「第32章:教義と聖約85-87章」『教義と聖約 生徒用資料』
「第32章」『教義と聖約 生徒用資料』
第32章
教義と聖約85-87章
紹介とタイムライン
1832年11月下旬,ミズーリ州のシオンに移り住んだ聖徒たちの中には,主が命じたにもかかわらず,自分の財産を奉献しない者もいた。このため,彼らは教会の律法に従って土地の受け継ぎを得ることはなかった。預言者ジョセフ・スミスは,1832年11月27日付けのウィリアム・W・フェルプスにあてた霊感に満ちた手紙の中で,この問題について述べた。この手紙の一部が,教義と聖約85章に記録されている。
1832年12月6日,ジョセフ・スミスは教義と聖約86章に記録されている啓示を受けた。同じ日にジョセフは聖書の霊感訳に取り組んでいた。この啓示は,小麦と毒麦のたとえと終わりの日に義人を集める主の業を助けるうえでの神権の役割について,さらに詳しく説明している。
1832年の間に,預言者ジョセフ・スミスとほかの教会員たちは,多くの困難が地上に瞬く間に広がるということを新聞記事によって知ったようである。例えば,彼らは合衆国の奴隷制度についての論争を把握し,サウスカロライナで連邦政府の関税が無効にされたことについても知っていた。1832年12月25日,ジョセフ・スミスは,教義と聖約87章に記録されている啓示を受けた。それには,終わりのときに「すべての国々のうえに押し寄せる」戦争と裁きについての預言が含まれている(教義と聖約87:3)。
教義と聖約85章:追加の歴史的背景
1832年11月までに,800人以上の末日聖徒がミズーリ州ジャクソン郡のシオンの地に集まりました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, ed. Matthew C. Godfrey and others [2013], 315)。シオンに移住する教会員は主によって命じられた奉献制度に従って生活することになっていました(教義と聖約42:30-36;57:4-7;58:19,34-36;72:15参照)。これは,教会員は,会員とビショップの署名がなされた法的文書を交わして,所有物と財産を主にささげる,つまり,奉献することを意味しました。引き換えとして,教会員は別の法的文書を交わして,その会員の家族の必要に応じて,「受け継ぎ」または「管理人の職」と呼ばれる土地や財産を受けました。ミズーリ州ジャクソン郡に移住し,奉献の律法に従順だった聖徒たちは,教会の代理人が購入した土地の受け継ぎを受けました。
1832年10月と11月に,預言者ジョセフ・スミスはシオンの教会指導者たちから手紙を受け取りました。それらの指導者の中には,共同商会の会員としてミズーリ州インディペンデンスでの教会の出版事業を監督していたウィリアム・W・フェルプスもいました。1832年11月27日,ジョセフ・スミスはウィリアム・W・フェルプスの質問に答える手紙を書きました。預言者は,シオンの聖徒の中には主によって求められていた奉献制度に参加しない者がいたことも気づいており,自分の財産を奉献しなかった聖徒たちに土地の受け継ぎが与えられるかどうかという問題について言及しました。教義と聖約85章には,預言者がウィリアム・W・フェルプスに送った手紙の抜粋が書かれています。
教義と聖約85章
主,奉献して受け継ぎを受け取った人たちの記録を残すように命じられた
教義と聖約85:1-5。「神の律法の書」
1831年3月,主は「教会の記録と歴史を絶えず書き残すために」ジョン・ホイットマーを指名されました(教義と聖約47:3)。以前与えられたこの戒めは,預言者ジョセフ・スミスが「主が任命された主の書記〔ジョン・ホイットマー〕の義務は,歴史を記録し,シオンで起こるすべてのことについて,……一般教会記録を書き残すことである」と書いたときに再度与えられました(教義と聖約85:1)。書記はその義務の一部として,財産を奉献してビショップから受け継ぎ,すなわち管理人の職を受け取った人たちの名前と,また「彼らの生活の様子や,彼らの信仰や,行い」を記録する義務がありました(教義と聖約85:2)。さらに,霊感を受けてミズーリの教会指導者に与えられた指示は,シオンに受け継ぎを受けるために自分の財産を奉献したくない人とその家族の名前は,「神の律法の書」に記録されてはならないということでした(教義と聖約85:5。ヨシュア 24:15,25-26も参照)。
