの摂取をすぐにやめた教会員もいれば,時々または少しであれば許されると考える人もいました。また,アルコールを薬として摂取するのは適切であると見なす人もいました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 15–17)。この啓示が与えられたとき,薬は少なく,アルコールが傷の洗浄液や消毒剤として貴重でした。時がたつにつれて,教会指導者や会員たちは,知恵の言葉がどんなアルコールでも摂取することが禁じられていると理解するようになりました(「知恵の言葉」『啓示の背景』history.lds.org)。
教義と聖約89:9。「熱い飲み物」」という言葉は何を指しているか
預言者ジョセフ・スミスとハイラム・スミスは知恵の言葉の中の「熱い飲み物」とは具体的にコーヒーと茶のことだと分かったと報告されましたが,後にブリガム・ヤング大管長がこの説明を追認しました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 14)。
教義と聖約89:18-21。「主なるわたしは彼らに一つの約束を与える」
主は知恵の言葉の教えに従う人や「数々の戒めに従順に」歩む人に具体的な祝福を与えると約束されました(教義と聖約89:18)。「知恵と,知識の大いなる宝,すなわち隠された宝さえ」見いだすという約束は,個人的な啓示を受ける能力が増すことと言えます(教義と聖約89:19)。十二使徒定員会のジョセフ・B・ワースリン長老(1917-2008年)は次のように教えています。「知恵の言葉に従順であれば個人的な啓示の窓が開かれ,わたしたちの心は神の光と真理で満たされます。このようにして体を清く保つ人々には,聖霊が『〔わたしたち〕に降って〔わたしたち〕の心の中にとどま〔り〕』〔教義と聖約8:2〕,『不死不滅の栄光の平和なること』〔モーセ6:61〕が与えられるのです。」(「光と真理の窓」『聖徒の道』1996年1月号,84)
ボイド・K・パッカー会長はこう教えました。
「知恵の言葉の一つの大きな目的は,啓示と深い関連があるとわたしは思っています。……
〔有害物質である〕麻薬やアルコールに『冒され』,普段の話も満足に聞き取れないような状態の人は,この最も微細な感情に働きかける霊的な感覚をどのように感じることができるでしょうか。
知恵の言葉は健康の律法としても有益ですが,肉体的よりもむしろ霊的なことにおいてもっと益をもたらすものです。」(「祈りと答え」『聖徒の道』1980年3月号,28参照)
肉体的な健康が向上することも,知恵の言葉を守ることで受ける祝福となります。しかし,知恵の言葉に従順であるにもかかわらず,病気で苦しんでいる教会員もいます。知恵の言葉に伴う約束の幾つかが,現世での生活が終わって,復活したときにどのように成就するのかを考えてみるのもよいでしょう。例えば,従順に従う人は,「走っても疲れることがなく,歩いても弱ることはない」と約束されています(教義と聖約89:20)。預言者イザヤは同様の言葉を用いて神御自身が疲れない強さをお持ちであることを表して,「主を待ち望む者」は神のようになり,神と同様の限りない力を受けるであろうと預言しています(イザヤ40:28-31参照。ローマ8:11;アルマ11:42-45も参照)。
教義と聖約90章:追加の歴史的背景
1830年4月,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは,それぞれ教会の「第一の長老」と「第二の長老」として支持されました(教義と聖約20:2-3)。そのとき主は,今日わたしたちがよく知っている教会の組織を作られませんでした。1831年11月に与えられた啓示の中で,聖徒たちに「大神権を持つ者の中から一人がその神権を管理するために任命されることが必要であり,彼は教会の大神権の大管長と呼ばれる」という指示が与えられました(教義と聖約107:65。教義と聖約107章,前書きのこの啓示の日付け部分を参照)。1832年1月にオハイオ州アマーストで開かれた大会で,ジョセフ・スミスは大神権の大管長に聖任され,この神からの指示が成就しました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, ed. Matthew C. Godfrey and others [2013], 491–92)。その後,1832年3月8日に,ジョセフ・スミスはジェシー・ガウスとシドニー・リグドンを大神権の大管長会の顧問として奉仕するよう召しました。しかし,ジェシー・ガウスが忠実であり続けなかったため,1833年1月5日,主はフレデリック・G・ウィリアムズをガウス兄弟の後任とされました(本書の教義と聖約81章の追加の歴史的背景を参照)。1833年3月8日,主は,シドニー・リグドンとフレデリック・G・ウィリアムズが「この最後の王国の鍵を持つことに関して,〔教会の大管長〕と等しい」ことを明らかにされました(教義と聖約90:6)。彼らは続いて1833年3月18日に大神権の大管長会の顧問に聖任されました。預言者ジョセフ・スミスはその日の出来事について次のように述べています。
