第13章
教義と聖約30-34章
紹介とタイムライン
1830年9月下旬にニューヨーク州フェイエットで2回目の教会の大会が開かれ,その直後に,預言者ジョセフ・スミスはデビッド・ホイットマー,ピーター・ホイットマー・ジュニア,およびジョン・ホイットマーに対する啓示を受けた。これらの啓示は教義と聖約30章に記録されている。同じころ,主はさらに,福音を宣べ伝え,教会の設立を助けるようにトーマス・B・マーシュを召された。教義と聖約31章に記録されたこの召しには,宣教師として,そしてトーマス個人の生活において,彼を導くための約束と勧告も含まれていた。
1830年10月,預言者ジョセフ・スミスは,教義と聖約32章に記録されている啓示を受けた。主はこの啓示で,オリバー・カウドリとピーター・ホイットマー・ジュニアに同行してミズーリ州西部のレーマン人への伝道に赴くようパーリー・P・プラットとザイバ・ピーターソンを召された。教義と聖約33章に記録されているもう一つの啓示で,主は,福音を宣べ伝えるようにエズラ・セアとノースロップ・スイートを召された。教義と聖約34章に記録されている啓示は,1830年11月に与えられた。その中で主はオーソン・プラットの信仰を称賛し,イエス・キリストの再臨に備えるために福音を宣べ伝えるよう彼に命じられた。
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1830年夏パーリー・P・プラットはモルモン書を読み,バプテスマを受けた。
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1830年9月トーマス・B・マーシュは家族とマサチューセッツ州ボストン近郊からニューヨーク州パルマイラに引っ越し,トーマスがバプテスマを受けた。
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1830年9月19日オーソン・プラットは兄パーリーからバプテスマを受けた。
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1830年9月26-28日ニューヨーク州フェイエットで2回目の教会の大会が開かれた。
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1830年9月末教義と聖約30-31章が与えられた。
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1830年10月教義と聖約32-33章が与えられた。
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1830年10月オリバー・カウドリと同僚たちがレーマン人への伝道に出発した。
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1830年11月4日教義と聖約34章が与えられた。
教義と聖約30章:追加の歴史的背景
1830年9月にニューヨーク州フェイエットで開かれた2回目の大会は3日間続きました。大会では,ハイラム・ページが啓示なるものを受けるために使用した石についても話し合われました(本手引きの教義と聖約28章の解説を参照)。預言者ジョセフ・スミスは次のように記録しています。「ページ兄弟を含め,出席した全教会員が,その石と石に関連するすべての事柄を否定し,わたしたちは互いに納得して幸福な気持ちに包まれ」,その後聖徒たちは「聖餐を受け,また多くの人に確認や聖任の儀式を執行し,第1日およびそれから後2日間にわたり,広範囲に及ぶ教会の事務を行いました。その間わたしたちの間には神の力が満ちあふれていました。聖霊が降られ,わたしたちは言い尽くせない喜びを味わいました。平安と信仰と希望と慈愛がわたしたちの間にみなぎっていました。」(in The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 1: Joseph Smith Histories, 1832–1844, ed. Karen Lynn Davidson and others [2012], 452)聖徒たちが大会を去る前に,デビッド・ホイットマー,ピーター・ホイットマー・ジュニア,およびジョン・ホイットマーの3人の兄弟に対する啓示が与えられました。これらの啓示は,当初“Book of Commandments”(『戒めの書』)に個別に掲載されましたが,ジョセフ・スミスは1835年版の教義と聖約で一つの章にまとめました。
教義と聖約30章
主はデビッド・ホイットマー,ピーター・ホイットマー・ジュニア,およびジョン・ホイットマーに,神の業における彼らの役割についてお教えになる
教義と聖約30:1-4。「あなたは人を恐れ,……わたしに頼〔ら〕なかった」