この啓示の中では,3つの記録の書が言及されています。すなわち,「神の律法の書」(教義と聖約85:5,7),「覚えの書」(教義と聖約85:9),「律法の書」(教義と聖約85:11)です。これらの呼び方はすべて同じ書を表しているようです。後に,聖徒たちがイリノイ州ノーブーに移住してから,ジョセフ・スミスは自身の日記とノーブー神殿建設のための什分の一献金者の名簿の記録を残すように指示しました。この書は「主の律法の書」とも言われています(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, 319, note 160)。
教義と聖約85章とそのほかの初期の啓示に書かれている什分の一の戒めは,教会に奉献された財産を含め,教会に納めるすべてのささげ物を表していました(教義と聖約64:23-24;85:3;97:11-12;教義と聖約119章 の前書き参照)。
教義と聖約85:7-8。「一人の力ある強い者」とはだれのことか
1981年夏の教会指導者によるミズーリへの最初の訪問の間に,エドワード・パートリッジビショップと預言者ジョセフ・スミスの間で不一致が起こりました。預言者はミズーリ州インディペンデンスに土地を購入するように指示しましたが,パートリッジビショップがその土地の質について懸念を表明したために意見の相違が起こりました。パートリッジビショップは主から叱責を受けましたが,不一致の問題はすぐには解決しませんでした。1832年4月以前のいずれかの時期に預言者とパートリッジビショップは和解しました(教義と聖約58:14-17;82:1-7参照。see also The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, 12–13)。
1832年11月に預言者がウィリアム・W・フェルプスにあてた手紙の中にある霊感を受けた言葉は,「神の箱を支えるために手を伸べる」人がいるため,神の家を整えるために立ち上がる「一人の力ある強い者」に言及しています (教義と聖約85:7-8)。この警告は,もし悔い改めなかったならエドワード・パートリッジビショップに当てはまったことでしょう。ジョセフ・スミスは後に,手紙の中の警告は特定の人に対するものではないが,「高い役職に就く人が気をつけるための注意であり,主が言われているように死の棒で倒れないようにするためのものである」ということを明確にしたと,オリバー・カウドリが1834年に記録しています(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, 320, note 161)。
神の家を整える「一人の力ある強い者」(教義と聖約85:7)および「神の箱を支えるために手を伸べる」(教義と聖約85:8)人については,教会を去った多くの背教者たちが自らの背教を正当化しようとして用いてきました。彼らは,教会の大管長の多くが神の支持を失って拒否され,背教者である自分たちが物事を正しく整えるために神に召された「一人の力ある強い者」であると主張します。そのような主張は,聖文の意味と矛盾します。
1905年に発布された公式の声明の中で,大管長会(ジョセフ・F・スミス,ジョン・R・ウィンダー,アンソン・H・ランド)は,教義と聖約85:7-8に記録されている預言が与えられたときの状況と,二つの言葉すなわち,「一人の力ある強い者」(教義と聖約85:7)と「神の箱を支えるために手を伸べる」(教義と聖約85:8)が指している人について,次のように説明しています。
「〔エドワード〕パートリッジビショップは大変立派な人であり,主に愛され,預言者から『敬虔の模範』『主の偉人の一人』と言われた人であったにもかかわらず,時折預言者に対抗して立ち,預言者が教会の任務を管理するのを正そうとしました。すなわち『神の箱を支えるために手を伸べ』た兄弟たちの一人でした。……
しかしエドワード・パートリッジビショップが悔い改め,犠牲をささげ,苦しみを味わったことにより,『まぶしい稲妻に撃たれる木のように,死の矢によって倒れるであろう』という恐ろしい裁きが緩和されたことは確かです。その結果,彼の地位を埋めるために別の人,すなわち『神の家を整え……聖徒たちの受け継ぎをくじによって手配する』ために,『一人の力ある強い者』を遣わす必要もなくなったと見なされたのでしょう。こうして預言されていたすべての出来事も打ち切られました。」(in Messages of the First Presidency of The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints, comp. James R. Clark [1970], 4:113, 117)
