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第42章:教義と聖約106-108章


「第42章:教義と聖約106-108章」教義と聖約 生徒用資料

「第42章」教義と聖約 生徒用資料

第42章

教義と聖約106-108章

紹介とタイムライン

1834年11月25日,預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約106章に記録された啓示を受けた。主はこの啓示で,オリバー・カウドリの兄であり,教会に改宗したばかりのウォレン・A・カウドリを,ニューヨーク州フリーダムと周辺地域で増え続ける聖徒たちを管理するように召された。主はウォレンに,彼の忠実な奉仕に対するすばらしい祝福も約束された。

新しく召された十二使徒定員会の会員たちが合衆国東部での伝道に出る準備を行っていたとき,預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約107章に記録されている啓示を受けた。この啓示は1835年に記録されたが,その一部は1831年に与えられたものであった。この啓示には,神権と教会の統治に関する主の指示が含まれる。

1835年12月26日,ライマン・シャーマンは,彼の務めに関して預言者ジョセフ・スミスに支持をもとめるという霊的な印象に従って行動した。それにこたえて,主は教義と聖約108章に記録されている啓示を与えられた。この中で,主はライマンをお赦しになり,彼の忠実さに応じた祝福を約束し,ライマンに勧告を与えた。

1831年6月3-6日オハイオ州カートランドで開かれた教会の大会で,初めて大祭司が聖任された。

1831年11月11日教義と聖約107章の一部が与えられた。

1834年5-7月預言者ジョセフ・スミスが,迫害されていた聖徒たちを助けるためにシオンの陣営を率いた。

1834年11月25日教義と聖約106章が与えられた。

1835年2月14日十二使徒定員会の会員たちが召された。

1835年2月28日ライマン・シャーマンが七十人の会長として召された。

1835年3-5月上旬教義と聖約107章のそのほかの部分が口述された。

1835年2月28日-3月1日50人以上の男性が七十人として務めるよう任命された。

1835年12月26日教義と聖約108章が与えられた。

教義と聖約106章:追加の歴史的背景

ウォレン・カウドリは,ニューヨーク州フリーダムで妻のペイシェンスと8人の子供たちとともに暮らしていました。1830年ころ,ウォレンは弟のオリバー・カウドリからモルモン書について聞きましたが,そのときはバプテスマを受けませんでした。1834年3月,預言者ジョセフ・スミスとパーリー・P・プラットは,シオンの陣営の志願者を募るためにニューヨーク州西部を旅していたときに,ウォレンとペイシェンスの家に宿泊しました。その滞在中に,ジョセフとオリバーは幾つかのたくさんの会衆に福音を宣べ伝え,ウォレンとペイシェンスの隣人であるヒーマン・ハイドにバプテスマを施しました。(リサ・オルセン・タイト「ウォレン・カウドリ」『啓示の背景』マシュー・マクブライドとジェームズ・ゴールドバーグ編,またはhistory.lds.org。)翌月,プラット長老はその地域を再び訪れたときに次のように書いています。「わたしがそこを離れている間に,おもにオルソン兄弟の働きによって,教会は約40人以上からなる集団となっていました。」(Autobiography of Parley Parker Pratt, ed. Parley P. Pratt Jr.[1938], 113

ウォレンとペイシェンス・カウドリは,1834年の5月から9月の間のいずれかの時期にバプテスマを受けました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, ed. Matthew C. Godfrey and others [2016], 180)。弟のオリバーにあてた手紙の中で,ウォレンは,福音を信じていない人々からフリーダムの聖徒たちが受けている反対について書いています。ウォレンは,フリーダムの支部に続けて集う中で「神の是認による何がしかの明示」を受けたと言っています。しかし,「わたしは君が得たような確かな証明を自分も得られたらと何度も何度も願ってきました」と書いています(タイト,「ウォレン・カウドリ」history.lds.org)。

ウォレンはまた,「最も聖い信仰においてわたしたちを強め,築き上げることでわたしたちの益となる」ような「大義の教導者」にフリーダムの地に来てほしいという望みを表しています( 「ウォレン・カウドリhistory.lds.org)。1834年10月の弟オリバーにあてた手紙の中で,ウォレンは「主の果樹園で役に立ちたい」という思いを表し,オリバーに「わたしについての主の御心を尋ねる」ように頼みました ((in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 180)。翌月,預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約106章に記録されている啓示を口述しました。主はこの啓示の中で,ウォレン・カウドリが福音を宣べ伝えて会員を強め,その地域に教会を築き上げることを望まれていることを明らかにされました。