三人の証人の一人として,デビッド・ホイットマーは天使を見て,モルモン書の版を見,手に取りました。また,預言者ジョセフ・スミスを通じてほかの啓示も与えられました(教義と聖約14章;17章;18章参照)。それにもかかわらず,義理の兄弟ハイラム・ページが教会のための啓示を受けていると公言したとき,デビッドは惑わされました。神を頼りにせず人を恐れたために,主はデビッドを叱責されました(教義と聖約30:1参照)。
エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は,高慢がどのように人を恐れる原因となるかについて説明しました。
「高慢な人は,神の裁きよりも人の裁きを恐れます(教義と聖約3:6-7;30:1-2;60:2参照)。彼らには『神にどう思われるか』よりも,『人にどう思われるか』が重要なのです。
ノア王は預言者アビナダイを放免しようとしましたが,邪悪な祭司たちに高慢な心をかき立てられて,アビナダイを火刑場に送りました(モーサヤ17:11-12参照)。ヘロデもバプテスマのヨハネの首を切るように妻から求められて心が痛んだものの,結局は『列座の人たちの手前』よく見られたいという高慢な思いから,ヨハネを殺してしまいました(マタイ14:9。マルコ6:26も参照)。
人から賛同を得ようと競うことは,人の裁きを恐れていることの表れです。高慢な人は『神のほまれよりも,人のほまれを好』みます(ヨハネ12:42-43)。どのような動機で行動するかによってその罪が明らかになります。イエスは,『わたしは,いつも神のみこころにかなうことをしている』と言われました(ヨハネ8:29)。わたしたちは,自分を高めて人に勝りたいという動機ではなく,神の御心にかなうことをしたいという動機で行動すべきではないでしょうか。」(『歴代大管長の教え—エズラ・タフト・ベンソン』217-218参照)
十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は,聖徒はいかにこの世のものに影響されないようにするべきかについて説明しました。「神よりも人を恐れるなら,救い主によく仕えることはできません。主は,回復された教会の一部の指導者を,世の誉れを求め,主にかかわる事柄よりも世の事柄のうえに心があったという理由で叱責されました(教義と聖約30:2;58:39参照)。そのような懲らしめは,わたしたちが召されているのは主の標準を確立するためであって,世の標準に従うためではないということを思い出させてくれます。ジョン・A・ウイッツォー長老はこう断言しています。『わたしたちは,ほかの人と同じように生き,ほかの人と同じように語り,ほかの人と同じように行動することはできません。なぜなら,わたしたちはほかの人とは異なる行く末,義務,責任を受けており,自らを〔それらに〕ふさわしい者としなければならないからです。』[in Conference Report, Apr. 1940, 36]この現実は,慎みのない服装など,現代の流行を追うすべての行動についても当てはまります。」(「無私の奉仕」『リアホナ』2009年5月号,94-95参照)
教義と聖約30:5-8。「わたしの福音を告げ知らせる」
1829年6月,主はピーター・ホイットマー・ジュニアに対し,悔い改めを告げることは彼にとって「最も価値のある」こととなると言われました(教義と聖約16:4,6参照)。1830年9月,ピーターは,レーマン人の中に教会を確立することにおいて,オリバー・カウドリの同僚として伝道に出るよう召されました。伝道の業の重要性は,教会の歴史を通じて強調され続けてきました。
十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,聖徒が人々に福音を宣べ伝えることを常に重視する理由について説明しました。「会員数も多く,全世界に広がるこのすばらしい教会の中で,行う必要があるのは伝道活動だけではありません。しかし,伝道活動以外に教会で行わなければならない事柄のほとんどは,まずイエス・キリストの福音を聞いて教会に入る人たちがいてこそ生じるものです。だからこそ,イエスが十二使徒にお与えになった最後の命令がこんなにも基本的なものだったことにもうなずけます。『それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し〔なさい。〕』〔マタイ28:19〕バプテスマの後初めて,家族の連帯感,青少年のプログラム,神権を授かるという約束,神殿に至る儀式など,そのほかの福音の祝福を完全に受けるのです。これらの祝福はどれも,ニーファイが証したように,『門を入……る』まで得られません〔2ニーファイ33:9〕。このように,永遠の命に至る道にはなすべきことがあります。その門を開いて人々を導き入れるためにもっと多くの宣教師が必要なのです。」(「戦い止むまで」『リアホナ』2011年11月号,46-47参照)
教義と聖約30:6。「レーマン人の中にわたしの教会を築き上げ〔なさい〕」
教義と聖約でのレーマン人という言葉の使用に関して,詳細は本手引きの教義と聖約28:8-10,14-16の解説を参照してください。