教義と聖約85:8。「神の箱を支えるために手を伸べる」とはどういう意味か
「神の箱を支えるために手を伸べる」という言葉は,旧約聖書に記録されている古代イスラエルのダビデ王の治世に起きた出来事に由来しています。ペリシテ人は戦場で契約の箱を奪いましたが,疫病によって撃たれると契約の箱を返しました(サムエル上4-6章参照)。ダビデとその民は後に,ウザとアヒオに指揮を執らせて契約の箱を雄牛の車に載せてエルサレムに運びました。「彼らがナコンの打ち場にきた時,ウザは神の箱に手を伸べて,それを押えた。牛がつまずいたからである。すると主はウザに向かって怒りを発し,彼が手を箱に伸べたので,彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ。」(サムエル下6:6-7)神の箱は神の臨在,神の御座,神の栄光,神の権威を象徴するものでした。最初にイスラエルの民に与えられたとき,神の箱は幕屋の至聖所に置かれ,祭司ですらそれに近づくことは許されていませんでした。キリストの象徴である大祭司だけが近づくことができましたが,それも自分の罪を清めることを表す個人的な清めの凝った儀式を行った後でなければなりませんでした。
主は末日の啓示の中でこの出来事を採り上げ,神の御心を明らかにし,地上における神の王国を導くように神が召された人に対して指示を与える(「神の箱を支える」)責任が自分にあると思ってはならないという原則を教えておられます(教義と聖約85:8参照)。神の箱が倒れかかっているのではないかと危ぶみ,おこがましくもそれを安定させようと考えている人がいるかもしれません。問題に遭遇すると,それに取り組む主の僕たちの姿勢に不満を抱く教会員もいます。自分たちにはその問題を扱う権威がないけれども,ワードの方針や教会の方針までも正さなければならないと感じているのかもしれません。しかし,最善の意図を持って行ったとしても,神によって正式に召されたり任命されたりしていない人による,主の教会に対するそのような干渉は正当化されません。
デビッド・O・マッケイ大管長(1873-1970年)は次のように教えています。「権能も与えられていないのに自己の責任の範囲を超えて,兄弟の働きを指示しようとするのは少し危険です。皆さんは,ウザが手を伸べて契約の箱を支えた事件を覚えておられると思います〔歴代上13:7-10参照〕。ウザは,牛がつまずいたときに手を伸ばして契約の象徴を支えたのであり,赦されるべき行為のように思われます。今日のわたしたちから考えると,彼が受けた罰はあまりにも厳しいものであったように思います。しかし,たとえそうであっても,この出来事は人生の教訓をわたしたちに与えてくれます。わたしたちの周囲を見回してみると,権能も与えられていないのに契約の箱を支えようとする人がいかに早く霊的に死んでいるかということが分かります。そのような人の魂は苦々しい思いを募らせ,その心は歪み,判断は誤り,気持ちが沈むようになります。自分の責任を怠りながら,その時間を他人のあら探しをすることに費やしている人の状態は,何とも哀れむべきです。」(in Conference Report, Apr. 1936, 60)
教義と聖約85:9-11。「聖徒たちの中に受け継ぎを見いださないであろう」
教義と聖約85章で述べられている奉献の律法を通してシオンで受けることになっていた土地の受け継ぎは,忠実な者に約束された永遠の受け継ぎにたとえることができます。忠実な教会員が,奉献を通して与えられる地上での受け継ぎについての記録には,その名前と「彼らの生活の様子や,彼らの信仰や,行いについても」書かれています(教義と聖約85:2)。忠実でなかった者や背教した者の名前は「神の律法の書」の中にはありません(教義と聖約85:5)。同様に,わたしたちが戒めを守るなら,日の栄えの王国において永遠の受け継ぎを受けることが保証されます(教義と聖約38:17-20参照。教義と聖約63:47-49も参照)。
大管長会のディーター・F・ウークトドルフ管長は,わたしたちが永遠の受け継ぎを得るためにしなければならないことについて次のように教えています。