〔地図5:アメリカ合衆国ニューヨーク,ペンシルベニア,オハイオ地域の画像〕

教義と聖約106章

主は,ウォレン・A・カウドリを「管理大祭司」として召し,彼の奉仕に対する祝福を約束される

教義と聖約106:1。「管理大祭司」

主は,ウォレン・A・カウドリを「フリーダムの地とその周りの地域における〔主の〕教会の管理大祭司」として奉仕するように召されました(教義と聖約106:1)これはウォレンが特定の地理的地域を管理する神権指導者として任命されたことを意味します。

教義と聖約106:4-8。「光の子」

救い主も使徒パウロも,イエス・キリストの再臨を,不意に盗人がやって来ることにたとえました(マタイ24:431テサロニケ5:2-5参照)。教義と聖約106章に記録されている啓示の中で,主は,「光の子となるために,腰に帯を締めなさい。そうすれば,その日〔主の再臨〕が盗人のように不意にあなたがたを襲うことはないであろう」と勧告されました(教義と聖約106:5)。腰に帯を締めるとは主の業を行う備えをするという意味です。「光の子」は,常に救い主の再臨に備えて生活します。

七十人会長会のクレーグ・C.クリステンセン長老は次のように教えています。 

「光の子となるということは,敵対する者の力を拒み,日々キリストの光に従うことを選ぶという意味です。

『光の子』という言葉は,福音の光を明るく輝かせている人を表します。また,光を求め,徳高く,潔く,清いことに引き寄せられる人です。光の子は油断なく,注意深くあること,つまり,霊的な意味で,起きているべきときに,眠っていないということです(2ニーファイ1:131テサロニケ5:5-8参照)。光の子は暗闇の中でただ座っているのではなく,立ち上がり,際立った存在になる勇気を持っています。敵対する者が迫り来るとき,光の子は,いつ反撃すべきか,拒否すべきか,あるいは単に立ち去るべきかを知っています。……

完全になるまで待つ必要はありません。完全にならなくても世の光となることができます。光の子になるのは一つのプロセスであり,改宗のプロセスによく似ています。……

光の子として,わたしたちには,この世をもっと聖く幸せに住む場所とする義務があるのです。」(“Becoming Children of Light,” Ensign, Aug. 2014, 67, 69)

ウォレン・カウドリは,「〔主の〕笏に身をかがめ〔た〕」ときに光の子の一人となる最初の一歩を踏み出しました(教義と聖約106:6)。とは,統治者の権威や力を象徴する棒または杖のことです。バプテスマを受けることにより,ウォレンは天の王の権威と御心に従い,改心して「人の悪賢い行い」つまり世の不義から「身を引〔きました。〕」(教義と聖約106:6)ウォレンは「〔ニューヨーク州〕フリーダムの地とその周りの地域における〔主の〕教会の管理大祭司」に召されたことに伴い(教義と聖約106:1),「天の王国……を熱心に求め」,「へりくだ〔り〕」,「忠実な証人であり,教会にとって光となる」よう指示を受けました(教義と聖約106:3:,7-8)。もし,そのように行うなら,ウォレンを「高く上げ」,「恵みと確信を与え〔る〕」と主は約束されました(教義と聖約106:7-8)。わたしたちが主の前にへりくだり,「続けて忠実な証人であり,教会にとって光となる」とき,主はわたしたちを同様に祝福してくださり,「〔主の〕父の住まいに……用意している」冠をわたしたちも受けることでしょう(教義と聖約106:8)。

〔ニューヨーク州フリーダム付近の農場の画像〕

預言者ジョセフ・スミスとパーリー・P・プラットは,ニューヨーク州フリーダム・タウンシップで回復された福音を宣べ伝え,ウォレン・カウドリを約70人の支部を管理するように召しました。

ウォレン・カウドリはこの啓示で与えられた主の勧告を受け入れ,少なくとも1年間,ニューヨーク州フリーダムにおける「管理大祭司」(教義と聖約106:1)として務めました。オハイオに移住した後,ウォレンはカートランドの教会の出版会社で働き,そこでジョセフ・スミスの書記として務め,カートランド神殿の奉献の祈りを記録するのを手伝い,ほかの出来事も記録しました(「ウォレン・カウドリ」history.lds.org参照)。