教義と聖約30:9-11。「ラッパの音のようにわたしの福音を宣言〔しなさい〕」
ジョン・ホイットマーはモルモン書の版の八人の証人の一人であり,聖書の霊感訳が行われていたときに,短い間ながら預言者ジョセフ・スミスの筆記者としても奉仕しました。1829年6月に預言者を通じて与えられた啓示で,主はジョンに「あなたにとって最も価値のあることは,この民に悔い改めを告げて人々をわたしのもとに導〔く〕」ことであると言われました(教義と聖約15:6)。1830年9月の教会の大会の後,主は,ホイットマー家からさほど遠くないニューヨーク州セネカフォールズのフィリップ・バローズが住んでいた地域から始めて,出て行って主の業に従事するようジョンに命じられました(教義と聖約30:9-10)。この啓示が与えられたわずか数週間前に,パーリー・P・プラットがフィリップ・バローズの家に集まった一団に教えを説いており,そのうちの数人が改宗しました。教義と聖約30:10でフィリップ・バローズは「兄弟」と呼ばれていますが,彼が教会員になったという記録はありません。しかし,彼の妻はバプテスマを受けました。
十二使徒定員会のL・トム・ペリー長老(1922-2015年)は,福音を分かち合うために声を上げるべき理由を教会員に思い起こさせました。「わたしたちは,救いの計画が与える答えを求めている人に,『大いに真剣に』(教義と聖約123:14)福音の光をもたらすべきです。多くの人々が,自分の家族について心配しています。価値観が変化する世の中で安全を探し求めている人々もいます。わたしたちには,彼らに希望と勇気を与え,ともに来てイエス・キリストの福音を受け入れるよう招く機会があります。主の福音は地上に存在しており,この世においても来るべき永遠にわたっても,彼らの生活に祝福をもたらすでしょう。」(「人々をわたしのもとに連れて来なさい」『リアホナ』2009年5月号,110)
教義と聖約31章:追加の歴史的背景
マサチューセッツ州ボストン近郊に妻子とともに住む若きトーマス・B・マーシュは,聖書を読み宗教について調べていたところ,「新しい教会が起こり,そこに純粋な真理がある」という促しを受けました(Thomas B. March, “History of Thos. Baldwin Marsh (Written by Himself in Great Salt Lake City, November, 1857),” Deseret News, Mar. 24, 1858, 18)。トーマスはニューヨーク州西部に旅するよう主から命じられていると感じました。そこでジョセフ・スミスと金の版について聞き,もっとよく知りたいと思いました。当時ジョセフ・スミスはペンシルベニア州ハーモニーに住んでいたため,トーマスはパルマイラでマーティン・ハリスと会い,オリバー・カウドリとも会いました。ボストンに戻ったトーマスは,オリバー・カウドリとの手紙のやりとりによって神の業について学び続けました。イエス・キリストの教会が組織されたことを知ると,家族を連れてニューヨーク州パルマイラに引っ越し,1830年9月に到着しました。トーマスは間もなくデビッド・ホイットマーからバプテスマを受け,同じ月に開かれた教会の2回目の大会に出席しました。トーマス・マーシュは,その大会の間に預言者ジョセフ・スミスを通じて与えられた啓示により,主から個人的な導きを受ける機会に恵まれました。
教義と聖約31章
主は福音を宣べ伝えるようにトーマス・B・マーシュ,パーリー・P・プラット,およびザイバ・ピーターソンを召される
教義と聖約31:1-6。忠実に主に仕えるときに,家族が祝福を受ける
幼い子供の父親として,トーマス・マーシュは,マサチューセッツ州からニューヨーク州に引っ越しながら妻子のことを気にかけていたに違いありません。教義と聖約31章に記録されている啓示の中で,トーマスは,彼の信仰と主への奉仕を通じて,家族もいつの日か信じ,教会で彼と一つになると約束されました。その当時,トーマスと妻エリザベスの間には,9歳,7歳,3歳の3人の息子がいました。エリザベスはこの後,1831年に改宗しました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, ed. Michael Hubbard MacKay and others [2013], 194, note 412)。マーシュ家族を祝福するという主の約束は,神の業に貢献するように召されたトーマスの力となったことでしょう。
今日も,主への奉仕に自らをささげようと努める人々に同様の約束が用意されています。十二使徒定員会のロバート・D・ヘイルズ長老は次のような経験を話しました。