「わたしはシドニー兄弟とフレデリック兄弟の頭の上に手を置き,そしてわたしとともに彼らをこの最後の王国の鍵を持つ者として,そして,大神権の大管長会の中でわたしの顧問として補佐するように聖任しました。その後,彼らに神の戒めを守ることに忠実で勤勉であるように熱意をもって勧め,聖徒たちの益となるように多くの指示を与えました。また,心の清い者は天からの示現を見ることができるという約束もともに授けました。心で短く祈った後,約束が実現されました。そこにいた多くの人が神の御霊によって理解の目が開かれ,多くの事柄を見たのです。……
〔聖餐をとった〕後,多くの兄弟たちが救い主の天の示現,天使の群れ,そのほか多くのことを見ました。皆見たことを覚えています。」(in Manuscript History of the Church, vol. A-1, page 281, josephsmithpapers.org; spelling standardized)
1835年までに,大神権の大管長会は大管長会として知られるようになりました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 26)。
教義と聖約90章
主は大管長会の会員にその義務と権威について教えられた
教義と聖約90:1-4。預言者ジョセフ・スミスは王国の鍵を持つ
1829年4月に与えられた啓示の中で,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは,主は古代の使徒であるペテロ,ヤコブ,ヨハネに「〔主〕が来るときまで……この務めの鍵」(教義と聖約7:7),つまり,当時の地上での主の教会の指導者としての神権の権威をお与えになったことを知りました。何百年も後,ペテロ,ヤコブ,ヨハネは天からの使いとして,同じ神権の鍵をジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに授けました(ジョセフ・スミス—歴史1:72;教義と聖約27:12-13;128:20参照)。これらの鍵は「管理する権利」(教義と聖約107:8)であり,この鍵によって神権が統治される力です(教義と聖約42:69;65:2;90:2-3参照)。
教義と聖約90章に記録されている啓示の中で,預言者ジョセフ・スミスは,王国の鍵を持っており,来るべき世でも持ち続けることを再認識させられました(教義と聖約90:2-3参照)。主はまた,大管長会が持つ鍵の下で「神託」つまり神の啓示が与えられると説明されました(教義と聖約90:4)。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は神権の鍵が,どのようにして預言者ジョセフ・スミスからこの神権時代の生ける預言者に継承されているかについて次のように説明しています。「ジョセフが有していたのと同じ権威,すなわち管理権として神より託された権限の神髄を成す同じ鍵と力が,彼によって,ブリガム・ヤングを長とする十二使徒会に授けられたのです。そのとき以来,すべての大管長は,十二使徒評議会を経て,その最も気高く神聖な職に就いてきました。これらの人々はいずれも,いと高き所より啓示の霊と力を与えられてきました。また,ジョセフ・スミス・ジュニアから……〔現在の預言者〕に至るまで,歴代大管長は途切れることなく1本の鎖として結ばれているのです。そのことを,わたしは今日,皆様に厳粛に証申し上げます。」(『生ける預言者の教え 生徒用手引き』で引用〔教会教育システム資料〕14-15参照)
教義と聖約90:4-5。預言者は教会全体についての「神託」を受ける
十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老(1915-1985年)は, 神託という言葉の一つの意味について次のように説明しています。「預言者を通して神から与えられる啓示は神託です(使徒7:38;ローマ3:2;へブル5:12)。大管長会は「全教会のために神託を受ける」ように任命されています(教義と聖約124:126)。」(Mormon Doctrine, 2nd ed. [1966], 547)
神託〔訳注—英語ではoracles 〕という言葉は神からの啓示を受ける神聖な権威を持つ人のことを表すこともあります(1ペテロ4:11参照)。大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長(1920-2007年)は,生ける神託(神託を受ける人)の責任と資格について次のように述べています。
「どの時代にあっても,神からその子供たちへのメッセージは,通常,預言者を通して明らかにされてきました。アモスはこう告げています。『まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは,何事をもなされない。』(アモス3:7)神の代弁者は,何世紀にもわたり,『天の放送局』に波長を合わせ,主の言葉を人々に伝える責任を担ってきました。いつの時代でも,預言者としての重要な条件は,富や地位,役職,外見,学歴,学識などではありません。必要な条件を二つ挙げれば,神により,また公の預言によって召され,正統な霊的権能を持つ者として知られる人により聖任されることと,神から啓示を受けてそれを宣言することです(教義と聖約42:11参照)。神の道が預言者に啓示されなかったら,これを知る人は一人もいません(モルモン書ヤコブ4:8参照)。……