教義と聖約107章:追加の歴史的背景 

主は回復された福音の多くの真理を明らかにされたときと同様に,神権組織と教会の管理の規範について,「教えに教え」を与えることで明らかにされました(教義と聖約98:12)。元は「神権について」と題された教義と聖約107章に記録されている啓示によって,神権の職,義務,組織について以前に与えられた啓示が補足され,明確にされています(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 308–9; see also DC 20; 84)。

教義と聖約107:60-100に記録されている啓示のほとんどの部分は,1831年11月11日に預言者ジョセフ・スミスによって口述されました(教義と聖約107章の前書き参照)。この啓示は「シオンの地におけるキリストの教会」(教義と聖約107:59)へ向けたもので,「大神権」(教義と聖約107:64)について明確にしています。この神権時代における最初の大祭司は,1831年6月に開かれた教会の大会で聖任されました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, ed. Michael Hubbard MacKay and others [2013], 317)。

1835年3月から5月初旬のいずれかの時期に,十二使徒定員会の会員が使徒としての最初の伝道に出る準備をしていたときに,教義と聖約107章に記録されている啓示の最初の部分が口述されました。神権組織について次々に明らかにされていく中で,1835年2月14日,この神権時代の最初の十二使徒定員会の会員が召されました。翌月,「〔預言者ジョセフ・スミス〕と十二使徒は,『東部の教会から押し迫った要求が多かったため』,十二使徒がアメリカ合衆国東部で一連の大会を開くことを決定しました。……それらの地域における教会の支部の益となるために『必要なすべての事柄を整えることがその目的』でした。」(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 308; spelling standardized)1835年5月3日に,定員会として最初の伝道に出発する準備をしていた人々の前で,預言者ジョセフ・スミスはこの啓示を述べたようです。教義と聖約107章には,この「十二使徒会に与えられた指示から新たな内容」が含まれており,それは,「神権評議会に関する1831年11月の啓示の更新版とともに一つの章にまとめられました。」(ジョセフ・F ・ダロウスキーおよびジェームズ・ゴールドバーグ 「古代の聖職組織を回復する」マクブライドとゴールドバーグ『啓示の背景』,またはhistory.lds.org)。

教義と聖約107:1-20

主は,メルキゼデク神権とアロン神権についてお教えになる

教義と聖約107:1-6。「教会には二つの神権……がある」

教義と聖約107章に記録されている啓示の中で,メルキゼデク神権と,レビ神権を含むアロン神権は,「二つの神権」,また「二つの区分,すなわち大きな部類」と言われています(教義と聖約107:1,6)。アロン神権はメルキゼデク神権「に付属するもの」すなわち,メルキゼデク神権の一部であることが,後にこの啓示の中で明確にされています(教義と聖約107:14)。預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は,メルキゼデク神権とアロン神権の関係について次のように説明しています。

「神権は二つですが,メルキゼデク神権はアロン神権またはレビ神権を含んでおり,大いなる部類であって,神権にかかわる最も高い権能……を持ちます。

……ほかの神権はすべて,この神権に属する部分,小区分,力および祝福にすぎず,この神権によって保たれ,制御され,導かれます。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』108

また別の機会に,預言者ジョセフ・スミスはこのように教えています。「すべての神権はメルキゼデク神権です。しかしそれには様々な部分または階級があります。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』109)このように,アロン神権の力,権能,職はメルキゼデク神権から分離したり,異なることはありません(教義と聖約107:14-15,17参照)。それらは神の神権全体の一部なのです。

教義と聖約107:3-4。「神の御子の位に従う聖なる神権」

メルキゼデクは偉大な大祭司であり,サレム,すなわちエルサレムの王でした(ジョセフ・スミス訳創世14:25-40〔『聖句ガイド』内「聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)」〕;へブル7:1-3,15-17アルマ13:17-19参照)。メルキゼデクの前の時代には,「〔神権〕は神の御子の位に従う聖なる神権と呼ばれていました。」(教義と聖約107:3)これは,イエス・キリストが地上におけるすべての神権の権能と力の真の源であられることを示しています。しかし,「至高者の名を敬い尊ぶことから,この名をあまり頻繁に繰り返すのを避けるために」,この神権の名前が変わり,「メルキゼデクにちなんで」メルキゼデク神権と呼ばれ〔る〕」ようになりました(教義と聖約107:4)。