「ある〔専任宣教師の〕夫婦は,教会から離れている末娘を残して伝道に出ることを心配していました。忠実な父親はこのように書いています。『娘のために絶えず祈り,定期的に断食してきました。すると,総大会の最中に,御霊がこうささやいたのです。「伝道に行けば,娘のことはもう心配しなくてもよくなるでしょう。」そこでビショップと面接をしました。召しを受けた翌週,娘とボーイフレンドは婚約しました。アフリカにたつ前に,家で娘の結婚パーティーをしたとき,わたしは〔家族を集めて〕家族会議を開き,……主とジョセフ・スミスについて証しました。……そして一人一人に父親の祝福を授けたいと言いました。長男とその妻から始めて,家族の最も若い者まで祝福を授けました……〔その中には結婚したばかりの娘の夫もいました。〕』……
……この手紙の忠実な父親が家族一人一人に祝福を授けたことにより,娘の夫は聖霊の力を感じました。父親はこう記しています。『伝道1年目が終わるころには,〔娘の夫の〕心が教会に対して和らぎ始めました。そして帰還する少し前に夫婦で訪ねに来てくれたときは,スーツケースに彼が初めてそろえた教会用のスーツが入っていました。娘夫婦はわたしたちとともに教会に出席しました。そして,わたしたちが帰還してから,娘の夫はバプテスマを受けたのです。1年後,二人は神殿で結び固めを受けました。』」(「夫婦宣教師—犠牲と奉仕から得られる祝福」『リアホナ』2005年5月号,40参照)
教義と聖約31:5。「心を尽くして鎌を入れなさい。そうすれば,あなたの罪は赦され〔る〕」
トーマス・B・マーシュに約束された祝福の一つに,人々に福音を宣言する熱心な努力を通じて彼の罪が赦されるという力強い言葉がありました(教義と聖約31:5参照)。十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は,福音を分かち合うことと罪の赦しを維持することの関係を明確にしました。
「改宗の当然の結果として,福音に従って生活することにより引き続き罪の赦しを受けます。そして,この福音に従って生活するということの中には,人々と福音を分かち合うことが含まれているのです。スペンサー・W・キンボール大管長は,次のように宣言しています。『わたしたちの罪は,自らの身と霊をキリストに委ね,確固として世の人々に証を述べるとき,いっそう速やかに赦される,と主は言っておられます。そしてわたしたちは確かに皆,罪の赦しを得るために特別な助けを求めています。』(『聖徒の道』1977年11月号,559参照)
教義と聖約には次のように書かれています。『わたしはあなたがたの罪を赦して,この戒めを与えるからである。すなわち,あなたがたは,あなたがたに知らされたこれらのことを世のすべての人に証するために,厳粛に,また祈りの精神をもって,あなたがたの思いを確固としていなさい。』(教義と聖約84:61;強調付加)また,『それでも,あなたがたは祝福されている。あなたがたが述べた証は,天使たちが見るために天で記録されているからである。そして,天使たちはあなたがたのことを喜んでおり,あなたがたの罪は赦されている。』(教義と聖約62:3;強調付加)
……この教えは,罪の赦しが終わることのない過程であることを,はっきりと示しているように思います。清く,汚れなく,聖なる者になろうと努力するとき,天父の子供たちが真理を見いだすことができるように助けることほどよい方法は,ほかにありません。」(「伝道の目標」『聖徒の道』1985年1月号,17)
教義と聖約31:9-13。トーマス・B・マーシュへの注意と警告
トーマス・B・マーシュはその信仰のために称賛されて(教義と聖約31:1)大きな祝福を約束されるとともに,主は彼に大切な注意と勧告をもお与えになりました。1835年,トーマスはこの神権時代最初の十二使徒定員会で奉仕するように召されました。その後,定員会会長として召されました。しかし数年後の1839年3月,トーマスは背教のため破門されました。教義と聖約31章にある主の教えは,もしトーマスがそれを心に留めていたならば,彼に霊的な保護という祝福を与えていたでしょう。トーマス・B・マーシュは1857年7月16日にネブラスカ州フローレンスで再びバプテスマを受け,同じ年にユタ州にやって来ました。トーマスは教会指導者の赦しを請い,ブリガム・ヤング大管長は聖徒に語る機会を彼に提供しました。トーマスは自分の背教について次のように語りました。
「自分は何をきっかけに背教したのか,何度も考えてきました。そして,自分の心から主の御霊が失われてしまったからに違いないという結論に達したのです。
次に考えたのは,『いつどうやって御霊を失ったか』という問題です。わたしは預言者を妬むようになりました。それから物の見方が変わったのです。正しいことは何も目に入らず,悪いことを探すためにすべての時間を使いました。すると,悪魔がわたしを導くようになったのです。怒り,妬み,復讐心という肉の思いは簡単に頭をもたげました。わたしは心の中に感じたのです。怒り,報復したいと思ったために,主の御霊は去り,聖文にあるように,わたしは盲目となりました。」(“Remarks by Thomas B. Marsh,” Deseret News, Sept. 16, 1857, 220; spelling standardized))
トーマス・B・マーシュは余生をユタ州で過ごしました。1866年1月にオグデンで亡くなり,そこで埋葬されました。