「御父は皆さんに高い望みを持っておられますが,天与の起源を持つ だけでは天の受け継ぎを得ることは保証されません。神が皆さんをここへ送られたのは,想像を絶する未来に皆さんを備えるためです。……
だからこそ,わたしたちは弟子としての道のりを歩むことについて話すのです。
神の戒めに従順に従うことについて話すのです。
心と力と思いと精神を尽くし,喜んで福音に生きることについて話すのです。」(「喜んで福音に生きる」『リアホナ』2014年11月号,121)
教義と聖約86章:追加の歴史的背景
1831年春のあるとき,預言者ジョセフ・スミスは新約聖書の霊感訳に携わっていたときに,マタイ13章に霊感による変更を加えました。そのときジョセフ・スミスは,その章に記録された小麦と毒麦のたとえに若干の変更を加えました(マタイ13:24-30,36-43参照)。1832年7月から1833年2月にかけて,ジョセフは旧約聖書の霊感訳に取り組んでいたときに,新約聖書の霊感訳の見直しをしました。マタイ13章をもう一度見直していたのか,イスラエルの集合に関する旧約聖書の言葉の霊感訳に取り組んでいたのか明らかではありませんが,教義と聖約86章の啓示を受けた1832年12月6日のジョセフの日記の記録によると,その日ジョセフは翻訳をしていたときに,「小麦と毒麦のたとえについて説明する啓示を受けた」と書かれています(in The Joseph Smith Papers, Journals, Volume 1: 1832–1839, ed. Dean C. Jessee and others [2008], 11)。
教義と聖約86章
主,小麦と毒麦のたとえを教えられる
教義と聖約86:1-7。「小麦と毒麦のたとえ」
預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は,マタイ13章に記述されているたとえについて説明しています。そのたとえは,主がこの世におられたときに御自身の教会を設立されたことと,末日における教会の成長と行く末についても表しています(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』 298-300参照)。
教義と聖約86章に記録されている啓示を受けた数年後,ジョセフ・スミスは小麦と毒麦のたとえに関してさらに詳しく教えました。これらの教えは1835年12月に出版された”Latter Day Saints’ Messenger and Advocate”(「末日の聖徒の使者と代弁者」)の中に書かれています(see “To the Elders of the Church of the Latter Day Saints,” 225–27)。このたとえについて預言者ジョセフ・スミスは次のように具体的に説明しています。
「さて,このたとえから,実を結んだ良い種が象徴する救い主の時代における王国の設立についてだけでなく,毒麦が象徴する教会の腐敗についても学ぶことができます。毒麦は敵によってまかれたもので,もし救い主の承認があったとしたら,弟子たちは進んで毒麦を抜いていた,すなわち教会を清めるためにそれらを取り除いていたでしょう。しかしすべてのことを御存じである主は,そうしてはならないと言われました。それはあたかも次のように言っておられたかのようです。すなわち,あなたがたの考えは正しくない。教会は幼年期にあり,もしそのような性急な措置を講じるなら,小麦すなわち教会を,毒麦と一緒に滅ぼすことになるだろう。だから収穫のときすなわち世の終わりまで,それらが一緒に育つままにしておく方がよい。世の終わりとは悪人の滅亡を意味し,それはまだ成就していない。……
さて,これ〔マタイ13:36-39に記録されているに,主が御自分の僕たちに明らかにされたたとえの意味〕は比喩であって,語られているままを意味するのではない,と言う人がいても,その根拠となり得るものは存在しません。主はここで,御自分が以前に語られたたとえを説明しておられるからです。その説明によれば,世の終わりとは悪人の滅亡であり,収穫と世の終わりは,……終わりの時における人類家族について直接言及したもので〔す。〕……