Melchizedek Blesses Abram, by Walter Rane

Melchizedek Blesses Abra(「アブラムを祝福するメルキゼデク」)by Walter Rane.「なぜ前者〔の神権〕がメルキゼデク神権と呼ばれるかといえば,メルキゼデクはそれほど偉大な大祭司であったからである。」(教義と聖約107:2

「聖なる神権」が「神の御子の位に従う聖なる神権」(教義と聖約107:3)と呼ばれていたことは,神権者は聖い状態で歩み,イエス・キリストのように神権の権能と力を用いるべきことを示しています。へブル7:3は,預言者ジョセフ・スミスの霊感訳では「この神権に聖任される人は皆,神の御子のようであ〔る〕」と教えています(ジョセフ・スミス訳へブル7:3〔『聖句ガイド』内「聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)」〕)。十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長(1924-2015年)は,このことについて次のように認識しています。「神権は,神に代わって行動するために神が地上の男性に与えられた権能であり,力です。神権の権能を正しく行使するとき,神権者は〔イエス・キリスト〕がその場におられるなら行われるであろうことを行うのです。」(「神権の力」『リアホナ』2010年5月号,7)

教義と聖約107:5。「教会における他のすべての権能または職は,この神権に付属するものである」

付属するものとは,より大きなものに付随するもの,または,その一部であるもののことです。教義と聖約107:5の「この神権」とはメルキゼデク神権のことを指しています。ジョセフ・F・スミス大管長(1838-1918年)は次のように教えています。「この神権から派生する職で,神権そのものより大いなるもの,あるいはそのようになり得るものはありません。職の権能と力は神権から来るものです。どのような職も,その神権に権能を与えることはありません。どのような職によっても,その人の神権の権能が増し加えられることはありません。むしろ,教会におけるすべての職は,その力と徳と権能を神権から得ているのです。」(ジョセフ・フィールディング・スミスによる引用『歴代大管長の教え—ジョセフ・フィールディング・スミス』151参照)

十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は,教会において女性に与えられる召しもまた,神権に付属することを次のように説明しています。

「聖文に述べられているように『教会における他のすべての権能〔と〕職は,この〔メルキゼデク〕神権に付属するもの』(教義と聖約107:5)であって,それら神の鍵の指示の下で行われるすべてのことは,神権の権能で行われます。

これは女性にどのように当てはまるでしょうか。扶助協会に向けた話の中で,当時十二使徒定員会会長であったジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,次のように述べています。『姉妹たちには神権が与えられておらず,神権が姉妹たちに授けられていないとはいえ,主が姉妹たちに権能を与えておられないという意味ではありません。……わたしたちの救いに関連があって絶対に必要な特定の事柄を教会内で行うために,男性あるいは,姉妹に与えられている権能があります。 姉妹たちが主の宮で行う業などがそれです。彼女たちには幾つかの大いなるすばらしい事柄を行う権能が与えられています。それは主にとって神聖であり,神権を持っている男性によって与えられる祝福と同様に完全に拘束力を持っています。』〔Joseph Fielding Smith, ‘Relief Society—an Aid to the Priesthood,’ Relief Society Magazine, Jan. 1959, 4〕……

わたしたちは普通,教会の召しにおいて女性は神権の権能を持っているとは言いません。では,それは何の権能と言えるでしょうか。女性は—若くても年を取っていても—専任宣教師として福音を宣べ伝えるように任命されるとき,神権の働きをなす神権の権能を与えられるのです。女性が神権の鍵を持っている人の指示の下で教会の組織の中で役員や教師として務めを果たすように任命されるときも同様です。神権の鍵を持っている人から受ける職や召しにおいて働く人はだれでも,割り当てられた義務を果たす際に神権の権能を行使するのです。」(「神権の鍵と権能『リアホナ』2014年5月号,50-51)

教義と聖約107:8-10。「メルキゼデク神権は管理する権利を有〔する〕」

「管理する権利」(教義と聖約107:8)とは,主の業を管理し,指示する権利のことです。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は次のように教えています。

「いずれの職であれ,聖任されるすべての男性は神権を持ちます。さらにまた,管理するように召される人々に授けられる特別な権能,すなわち管理する権能があります。この権能が,鍵と呼ばれるものです。