教義と聖約31:10。トーマス・B・マーシュはどのように「教会員にとっての医者」となったか
トーマス・B・マーシュは香草を薬として使用する技能を幾らか得ており,その知識で多くの人を助けることができました。しかし,彼のさらに大いなる召しは,人の霊を癒すことでした(see Thomas B. Marsh, “History of Thos. Baldwin Marsh,” 18)。
教義と聖約32章:追加の歴史的背景
1830年の夏,パーリー・P・プラットと妻サンクフルは,ニューヨーク州に住む親戚を訪ねるためにオハイオ州アマーストにある自宅から旅に出ました。聖霊はパルマイラに近いニューヨーク州ニューアークの村に立ち寄るようパーリーを促され,彼はその村でモルモン書について知りました。後日,モルモン書の感想を次のように書きました。
「わたしは大いに期待しながらその書物を開き,タイトルページに目を通しました。続いて,それがどのような経緯で発見され,どのようにして翻訳されたかを語る数人の証人たちの証を読みました。それから,書かれている順に本文を読み始めました。一日中読み続けました。食事をする時間が惜しく,何も食べたいとは思いませんでした。夜が来ても,眠るより読んでいたかったので,眠る時間も惜しみました。
そのようにして読んでいると,主の御霊が降り,わたしはその書物が真実であることを悟りました。人が自分の存在を認識するように,はっきりと,一点の疑いもなく,その書物が真実であることを理解したのです。」(Autobiography of Parley Parker Pratt, ed. Parley P. Pratt Jr. [1938], 37)
パーリーはパルマイラに赴き,そこでハイラム・スミスと出会って,教えを受けました。その後間もなく,ハイラムとパーリーは,成長を続ける教会の支部の会員たちと会うためにニューヨーク州フェイエットに行きました。1830年9月,パーリーはオリバー・カウドリによってバプテスマを受け,長老に聖任されました。
ザイバ・ピーターソンの改宗についてはあまり知られていません。1830年4月にオリバー・カウドリからバプテスマを受け,同じ年の6月に長老に聖任されたことは分かっています。オリバー・カウドリとピーター・ホイットマー・ジュニアが伝道に出る少し前に,預言者ジョセフ・スミスは,ほかの人が彼らに同行すべきかどうかを主に尋ねました。ジョセフ・スミスは教義と聖約32章に記録されている啓示を受け,同行するようにパーリー・P・プラットとザイバ・ピーターソンを召しました。
1830年の秋から翌1831年の冬にかけて,オリバー・カウドリ,ピーター・ホイットマー・ジュニア,パーリー・P・プラット,およびザイバ・ピーターソンから成る宣教師の小さな集団(後にフレデリック・G・ウィリアムスという名のオハイオ州出身の改宗者が参加)が,ニューヨーク州フェイエットからミズーリ州インディペンデンスまでの約2,400キロの道のりをほとんど徒歩で旅しました。その途中,この宣教師たちはオハイオ州のメンターとカートランドにおいて,新約時代のキリスト教の回復を求めて集まった人々に福音を宣べ伝えました。この団体のリーダーであったシドニー・リグトン,および集まった人々の多くが,回復された福音に改宗しました。宣教師たちは1831年1月中旬にようやくインディペンデンスに到着しました。道中,おもに凍ったコーンブレッドと生の豚肉を食べながら,激しい寒さ,強風,疲労に耐えました。1メートルの深さの雪の中を歩いた場所もありました。これらの困難にもかかわらず,宣教師たちは,ミズーリ州の西の境近くのインディアン居住区に住むアメリカ先住民に福音を紹介することに成功しました。主は約束を成就されたのです。すなわち,主はこれらの宣教師とともにおられ,何ものも彼らに打ち勝つことはないという約束です。(『時満ちる時代の教会歴史』〔教会教育システム手引き〕79-81参照)
教義と聖約32章
主はレーマン人に教えを説くようパーリー・P・プラットとザイバ・ピーターソンを召される
教義と聖約32:1-3。「わたし自身も彼らとともに行き,彼らの中にいるであろう」
パーリー・P・プラットとザイバ・ピーターソンは,オリバー・カウドリとピーター・ホイットマー・ジュニアのレーマン人への伝道に同行するように任命されました(教義と聖約28:8-9;30:5-8参照)。主は,彼ら宣教師が柔和な心をもって福音を宣べ伝えるならば,「彼らとともに行き,彼らの中にいる」と約束されました(教義と聖約32:3)。大管長会のヘンリー・B・アイリング管長は,次の経験を紹介し,召しにおいて奉仕するときに,主がともにいてくださる方法を幾つか教えました。
「神は,召した者を大いなる者とされます。それがあなたにとって小さな,目立たない召しだと思えるようなときさえそうなのです。あなたは賜物を得て,自らの奉仕が大いなるものとなったことに気づくでしょう。その賜物が自分の内にある間に,感謝してください。……