『だから,毒麦が集められて火で焼かれるように,世の終りにもそのとおりになるであろう。』〔マタイ13:40〕つまり,神の僕たちが出て行ってもろもろの国民に,祭司たちにも民にも警告しているにもかかわらず,彼らが心をかたくなにして真理の光を拒むとき,これらの人々はまずサタンに引き渡されて打たれ,律法と証は閉ざされ,……彼らは暗闇の中に置かれて,焼き払いの日に引き渡されます。こうして彼らはその信条によって束ねられ,その縄は彼らの祭司たちにより強く縛られて,救い主の言葉が成就する用意が整うのです。『人の子はその使たちをつかわし,つまずきとなるものと不法を行う者とを,ことごとく御国からとり集めて,炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり,歯がみをしたりするであろう。』〔マタイ13:41-42〕
わたしたちは次のように理解しています。すなわち,小麦を集めて倉に納める業は,焼き払いの日に備えて毒麦が束ねられている間に行われます。そして焼き払いの日の後,『義人たちは彼らの父の御国で,太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。』〔マタイ13:43〕」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』299-300。see also Manuscript History of the Church, vol. B-1, 645–46, josephsmithpapers.org)
教義と聖約86:3-4。「教会を荒れ野に追いやる」
時の中間に,イエス・キリストは御自分の教会を設立され,全世界に福音の教えを広めるよう使徒たちに命じられました。使徒たちが「眠った」後,これは使徒たちが亡くなった後という意味ですが,神権の鍵は取り去れられ,初期の教会にあった儀式と組織は腐敗しました(教義と聖約86:3参照。教義と聖約1:15-16も参照)。サタンとサタンに従う者たちは,「教会を荒れ野に追いや」りました。これは教会はもはや生ける預言者や使徒に導かれず,人々は背教し,霊的な暗闇にいることを意味します(教義と聖約86:3参照。黙示12:1-6も参照)。数世紀後,ジョセフ・スミスは「暗黒から,また暗闇から」イエス・キリストの教会をもたらすように神によって召されました(教義と聖約1:30。教義と聖約1:17;5:14;33:5;86:3-4;109:73も参照)。
教義と聖約86:6-7。「小麦と毒麦をともに育つままにしておきなさい」
主の小麦と毒麦のたとえの中では,小麦は「御国の子たち」で,毒麦,つまり雑草は,敵によってまかれた「悪い者の子たち」を表しています(マタイ13:38)。収穫とは,刈る者が毒麦を集めて焼き,小麦を集めて倉に入れる時を表しています(マタイ13:30参照)。末日の啓示では,主は刈り入れまたは収穫の順序を明らかにされました。まず小麦を集め,それから毒麦を束にするよう指示しておられます(教義と聖約86:7参照)。たとえの中では,小麦と毒麦が分けられる収穫の時まで待つという決定が強調されています。このことは,世の終わりの時に義人が悪人から分けられる前,神が子供たちを憐れんで,彼らが信仰を強められるように,時間を与えてくださることを表しています(教義と聖約38:12;63:54;88:94;101:4-66参照)。世の終わりの収穫の時まで,義人と悪人は「ともに育」ち続けます(教義と聖約86:7)。
十二使徒定員会のニール・A・マックスウェル長老 (1926-2004年)は,今日の末日聖徒に対して,この時代の艱難について次のように話しています。
「教会員は福千年まで毒麦と小麦の状態に置かれるでしょう。中には小麦のふりをしている毒麦がいて,もはや信じていない教会の教義について会員たちにしきりに説教しようとします。また自分ではもはや献金していない教会基金の使い道について批判します。あるいは,もはや支持していない教会の幹部に恩着せがましく助言しようとします。人に批判的で自分に寛大な彼らは,教会を去っても,教会への批判はやめません(〔「あらゆる種類の人々を囲み入れる網」〕『聖徒の道』1981年4月号,21-25参照)。……
ですから,兄弟姉妹の皆さん,たとえ預言されているとおり善いことに対して実際に怒る人がいても(2ニーファイ28:20参照),静かに善を行い続けなければなりません。同じように,信仰を持つ人は,横柄な批判に対して柔和さと明快な態度で応じなければなりません。たとえ憤慨した人々に取り巻かれても,わたしたちは彼らに,特に落胆した人々に,手を差し伸べなければなりません(教義と聖約81:5参照)。もしわたしたちが民としての欠点を指摘されたときには,改善するよう努めようではありませんか。」(「子供のようになる」『聖徒の道』1996年7月号,78-79)