〔神権の〕鍵は長の職に伴う権利です。それは地上における主の業に関するすべてを管理し,指示を与える力と権能です。鍵を持っている人々は,ほかのすべての人が神権を行使して奉仕できるように,管理し監督する力を有しています。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・フィールディング・スミス』140

〔大管長会,2014年4月の画像〕

聖文では,大管長会は「大神権の大管長会」と言われています(教義と聖約107:8-10参照)。

「大神権の大管長会」とは,「教会におけるすべての職務を行う権利を持つ」教会の大管長会を意味します(教義と聖約107:9)。この大管長会は王国のすべての鍵を持つことから,「この世のあらゆる時代に,教会におけるすべての職〔と職に就く人〕を管理し,霊的な事柄をつかさどる力と権能を持〔ち〕」ます(教義と聖約107:8教義と聖約81:2も参照)。大管長会の指示の下に,ビショップやステーク会長など,管理の職に召される大祭司は,「職務を行い」,自分のワードやステークにおいて地元を管理する権利を有します(教義と聖約107:10,17)。

教義と聖約107:13-15,20。「アロンの神権」

Bible Dictionary(『聖書辞典』)は次のように説明しています。「イスラエル人がメルキゼデク神権の権能の下でモーセによって行使される福音の律法に従えなかった結果として,主は別に儀式と典礼の律法をお与えになり,『アロンとその子孫にも,代々一つの神権を確認』された(教義と聖約84:18)。この神権はメルキゼデクの神権より下位の力と権能を有している。」(“Aaronic Priesthood”教義と聖約107章に記録されている啓示の中で,この下位の神権を表すのにアロン神権レビ神権教義と聖約107:1,6参照)という言葉が使われていますが,「レビ神権の職には特有の違いがあ〔ります〕。」アロンとその息子たちはレビ族であり,「下位の神権はレビ族の者にのみ与えられ〔まし〕た。」さらに,「レビ族の中でも,アロンとその息子たちのみが祭司の職に就くことができ」,大祭司の職はアロンの子孫の長子の中からのみ選ばれました。古代イスラエルでは,アロン神権またはレビ神権は,「モーセの律法の典礼において特に顕著だが,外形上の儀式を執行するために使われた。」(Bible Dictionary, “Aaronic Priesthood”)今日の教会では,アロン神権の「外形上の儀式」には,罪の赦しのためのバプテスマと聖餐の儀式が含まれます(教義と聖約107:20参照。84:26-27も参照)。

〔管理ビショップリック,2015年の画像〕

管理ビショップリックは,教会全体のアロン神権の会長会です(教義と聖約107:13-15,20参照)。

「ビショップリックはこの神権の会長会であ〔る〕」(教義と聖約107:15)という言葉は,ビショップとその顧問にはアロン神権を持つ人々を管理する責任があることを示しています。「管理ビショップリックは教会全体のアロン神権の会長会である。管理ビショップとその二人の顧問も大管長会の指示の下に働き,教会の実務的な事柄をつかさどる。」(“Presiding Bishopric,”LDS.org。『聖句ガイド』「管理ビショップ」の項,scriptures.lds.orgも参照)地元のビショップは各自のワードにおいてアロン神権の会長を務めます。

アロン神権の鍵の説明については,本書の教義と聖約13:1と教義と聖約84:26-30の解説を参照してください。

教義と聖約107:15-17。「アロンの直系の子孫」

教義と聖約107:15-17説明については,本書の教義と聖約68:14-21の解説を参照してください。

教義と聖約107:18-19。メルキゼデク神権は「教会のすべての霊的な祝福の鍵を持つ」

メルキゼデク神権の鍵を通して「教会のすべての霊的な祝福」が神の子供たちに与えられます(教義と聖約107:18)。これらの霊的な祝福には,メルキゼデク神権の権能を通して執行される,確認と聖霊の賜物,男性のメルキゼデク神権への聖任,神殿のエンダウメント,家族を永遠につなげる結び固めの儀式などの福音の救いの儀式が含まれます。

これらの祝福に加えて,教義と聖約107章に記録されている啓示は,メルキゼデク神権の鍵を通してもたらされるそのほかの霊的な祝福について述べています。「天の王国の奥義」(教義と聖約107:19)という言葉は,「啓示によってのみ知ることのできる霊的な真理」を指しています(『聖句ガイド』「神の奥義」の項,scriptures.lds.org教義と聖約84:19も参照)。