主は,あなたに努力する力を加えてくださるだけでなく,主自ら,あなたとともに働いてくださいます。預言者ジョセフ・スミスを通して難しい任務に召された4人の宣教師に発せられた主の次の言葉は,王国の召しを受けるすべての人を勇気づけてくれます。『また,わたし自身も彼らとともに行き,彼らの中にいるであろう。わたしは父に対する彼らの弁護者であり,何ものも彼らに打ち勝つことはないであろう。』〔教義と聖約32:3〕……
主はあなたの力を何倍にもするという究極の保証を与えておられます。主の望みは,あなたが全身全霊をささげることだけです。信仰の祈りをもって元気に進んでください。御父とその愛子が,あなたを導くために聖霊を伴侶として送ってくださるのです。あなたの仕える人々の人生の中で,あなたの働きは大いなるものとなるのです。奉仕と犠牲のつらい時としか今は思えないであろう日々を振り返るとき,犠牲は祝福になっているのです。そして,あなたが神のために仕えた人々を,さらにあなた自身を,神がその腕で抱き上げてくださっていたのだと悟るのです。」(「神からの召し」『リアホナ』2002年11月号,77-78参照)
教義と聖約33章:追加の歴史的背景
エズラ・セアはイエス・キリストの福音の回復について知ったときニューヨーク州パルマイラの近くに住んでいました。以前,建設工事を手伝ってもらうためにスミス家の人たちを雇ったことがありました。最終的に,ハイラム・スミスが福音を教えていた集会に参加するべきだと納得しました。後に,ハイラムが教えた事柄をどう受け止めたかを書きました。「一言一言が心の奥底に感動を与えました。一言一言がわたしに向けられていると思いました。……涙が頬を伝いました。わたしは何と高慢で頑固だったのでしょうか。そこにはわたしを知っている人も大勢いました。……冷静になり,顔を上げる勇気が出るまで,座ったままでいました。」(quoted in Matthew McBride, “Ezra Thayre: From Skeptic to Believer,” in Revelations in Context, ed. Matthew McBride and James Goldberg [2016], 62, or history.lds.org)
エズラはモルモン書の真実性について強い証を受けました。また,次のような示現も見ました。「ある人が一本の巻き物を持って来てわたしに渡しました。また,ラッパも持って来て,わたしに吹くよう言いました。わたしは,生まれてから一度もラッパを吹いたことがないと言いました。彼は,吹けるからやってみなさいと言いました。わたしがラッパを口に当てて吹くと,それまでに聞いた中で最も美しい音色を奏でました。巻き物はわたしとノースロップ・スイートに対する啓示でした。巻き物とラッパを持って来た人はオリバー〔・カウドリ〕でした。オリバーはわたしとノースロップ・スイートに対する啓示を持って来たとき,わたしへの神の啓示がここにあると言いました。」(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, 206)エズラ・セアはパーリー・P・プラットからバプテスマを受けました。そして1830年10月に,教義と聖約33章に記録されている啓示の中で,エズラとノースロップ・スイートは主の業に召されました。
ノースロップ・スイートは1830年10月,ニューヨーク州パルマイラでパーリー・P・プラットからバプテスマを受けて教会員になりました。ノースロップはマーティン・ハリスの姪と結婚しました。教義と聖約33章に記録されているとおり,ノースロップはバプテスマを受けてすぐに伝道に出る任命を受けました。1831年6月にはオハイオ州カートランドに引っ越し,そこで長老に聖任されましたが,その後間もなく教会を離れ,ジョセフ・スミスは偽預言者であると主張して,別の教会を設立しようとほかの人たちとともに試みました。
教義と聖約33章
主は,福音を宣言するようにエズラ・セア,ノースロップ・スイート,およびオーソン・プラットを召される
教義と聖約33:4。「彼らも偽善売教のために度々過ちを犯す」
教義と聖約33:4にある悪くなったぶどう園の様子は,偽善売教の罪によってこの世を腐敗させる背教の状態を指しています。ダリン・H・オークス長老は,偽善売教の意味を説明しました。
「聖典は,福音のためと言いながら,実は『富と誉れを得ようとして』行う働きのことを『偽善売教』と呼んでいます(アルマ1:16)。『偽善売教とは,利益と世の誉れを得るために,説教をして自分自身を世の光とすることであって,シオンの幸いを求めることではない』(2ニーファイ26:29)とニーファイは言っています。わたしたちは,この末日において『シオンの大義を起こして確立するように努めなさい』と教えられています(教義と聖約6:6)。しかし残念なことに,この大義を掲げて働いている人がすべて,心からシオンを確立し,神の民の信仰を強めようとの意志を持っているわけではありません。ほかの様々な動機があるのです。