教義と聖約86:8-11。「先祖の血統を通して神権が続いてきた」
小麦と毒麦のたとえの解釈を明らかにされた後,主は「先祖の血統を通して神権が続いてきた」御自分の教会員にとって,このたとえが暗示していることについて説明されました(教義と聖約86:8)。義人を集めるという意味の末日の小麦の収穫は,主から権能を与えられた僕によって組織され実行されます。このことは古代に,すなわちエホバが,アブラハムの子孫は「すべての国民にこの務めと神権を携えて行くであろう」,そして,この神権を通して「救いの祝福すなわち永遠の命の祝福である福音の祝福を授けられるであろう」と宣言されたときに,アブラハムに約束されました(アブラハム2:9,11)。たとえわたしたちにはアブラハムの子孫が外見から分からなくても,主は彼ら(アブラハムの子孫)がだれで,どこにいるかを御存じです。預言者ジョセフ・スミスは,末日聖徒は文字どおりアブラハムの子孫であり「肉による正当な相続人」なので,神権の祝福を受ける資格があることを知りました(教義と聖約86:8-9参照。教義と聖約113:6,8も参照)。主は,アブラハムの子孫は神権の救いの儀式を人々にもたらす責任があり,それにより「わたしの民イスラエルのために救い手となる」ことを明らかにされました(教義と聖約86:11。教義と聖約103:9-10も参照)。
十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン会長は次のように教えています「皆さんは神の御前に気高い偉大な霊であり,この時代に地上に来ることができるよう,天にとどめおかれた人々なのです(教義と聖約86:8-11参照)。また前世で,主の再臨に先立って世の人々を集合させる偉大な御業を助ける者として,任命されました。皆さんは契約の民の一員でもあります。全地はアブラハムの子孫によって祝福を受け,神がアブラハムと交わした契約はアブラハムの血統を通じてこの末の日に成就するという約束が与えられています。皆さんはその約束を受け継いでいる人々なのです(1 ニーファイ 15:18;3 ニーファイ 20:25参照)。」(「選択」『聖徒の道』1991年1月号,80)
教義と聖約87章:追加の歴史的背景
アメリカ合衆国の初期の歴史の中で,政府がそれぞれの州をどの程度管理するのかという点で,深刻な不一致がありました。1832年,サウスカロライナでは関税法(輸入品に対する税金)は違憲であると宣言する条例を決議し,サウスカロライナの多くの人々は連邦政府に対する軍事行動の準備を始め,深刻な国家の危機が起こりました。当時の合衆国大統領であったアンドリュー・ジャクソンは,この動きを反乱と見なし,武力による鎮圧のために,連邦軍をサウスカロライナに,また軍艦をチャールストン港に送りました。1833年3月に,妥協案と見られる新しい関税法が成立したことによって,そのときは市民戦争は避けられました。
1832年12月21日,“Painesville Telegraph”(「ペインズビル電信」)発行のものを含む多くの新聞は,この政治的混乱や世界中のそのほかの困難な状況についての記事を発行しました。 オハイオ州ペインズビルはカートランドからわずか10マイル(約16キロメートル)の所に位置していたため,預言者ジョセフ・スミスが次のように話すに至った一つの情報源はペインズビル電信であったと思われます。
「この時期,教会が荒れ野から出立しその旅を始めて以来,かつてなかったほど多くの問題が諸国の間に現れてきました。世界中のほとんどすべての大都市でコレラが猛威をふるい,インドでは疫病が発生しました。一方アメリカ合衆国では,その華やかさと偉大さを誇っていたさなかに,差し迫った分裂の危機にさらされていました。サウスカロライナの人々は,(11月に)大会を開き,サウスカロライナ州は自由で独立した国であることを宣言する条例を決議しました。……
〔アンドリュー・〕ジャクソン大統領はこの反乱に対して宣言を発し,反乱を鎮圧するのに十分な軍隊を出動させ,この差し迫る深刻な危機の脅威から解放するために助けてくださるよう,神に祝福を願い求めました。