預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。

「メルキゼデク神権という経路を通じて,すべての知識,教義,救いの計画,およびあらゆる重要な事項が天から明らかにされます。

……この経路を通じて,全能者はこの世の創造の初めに御自分の栄光を現し始められました。またこれを通じて,神は現在に至るまで人の子らに御自身を現してこられ,これを通じて,神は時の終わりに至るまで御自分の目的をお知らせになるでしょう。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』108

人が福音の救いの儀式を受けて,それに伴う聖約を忠実に守るなら,最終的に「天が彼らに開かれ,長子の教会の総集いと親しく交わり,また父なる神と新しい聖約の仲保者イエスの親しい交わりと臨在とを享受すること」でしょう(教義と聖約107:19)。「長子の教会」とは,日の栄えの王国の昇栄を受けた神の忠実な息子と娘のことを表します(教義と聖約76:94-9593:21-22参照)。彼らと「親しく交わ〔る〕」とは,神の日の栄えの王国で昇栄した聖徒たちと交わりを持つことです。メルキゼデク神権の鍵を通じて与えられる究極の祝福は,御父と御子の前で生きられるという喜びです(教義と聖約84:19-22参照)。

教義と聖約107:21-38

主は,教会の管理定員会の義務と責任についてその概要を示される

教義と聖約107:22。「三人の管理大祭司」

ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は,教義と聖約107:22の「三人の管理大祭司」に関する指示は,大管長会の一員の任命と支持を指していると次のように説明しています。

「主は,大管長会……を定める4つの条件を指定されました。

まず,3人の管理大祭司がいなければなりません。

第二にこの3人は一つの組織体(これは十二使徒定員会であると考えられている)によって選ばれます。

第三にこの3人は同じ組織体,すなわち十二使徒定員会によって指名され,聖任されなければなりません。

第四に彼らは,教会員の信任と信仰と祈 りによって支持されなければなりません。」(「神の王国を出て行かせたまえ」『聖徒の道』1973年5月号,200参照)

教義と聖約107:23,33。「全世界におけるキリストの名の特別な証人」

教義と聖約107章に記録されている啓示では,新しく組織された十二使徒定員会が「巡回評議員」または「巡回管理高等評議会」(教義と聖約107:23,33)と呼ばれています。これらの呼び方によって,オハイオやミズーリで組織された常任高等評議会の役割や責任と区別しています。十二使徒は全世界を旅して,「キリストの名の特別な証人」として福音を宣べ伝え,「すべての国々において教会の諸事をすべて整え」ます(教義と聖約107:23,33)。

〔2015年の十二使徒定員会の画像〕

十二使徒定員会の会員は,「全世界におけるキリストの名の特別な証人」である(教義と聖約107:23)。

十二使徒定員会のデビッド・A・べドナー長老は,使徒がキリストの名の特別な証人であるとはどういう意味か,次のように教えています。「現在の使徒の役割は,古代の使徒のそれとまったく同じです(使徒1:224:33参照)。わたしたちの務めは全世界に出て行き,『イエス・キリスト,しかも十字架につけられたキリスト』について宣言することです(マルコ16:151コリント2:2参照)。使徒は宣教師であり,またキリストの名の特別な証人です。『キリストの名』というのは,救い主の使命,死,復活の全体を指す言葉です。さらに,その権能と教義,そして,わたしたちの贖い主となり救い主となるというだれにもまねのできない神の御子としての資格のことも指しています。キリストの名の特別な証人として,わたしたちはイエス・キリストが生きておられること,神の御子であられること,そして復活されたことを証します。また,無限で永遠の贖罪とその福音について証します。」(“Special Witnesses of the Name of Christ,” The Religious Educator: Perspectives on the Restored Gospel, vol. 12, no. 2 [2011], 1)