この教会は,頭であられる主なる救い主イエス・キリストからの導きを絶えず必要としています。ジョージ・Q・キャノン管長は,このことを次のようによく教えています。『わたしたちには聖書とモルモン書と教義と聖約がある。しかし,神の生ける代弁者と主からの絶えざる啓示が与えられていなければ,これらの聖典は,いかなる人をも日の栄えの王国へ導くことはできない。』〔Gospel Truth: Discourses and Writings of George Q. Cannon, comp. Jerreld L. Newquist [1987], 252〕」(「絶えざる啓示」『聖徒の道』1996年8月号, 4,6参照)
神託,すなわち主の僕と主の僕が与える勧告と啓示を受け入れない人は,罪の宣告の下に置かれると教会員は警告されています。神託を軽々しく扱う聖徒たちは,「つまずいて倒れ」ます(教義と聖約90:5。教義と聖約124:45-46も参照)。
教義と聖約90:6-9。「鍵を持つことに関して,あなたと等しいと見なされる」
1833年3月18日にシドニー・リグドンとフレデリック・G・ウィリアムズが大神権の大管長会において預言者ジョセフ・スミスの顧問として聖任されたときに,定員会が構成され,大管長会として知られるようになりました(教義と聖約107:22;124:125-126参照)。これらの顧問は大管長とともに王国の鍵を持ちます。しかし,「等しいと見なされる」ということは,シドニー・リグドンとフレデリック・G・ウィリアムズが教会の大管長の指示の下で行うことが,大管長によってなされたかのように,同じと見なされるべきだという意味です(see Joseph Fielding McConkie and Craig J. Ostler, Revelations of the Restoration [2000], 659)。顧問は教会の大管長の指示と同意なく,単独で行動してはなりません。教会の大管長が亡くなると,大管長会は自動的に解散します。大管長の顧問は,顧問に召される前に十二使徒定員会の会員だったのであれば,十二使徒定員会の元の先任順に戻ります。
十二使徒定員会のジョン・A・ウイッツォー長老(1872-1952年)は,教義と聖約90章に記録されている啓示について次のように説明しています。「大管長が上位にあったことに変わりありませんでした。顧問が大管長と同じ権威を持っているのかどうかという疑問についての論議が人々の間に起こるには時間はかかりませんでした。顧問は,大管長からの直接の指示なくして何ができるのでしょうか。これらの疑問は,1836年1月16日の集会で答えられました。預言者はその集会で,次のように述べています。『十二使徒が大管長会以外の承認を必要とすることはありません。……そしてわたしがいない所では,大管長会が十二使徒以上の力を持つことはありません。』〔see History of the Church, 2:374〕言い換えると,大管長がいなければ,顧問には何の権能もないとうことです。顧問は大管長が持つ権威を持たず,大管長の指示と同意なく教会の事柄について行動することはできません。」(Joseph Smith: Seeker after Truth, Prophet of God [1951], 303)さらに,教会の大管長だけが教会全体の啓示を受けることができます(教義と聖約28:2;43:2-5参照)。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,顧問はビショップリックや会長会でどのような役割があるかについて次のように説明しています。
「顧問の職を務める人は長の職にある人の代理を務める場合があります。代理の権能は長の職にある人から委ねられるべきものであり,顧問の職にある人は決してこれを乱用してはなりません。病気や仕事,そのほかの,やむを得ない理由のために長の職にある人が不在になっても,御業は前進させなければなりません。こうした事情がある場合,御業に支障がないように,長の職にある人は全幅の信頼をもって顧問の職を務める人々に権能を委任しなければなりません。長の職にある人はこうしたときのために,ビショップリックやそのほかの管理会で一緒に働きながら,顧問の職にある人々を訓練しておく必要があります。……