一見無私の行いのように見えても,実は富と誉れのために奉仕をする人々は『外側は人に正しく見えるが,内側は偽善と不法とでいっぱい』な人々とまったく同じ罪の宣言を受けます(マタイ23:28)。そのような奉仕に対して,福音の中に約束されている報いを得ることはありません。」(「何のために奉仕するのか」『リアホナ』1985年1月号,13参照)
七十人のマーリン・K・ジェンセン長老は,偽善売教と神の栄光にひたすら目を向けて奉仕することの違いについて話しました。
「主の業を行うに当たって自分の誉れと利を求める者は,聖典で偽善売教と呼ばれる罪を犯しています。……
神の栄光にひたすら目を向ける末日聖徒は,別のどこかに注目する人に比べて,人生を非常に異なった角度から見ます。例えば,そのような会員は自分の善い行いを認められたり,褒められたりすることに関心を払いません。主の羊を数えるよりも,世話をすることに関心を向けます。実際,匿名で奉仕することにしばしば最大の喜びを見いだします。そのため,彼らの優しさから恩恵を受けた人は主以外のだれも賛美や感謝をささげる相手がいないのです。」(「ただ神の栄光を仰ぎ見て」『聖徒の道』1990年1月号,27-28参照)
教義と聖約33:8-10。「口を開きなさい」
3つの節(教義と聖約33:8-10参照)で3度,エズラ・セアとノースロップ・スイートは,口を開いて悔い改めを宣言するように命じられています。主は福音を宣べ伝えることにおいて大胆かつ熱心な僕を必要としておられます。ヘンリー・B・アイリング管長は,次の例を紹介し,口を開いて,知っている人全員に福音を伝えることが重要である理由を示しました。
「いつの日か『来るべき世』で,皆さんがかつて会ったすべての人は,皆さんが今持っている知識を得るでしょう。そして,家族とともに天の御父と御子イエス・キリストのみもとで永遠に住む唯一の道は,神の権能を持つ人の施すバプテスマによって門をくぐるという選択にあったことを知るでしょう。また,家族が永遠に結ばれる唯一の方法は,この地上の神の神殿で授けられる神聖な聖約を受け入れ,守ることにあると知るでしょう。そして,すべてを皆さんが知っていたことも分かるでしょう。こうして,かつて皆さんもだれかから聞いた福音を,皆さんから聞いたかどうか思い出します。
『まだその時じゃない』と言うのは簡単ですが,引き延ばしには危険が伴います。何年も前に,わたしはカリフォルニアで働いていました。雇い主は親切で,わたしを高く評価してくれているようでした。彼の知り合いでわたしはただ一人の末日聖徒だったかもしれません。なぜかは分かりませんが,わたしは福音について話すために,もっとよい機会を待っていました。ですから,あのときの悲しみは今でも忘れません。彼が引退しわたしが遠くへ引っ越した後,彼と奥さんは,夜遅くカリフォルニア州カーメルの自宅に車で向かう途中,事故死したのです。彼は奥さんを愛し,子供を愛し,両親を愛していました。また,孫を愛していましたし,やがてその子供たちをも愛し,永遠に一緒にいたいと願ったことでしょう。
さて,そうした大勢の人々が来るべき世でどのように扱われるか分かりません。しかし,彼がわたしに会ったら,わたしをじっと見詰めて,その目がこう尋ねるでしょう。『ハル,君は知っていたね。なぜ話してくれなかったんだ?』」(「警告の声」『リアホナ』1999年1月号,36参照)
教義と聖約34章:追加の歴史的背景
オーソン・プラットはパーリー・P・プラットの弟です。オーソンは,若いころに主に近づこうと努力したことについて説明しました。「将来の有様に備えることについて大きな不安を感じることはよくありましたが,1829年の秋になるまで,真剣に主を探し求め始めることはありませんでした。その後,あらゆる罪を悔い改めながら,非常に熱心に祈るようになりました。静かな夕闇に包まれ,ほかの人が枕に頭を預けて眠っている間,わたしはしばしば人里離れた野原やだれも行かないような原野の人目につかない場所に行き,主の前に頭を垂れ,打ち砕かれた心と悔いる霊をもって何時間も祈りました。これはわたしの慰めであり喜びでした。わたしの心の最大の望みは,わたしに関する主の御心を示していただくことでした。」(in The Orson Pratt Journals, comp. Elden J. Watson [1975], 8–9)1830年9月,オーソン・プラットのもとに兄の一人でありバプテスマを受けたばかりのパーリー・P・プラットが訪ねて来ました。パーリーと同様に,オーソンも真理に改宗し,1830年9月19日の19歳の誕生日にバプテスマを受けました。その後,ニューヨーク州フェイエットにいた預言者ジョセフ・スミスに会うために322キロを旅しました。オーソンは自分に対する神の御心を知りたいと頼み,ジョセフ・スミスは教義と聖約34章に記録されている啓示を受けました。
教義と聖約34章
オーソン・プラットは福音を宣べ伝えるように召される
教義と聖約34:10。「それは聖霊の力によって与えられるであろう」