教義と聖約107:21-26。「彼らは,……同等の権能と力を持つ定員会を構成する」

教義と聖約107:21-26の言葉を誤って理解し,教会には同等の権能を持つ3つの異なった管理定員会,すなわち,大管長会,十二使徒定員会,七十人定員会があると考える人がいます。しかし,主は,十二使徒定員会は「教会の大管長会の指示の下に……職務を行い」(教義と聖約107:33),七十人定員会は「十二使徒定員会……の指示の下に……行動〔する〕」(教義と聖約107:34)ことを明らかにしておられます。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,教義と聖約107:24,26を引用してから次のように教えています。「どうして〔その3つの定員会が〕権能において同等であり得るのかと疑問に思うかもしれません。ジョセフ・F・スミス大管長(1838-1918年)はこの疑問に対してこう教えています。『人々の間に幾らか広がっている,誤った印象を正したいと思います。それは,十二使徒が教会の大管長会と同等の権能を持つということについてです。もし十二使徒以外に会長会が存在しなければ,これは間違っていません。しかしながら,教会を管理する権能を有する3人の管理長老が存在するときは,十二使徒の権能は彼らと同等ではありません。もしそうであるなら,神権には二つの同等な権能と二つの同等な定員会が存在することになり,対立することになります。そのようなことはあり得ません。なぜなら,必ず長が要るからです。』(Elders’ Journal, Nov. 1, 1906, 43)

十二使徒定員会の指示の下に仕える七十人も同様で,大管長会および十二使徒定員会が何らかの理由により崩壊したときに限って同等の権能を持つことになります。」「大管長会定員会」『リアホナ』2005年12月号,37)

教義と聖約107:25,34,93-97。七十人

ルカによる福音書には,救い主が十二使徒に加えて,福音を宣べ伝え,病人を癒し,御自分の前に道を備えるために,「別に七十二人〔訳注—欽定訳ではseventy(70人)〕を選〔ばれた〕」ことが記録されています(ルカ10:1-16参照)。福音の末日における回復の一部として,預言者ジョセフ・スミスが受けた「七十人の秩序を示す示現によ〔って〕」(教義と聖約107:93),1835年の2月と3月に初めて七十人の職に男性たちが召されました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 255)。今日の七十人の会員は「福音を宣べ伝え,異邦人と全世界に対する〔イエス・キリストの〕特別な証人となる」ために召されています(教義と聖約107:25)。

「七十人は,大管長会と十二使徒定員会の指示の下,主の名において務める。」(Guide to the Scriptures, “Seventy,”scriptures.lds.org)七十人は,「主の名において行動し,……教会を築き上げ,すべての国々において教会の諸事をすべて整え」ます(教義と聖約107:34教義と聖約107:97も参照)。預言者ジョセフ・スミスは次のように説明しています。「七十人は巡回定員会を構成し,十二使徒会から求められる所ならばどこへでも,全地に出て行きます。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』141)七十人定員会の会長は,七十人定員会を管理するために神権の鍵を授けられます。七十人のほかの会員は神権の鍵は授けられませんが,割り当てられた業を成し遂げるための権能を委任されます。

教義と聖約107:27-32。「決議〔は〕皆,……全会一致の声によってなされなければならない」

教会の管理定員会での「決議〔は〕皆,……全会一致の声によって」,また,「完全な義により,聖さとへりくだった心,柔和と寛容により,また信仰,徳,知識,節制,忍耐,信心,兄弟愛,および慈愛により」なされなければなりません(教義と聖約107:27,30)。そうするなら,「彼らは主を知る知識について実を結ばない者となることはない」(教義と聖約107:31),すなわち,主の御心を霊感によって知ることを約束されています。十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン会長は,全員が同意に至る過程について次のように説明しています。「全会一致の結論を導き出すために,御霊がこの15人の人々にどれほど働きかける必要があるか,皆さんは想像したことがあるでしょうか。この15人は,教育の面でも,職業の面でもその背景は多様です。数多くの事柄について,意見も様々に異なっています。わたしを信頼してください。預言者,聖見者,啓示者である,この15人は,全会一致になったときには,主の御心が何であるかを知ることができます。彼らは決意をして,主の御心が間違いなく行われるよう,見守っています。」(「預言者を支持する」『リアホナ』2014年11月号,75)

デビッド・A・ベドナー長老も聖霊の力を通して一致に至ることについて,次のように証を述べています。「わたしは,主を代表するこれらの人々とともに奉仕することによって,彼らの最大の望みは天の御父と,御父が愛される御子の御心を理解し,行うことであると知るようになりました。ともに評議することで,霊感が与えられ,人の知性,判断力,経験をはるかに超える光と真理を反映する決定が下されました。ともに困難な問題に取り組むときに,聖霊の力によって,驚くべき方法で問題に対する全員の理解が深められてきました。」(「わたしの名について証を述べるために選ばれて」『リアホナ』2015年11月号,129-130)