キンボール大管長がご病気だったとき,タナー管長の病状が悪化し,やがて他界されました。ロムニー管長が第一顧問として召され,わたしがキンボール大管長の第二顧問に召されました。そのうちにロムニー管長が病の床に伏し,わたしはとてつもない責任を負うことになりました。わたしは十二使徒の兄弟たちによく相談しました。彼らが事情をよく理解し,知恵に満ちた判断力を示してくれたことに口で言い表わせないほどの感謝を覚えています。すでに明確な方針が定まっている件については,わたしたちで事を進めていきました。しかし,新しい方針を発表したり実行に移したりする場合,あるいは重要な事項を変更する場合,必ずキンボール大管長のもとへ行き,大管長の前にそれを提示し,完全な了解と承認を得てからそれらを行ってきました。……
ベンソン大管長は現在91歳になり,かつての健康や気力は持ってはおられません。モンソン長老とわたしは,ベンソン大管長の顧問として,以前と同じように教会の御業を前進させていく義務がありますが,同時に,大管長の先を行くことがないように,また大管長の了解や完全な承認なくして,以前より定まっていた方針からわずかでも遠ざかることのないよう,十分に注意しています。」(「『助言者が多ければ安全である』」『聖徒の道』1991年1月号,56-57)
教義と聖約90:24。「万事があなたがたの益となるようにともに働くであろう」
主は大管長会の会員に,もし義をもって,交わした聖約を思い起こすなら「万事が〔彼らの〕益となるようにともに働くであろう」と約束されました(教義と聖約90:24)。すべての教会員は教義と聖約90:24で与えられている規範に従うとき,万事が自分たちの益となるようにともに働くという主の約束に希望を持つことができます(モロナイ9:27も参照)。十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は次のように勧告しています。「わたしたちは『熱心に探し,常に祈り,そして信じていな』ければなりません。『〔その後,わたしたち〕がまっすぐに歩み,……交わした聖約を思い起こすならば,万事が〔わたしたち〕の益となるようにともに働くであろう。」〔教義と聖約90:24〕末日は恐れおののく時ではありません。信じて,聖約を思い起こす時です。」(「天使の務め」『リアホナ』2008年11月号,30参照)
教義と聖約90:25-27。「あなたがたの家族に属さない者に関してであるが,あなたがたの家族を……少なくしなさい」
1833年,聖徒の多くが物質的に困難な状態にあったため,預言者ジョセフ・スミスの父親を含む教会の指導者たちは,自分たちの家を解放し,困難な状況にある人たちを援助しました。このような状況のために,主の業を成し遂げるための教会指導者たちの努力が妨げられる可能性がありました。「あなたがたの家族を……少なくしなさい」(教義と聖約90:25)という勧告は,聖徒たちが家族で持つ子供の人数を制限することではなく,むしろ,ジョセフ・スミス・シニアをはじめ教会指導者たちに対して,家族以外の人々に自分たちの物質的な資源を与える際には知恵と判断力をもつようにすることと,十分に世話できる以上の人数を受け入れるべきではないという忠告を指しています。
教義と聖約90:28-31。「わたしのはしためビエナ・ジャックス」
教義と聖約の中で名前が挙げられている女性は,エマ・スミスとビエナ・ジャックスだけです(教義と聖約25章;90:28参照)。ビエナ・ジャックスは初期の多くの末日聖徒の忠実さの模範です。彼女は1787年6月10日に生まれました。1831年にマサチューセッツ州ボストンで宣教師に会った後,オハイオ州カートランドへ旅をしました。6週間そこに滞在し,バプテスマを受けました。ボストンに戻ると,ビエナは活発に伝道活動を行い,自分の家族を何人か教会へ導く助けをしました。また,宣教師たちがそこに教会の小さな支部を築くのを助けました。それから「事業を立ち上げ,カートランドに戻り,教会のために生涯をささげました。」(“Home Affairs,” Woman’s Exponent, July 1, 1878, 21; see also “In Memoriam,” Women’s Exponent, Mar. 1, 1884, 152; Brent M. Rogers,“Vienna Jaques: Woman of Faith,” Ensign, June 2016, 42)
1833年,カートランドで,またミズーリでも,神殿用の敷地を含む土地を購入する資金が切実に必要だったときに,かなりの額の金銭を教会に献金しました。1833年3月8日,預言者ジョセフ・スミスは,「シオンの地〔ミズーリ〕に上って行き,……受け継ぎを得る」よう彼女に指示する啓示を受けました(教義と聖約90:30)。ビエナはミズーリへ旅をしました。しかし,到着して間もなく聖徒たちとともに迫害に遭いました。1834年6月,シオンの陣営でコレラが流行したとき,患者を看病しました。ヒーバー・C・キンボールはこう書いています。「わたしやわたしの兄弟たちが入り用としていたものを与えてくれた彼らとビエナ・ジャックス姉妹から,大きな親切を受けました。主がその親切に対して彼らに報いてくださいますように。」(“Extracts from H. C. Kimball’s Journal,” Times and Seasons, Mar. 15, 1845, 839–40; see also The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, ed. Gerrit J. Dirkmaat and others [2014], 289, 291; Rogers, “Vienna Jaques,” 42–43)