〔1832年の〕クリスマスの日に,わたしは次のような〔啓示〕を受けました。」(in Manuscript History of the Church, vol. A-1, page 244, josephsmithpapers.org)この啓示は教義と聖約87章に記録されています。
教義と聖約87章
主はすべての国民に降りかかる戦争について明らかにされる
教義と聖約87:1-6。「戦争がすべての国々のうえに押し寄せる」
イエス・キリストの福音は,神の戒めに従い,祈りをもって神に頼る人に対して,平和をもたらす力があります(教義と聖約27:15-16;42:61;59:23参照)。イエス・キリストは平和の君であられます。そして,主に従う者は,主がお与えになる平安を受けるように招かれています(イザヤ9:6;教義と聖約19:23;84:102参照)。人々が福音を通して得られる霊的な平安を求めている一方,「平和が地から取り去られ」る「日が速やかに来る」と主は宣言しておられます(教義と聖約1:35)。主は啓示を通して,悪がますます世にはびこるため,争いや戦争が起きることを末日聖徒に警告しておられます(教義と聖約38:29;45:26,63,68-69参照)。世界で困難な出来事が起きている中,預言者ジョセフ・スミスは「戦争に関する啓示と預言」を受けました(教義と聖約87章,前書き)。
この啓示の中で,主は「間もなく起こる戦争」に対する警告を与えられ,「戦争がすべての国々のうえに押し寄せる」と宣言されました(教義と聖約87:1-2)。イエス・キリストの再臨を指している「定められた滅びが,すべての国をことごとく終わらせる」ときまで(教義と聖約87:6),戦争状態が続き,飢饉,疫病,地震などほかの困難な問題が伴うとされています(黙示11:15参照)。教義と聖約87章に記録されている南部諸州と北部諸州の戦争に関する預言は,1861年から1865年に起きたアメリカ南北戦争のときに成就しました(教義と聖約87:3参照)。主の再臨に先立つ戦争と災害に関する預言は成就し続けています。
ニール・A・マックスウェル長老は,近年数多くの戦争が連続して起きていることについて,次のように述べています。
「悲しいことに,わたしたちは平和を作り出すように求められていながら,地より平和の取り去られた時代に生きています(教義と聖約1:35参照)。現代の人々はほとんど絶え間なく戦争を経験してきました。1945年に第二次世界大戦が終結してから今日に至るまで,大小合わせると,141の戦争が起きています。南北戦争が今にも始まろうとしていたとき,主は,戦争がすべての国民の上に押し寄せ,「多くの人の死と苦悩」に終わると宣言されました(教義と聖約87:1)。
さらに,争いは続いてその極みに達し,「すべての国をことごとく終わらせる」ことになるでしょう(教義と聖約87:6)。その間に,もしも世の人々が望むならば,武器に頼らせましょう。しかしわたしたちは,「神の武具で身を固め」るのです(エペソ6:11)。そして,このような苦難のさなかにあっても,わたしたちは義にかなっていれば,死ぬときは主にあって死に,生きるときは主にあって生きるでしょう(教義と聖約42:44参照)。」(「喜びをもって生きなさい」『聖徒の道』1983年1月号, 119参照)
教義と聖約87:1-4。戦争に関するジョセフ・スミスの預言
1832年12月25日に預言者ジョセフ・スミスが受けた啓示の中で,主は末の日に「サウスカロライナの反乱」で始まる戦争について述べておられます(教義と聖約87:1。教義と聖約130:12-13も参照)。その預言は約28年後の1860年12月20日,サウスカロライナが南部11州で最初に合衆国から離脱することを宣言したときに成就しました。これによって,1861年4月12日,サウスカロライナ州サムター要塞で戦いが始まりました。ほかの南部諸州は北部諸州に対する南北戦争に加わりました。やがて,南部諸州は,預言されていたように,イギリスに支援を求めました(教義と聖約84:3参照)。1861年から1865年に,北部諸州と南部諸州の間でアメリカ南北戦争として知られる激しい戦争が起きました。