主がジョセフ・スミスを通じて教義と聖約34章に記録されている啓示をオーソン・プラットにお与えになったとき,オーソンは19歳で,教会員になってから数週間しかたっていませんでした。主はこの啓示で,預言の霊によって証することができるとオーソンに約束されました(教義と聖約34:10)。
何年もたってから,オーソン・プラット長老(1811-1881年)は主の使徒として,その約束について語りました。「『声を上げなさい……預言しなさい。そうすれば,それは聖霊の力によって与えられるであろう。』わたしにとってこの啓示のこの箇所は,あまりに崇高すぎて,いつまでも達成できないのではないかと思えたものです。にもかかわらずそれは,そうしなければならないという厳然たる戒めでした。わたしはこの啓示のことをしばしば考え,次のように自問することがよくありました。『この戒めを,求められる水準まで十分に果たしているだろうか。天から求められることを果たすには,預言の賜物を受けなければならないが,真剣に求めているだろうか。』そして,自分の怠惰や,天から与えられるこの神聖かつ偉大な賜物に関してほとんど進歩らしい進歩をしていない点を思い,自責の念に駆られることが時折ありました。はっきりと言えるのは,聖霊の霊感と力によってでなければ,預言するつもりはないということです。」(“Discourse by Elder Orson Pratt,” Deseret News, Mar. 3, 1875, 68)
ヘンリー・B・アイリング管長は,神の子供たちがそれぞれの召しと責任を果たそうと努めるときに,主は聖霊を通じて全員に神の助けを与えてくださると証しました。
「主は,あなたを召したときとまったく同じように,啓示によってあなたを導いてくださるということです。なすべきことを知るには,信仰をもって啓示を求めなければなりません。召しには答えが得られるという約束が伴っています。しかし,そのような導きが与えられるのは,あなたがそれに従うことを主が確信されたときだけです。御心を知るには,御心どおりに行うという決意が必要です。『御心が行われますように』という言葉を心に刻んで初めて,啓示の窓が開くのです。
答えは聖なる御霊により訪れます。その導きは度々必要です。聖霊を伴侶とするには,イエス・キリストの贖いにより清く,ふさわしくならなければなりません。ですから,あなたが戒めに従うかどうか,主の御心を行いたいかどうか,信仰をもって尋ねるかどうかによって,主がどれほどはっきりと祈りにこたえ,導くことがおできになるかが決まるのです。
聖文の研究中に答えを見いだすこともあります。聖典には,主が地上で行われたことと,僕たちに与えられた導きが記されています。その中には,いかなる時にも,いかなる場合にも応用できる教義が含まれています。聖文を心に深く考えることにより,祈りを通して正しく主に尋ねることができるよう導かれることでしょう。そして,ジョセフ・スミスが信仰をもって聖文を熟考した後に天が開いたように,確かに,神があなたの祈りにこたえ,手を引いて導いてくださることでしょう。……
主はあなたの力を何倍にもするという究極の保証を与えておられます。主の望みは,あなたが全身全霊をささげることだけです。信仰の祈りをもって元気に進んでください。御父とその愛子が,あなたを導くために聖霊を伴侶として送ってくださるのです。あなたの仕える人々の人生の中で,あなたの働きは大いなるものとなるのです。奉仕と犠牲のつらい時としか今は思えないであろう日々を振り返るとき,犠牲は祝福になっているのです。そして,あなたが神のために仕えた人々を,さらにあなた自身を,神がその腕で抱き上げてくださっていたのだと悟るのです。」(「神からの召し」『リアホナ』2002年11月号,76,78参照)
教義と聖約34:11。「わたしはあなたとともにいる」
主は,忠実な人々,主の業を助けるようにという呼びかけに従う人々とともにいると,何度も約束しておられます(例えば,教義と聖約30:11;31:13;32:3;33:9;34:11参照)。十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老は,この約束がいかに慰めとなり得るかについて説明しました。
「聖約を交わし守ることにより,人は主イエス・キリストとつながります。人が最善を尽くしても主の力には及ばず,比較にすらなりません。にもかかわらず,救い主は御自分に頼って一緒に荷を引くように招いておられます。現世の旅で主を信頼し,主とともに荷を引くなら,確かに主のくびきは負いやすく,主の荷は軽いのです。
わたしたちは独りではなく,独りでいる必要もありません。日々,天の助けを受けながら力強く進むことができます。救い主の贖罪によって,『自分が持つ以上の』能力と強さを得ることができます。(「われ主を愛して」『賛美歌』(英文)220番)主は次のように宣言しておられます。『それゆえ,旅を続け,心を喜ばせなさい。見よ,見よ,わたしは最後まであなたがたとともにいるからである。』(教義と聖約100:12)」(「容易に重荷に耐えられるように」『リアホナ』2014年5月号,88)