ミズーリのほかの聖徒たちとともに,ジャックス姉妹は自分の家から追放されてイリノイ州ノーブーに向かいました。1847年,60歳のとき,最終的にユタ州に向けて平原を幌馬車で西へ旅をしました。ソルトレーク・シティーに落ち着くと,生活のために一生懸命に働き,聖文を熱心に研究しました。1884年2月7日,ビエナは96歳で亡くなりました。その死亡記事にはこうあります。「彼女は聖約に忠実であり福音の回復を無限の価値ある宝として尊んだ。」(“In Memoriam,” Woman’s Exponent, Mar. 1, 1884, 152; see also Rogers, “Vienna Jaques,” 44–45)
教義と聖約91章:追加の歴史的背景
旧約聖書の聖書外典とは古代の文書を集めた書物で,へブライ語聖書には含まれていませんが,ギリシャ語訳の旧約聖書に含まれており,七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)と呼ばれていました。後に,これらの古代の文書は,マーティン・ルターが「聖書外典」として別のものとするまで,キリスト教聖書の一部となりました。次第に,多くの聖書からこの部分は取り去れられましたが,まだこれを含んでいたものもありました。預言者ジョセフ・スミスは欽定訳聖書を使って聖書を翻訳していました。この欽定訳聖書は旧約聖書と新約聖書の間の時代に位置する「聖書外典」と言われる部分を含んでいました。新約聖書の翻訳を終えた後,旧約聖書の翻訳を続けているうちに,教義と聖約91章に記録されている啓示を受けたましたが,そのときジョセフ・スミスは聖書外典を翻訳すべきかどうか思い巡らしていました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 32–33)。
教義と聖約91章
主はジョセフ・スミスに聖書外典を翻訳しないように指示される
教義と聖約91章。「〔聖書外典〕を読〔み〕……御霊に照らされる者は,それから利益を得るであろう」
1829年10月8日,預言者ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは,ニューヨーク州パルマイラでE・B・グランディンから欽定訳聖書を購入しました(“Bible Used for Bible Revision,” josephsmithpapers.org)。それは大きな説教壇スタイル版のもので,旧約聖書,新約聖書,聖書外典が含まれていました。それは,1828年にニューヨーク州クーパーズタウンにあるH. and E.Phinney Company(「HアンドE・フィニー・カンパニー」)によって印刷されたものでした(この聖書の画像については “Bible Used for Bible Revision,” josephsmithpapers.orgを参照)。これは預言者が聖書の霊感訳のために使った聖書でした。
教義と聖約91:1-3に記録されているように,聖書外典を翻訳すべきかどうか預言者が尋ねたことに対して,それには真実なことも載せられているが,真実でないことも載せられているので,翻訳しないようにと主は言われました。主はさらに,これらの古代の文書を研究して益を得ようとする者は,主の御霊の助けを求めて,真実なことを識別しなければならないと説明されました(教義と聖約91:4-6参照)。ブルース・R・マッコンキー長老は次のように教えています。「聖書外典を研究してその真の価値を得るには,まず本人が福音に関して背景となる豊富な知識を持ち,教会の標準聖典をよく理解し,それに加えて御霊の導きを得ることが必要です。」(Mormon Doctrine, 42)末日聖徒版の欽定訳聖書の中のBiblie Dictionary(『聖書辞典』)には,「聖書外典」と題された見出しがあり,しばしば聖書外典を構成しているそれぞれの文書の概要が書かれています。
教義と聖約92章:追加の歴史的背景
1833年1月5日,フレデリック・G・ウィリアムズが大神権の大管長会の顧問としてジェシー・ガウスの後任となるよう召されました。1833年3月15日,主はウィリアムズ兄弟も共同商会の会員になるように指示されました。これは,教会の出版および商業事業を管理する共同商会の会員にすでに召されていた9人に,ウィリアムズ兄弟が加わらなければならないということでした。
教義と聖約92章
フレデリック・G・ウィリアムズは共同商会に加わるように召される
教義と聖約92章。共同商会
フレデリック・G・ウィリアムズが大管長会の新しい会員に召された後,主は彼に教会の財政とこの世的な諸事に責任を持つ人たちのグループに加わるように指示されました(教義と聖約78:1-8;82:11-12,15-24参照)。このグループは共同商会または共同制度と呼ばれました。