預言者ジョセフ・スミスが受けた啓示では,アメリカ南北戦争から始まった戦争は,「ついには多くの人の死と苦悩に終わるであろう」ということを示しています(教義と聖約87:1)。南北戦争におけるアメリカ人の死者の数は,ほかのすべての戦争におけるアメリカ人の死者数の合計を上回っていると推定されています(see Donald Q. Cannon, “Prophecy of War (DC 87),” in Studies in Scripture, Volume One: The Doctrine and Covenants, ed. Robert L. Millet and Kent P. Jackson [1984], 337)。さらに,それ以来世界中で起こっている戦争の結果,何百万人もの死者が出ていることが,この預言が成就していることの証となっています。
1832年,この啓示が与えられたときの政治的混乱は,サウスカロライナ州が関税法を無視し,拒絶したことによって措置が講じられたことを軸としていました。しかし,預言者ジョセフ・スミスは北部諸州と南部諸州の戦争は,奴隷問題によって起きるであろうと後に預言しています(教義と聖約130:12-13)。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は次のように述べています。「嘲笑する者たちは,1832年にジョセフ・スミスが南北戦争の勃発について預言したことは取るに足りないことで,霊感による預言的示現であると主張しないほかの人たちも同じような予想をしてきたと言いました。……南部からの上院議員と下院議員は,自分たちの地域が合衆国から離脱する権利を持っている状態を維持していたことはよく知られています。なぜなら,合衆国は連合体だったからです。また,1832年に今にも戦争が勃発しそうであることも分かっていました。主がジョセフ・スミスに,戦争はサウスカロライナの反乱で始まり,すべての国に押し寄せ,ついには多くの人の死と苦悩に終わるであろうと預言する啓示を知らせたのはこの事実のためでした。すでに不満は募っていましたし,サウスカロライナは反抗の兆しを見せていたので,1832年に,あるいは1831年にでも,だれかが北部諸州と南部諸州の間に分裂が起きることを預言することは簡単だったようです。しかし,主がジョセフ・スミスに預言したように,近々南北戦争によって引き起こされる成り行きや,すべての国々のうえに押し寄せることを詳細に予測することは人の力によってはできませんでした。」(Church History and Modern Revelation [1953], 1:358–59)
教義と聖約87:8。「あなたがたは聖なる場所に立ち,動かされないようにしなさい」
主は末日の邪悪で敵意に満ちた状態を御存じだったので,聖徒たちに「主の日が来るまで,……聖なる場所に立ち,動かされないようにしなさい」と指示されたのです(教義と聖約87:8)。これらの聖なる場所は,シオンの中の安全な地に見出されます(教義と聖約45:66-68;97:21参照)。七十人会長会で奉仕しているとき,デニス・B・ノイエンシュバンダー長老は次のように説明しています。
「主は教義と聖約の中で3度,御自分の民にこう勧告されました。『聖なる場所に立ち〔なさい。〕』(教義と聖約45:32;87:8;101:22参照)この世界の現状を見れば,主のこの勧告の重要度はさらに増してきます。破滅的な病気,迫害,戦争は,当然のごとく,わたしたちの日々の生活に入り込んでいます。世界がこのように混迷をきわめている中にあって,主はこう勧告しておられます。『見よ,わたしの思いは,わたしの名を呼び,わたしの永遠の福音に従ってわたしを礼拝する者が皆集まり,聖なる場所に立〔つことである。〕』(教義と聖約101:22)
神を正しく礼拝するために,これまで常に聖なる場所が必要とされてきました。末日聖徒には,そのような場所として,歴史的に重要な幾つかの場所や,家庭,聖餐会,そして,神殿があります。これらの場所には,わたしたちが畏敬の念を抱く事柄,そして子供たちにも神聖なものとして敬うように教える事柄が,表されているのです。これらの場所に関してわたしたちが抱いている信仰や畏敬の念が,また,そこで行われることやこれまで行われてきたことに対するわたしたちの尊敬の念が,その場所を神聖にしているのです。礼拝のためにある聖なる場所の重要性は幾ら評価してもしすぎることはありません。……
これらの聖なる場所は,わたしたちの信仰を鼓舞し,その信仰に忠実であるように励まし,困難に出遭っても前進する勇気を与えてくれます。」(「聖なる場所」『リアホナ』2003年5月号,71-72)