教義と聖約107:39-57

主がメルキゼデク神権の族長制の性質を明らかにされる

教義と聖約107:39。「十二使徒は,……啓示により……,福音の教導者を聖任しなければならない」

十二使徒定員会の責任の一つは「啓示により,……福音の教導者」を任命することです(教義と聖約107:39)。これらの福音の教導者は聖文の中で「伝道者」と呼ばれることもあります(エペソ4:11参照)。預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。「伝道者とは祝福師です。……地上にキリストの教会が設立される所にはどこでも,自分の息子たちに祝福師の祝福を授けたヤコブのように,聖徒たちの子孫に益をもたらすために祝福師がいなければなりません。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』139参照)

〔祝福師の祝福を受ける若い女性の画像〕

祝福師はメルキゼデク神権の聖任された職です(教義と聖約107:39参照)。

祝福師の職はメルキゼデク神権の聖任された職です。今日の教会では,祝福師はステーク会長によって召され,聖任され,十二使徒定員会の指示の下で行動し,教会員に祝福師の祝福を授けます。祝福師の祝福は,祝福を受ける個人に対する主の勧告を含み,イスラエルの家におけるその人の血統を宣言します。

教義と聖約107:40-56。「この神権の位」

「この神権の位」とは,「父親から息子へ継承され〔た〕」(教義と聖約107:40)神権の族長制度を示します。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように教えています。「アダムからモーセに至るまでの神権は族長制度でしたが,それはメルキゼデク神権の一部にすぎませんでした。古代の族長は皆大祭司でした。」(Doctrines of Salvation, comp. Bruce R. McConkie [1955], 3:104)

アダムは最初の祝福師で,子孫を祝福し, 正しい生活をするように助ける責任がありました。亡くなる前に,アダムは「義にかなった子孫の残り〔を〕アダム・オンダイ・アーマンの谷に呼び集め,そこで彼らに最後の祝福を授け〔ました〕。」(教義と聖約107:53)この集会で「主が彼らに現れ〔ました〕。……また,主はアダムに慰めを与え」,祝福を授けられました。そして,アダムは「最後の世代に至るまでその子孫に起こることを預言し〔ました〕。」(教義と聖約107:54-56)イエス・キリストの再臨に先立っていつの日か,同じような集会がアダム・オンダイ・アーマンの谷で開かれます(本書の教義と聖約27:5-14および教義と聖約116章の解説を参照)。

預言者ジョセフ・スミスは,アダムが自分の子孫を祝福したのは,「彼らを神のもとに導きたいと思った」からだと教えています(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』105)。

エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は,アダムはメルキゼデク神権の儀式を施すことによって子孫を神のもとに導いたと次のように教えています。

「アダムは自分の子孫をどのようにして主のみもとへ導いたのでしょうか。

答えはこうです。アダムとその子孫たちは神の神権の位に入ったのでした。今日のわたしたちの言い方をすれば,主の宮に行って,祝福を受けたということです。

聖典の中で語られている神権の位は,父から子へと継承されたことから,族長制度と呼ばれることもあります。

しかし,この神権の位は,近代の啓示の中では,家族を統治するための一つの形態として言い表されています。この統治形態を通して,男女はちょうどアダムとエバのように,永遠の結び固めを受け,子孫を得,この世において神の御心と業を行うために,神との聖約に入るのです。

自ら交わした聖約に忠実な夫婦は,日の栄えの王国の最高の階級の祝福を得る権利を授かることができます。今日,主の宮に参入しなければこれらの聖約に入ることはできません。

アダムはこの位に従い,自分の子孫たちを神のみもとに導きました。アダムこそわたしたちが従うべきすばらしい模範です。」(「神殿について子供たちに教える」『聖徒の道』1986年4月号,5参照)

教義と聖約107:58-98

主が,神権定員会と定員会の会長の義務について,その概要を示される

教義と聖約107:71-75。ビショップの職

主は,ビショップの二つのおもな責任について概要を示されました。すなわち,教会の「現世の事柄」をつかさどることと「イスラエルの判士とな〔る〕」ことです(教義と聖約107:71-72参照)。ワードの現世の事柄を監督するというビショップの義務には,什分の一,断食献金,そのほかの献金という形で教会の基金を受け取り,貧しい人や助けの必要な人を見つけて,彼らの世話をすることが含まれます(教義と聖約72:10-12参照)。

また,イスラエルの判士として,ビショップは自分のワードの会員の個人的なふさわしさを判断する責任もあります。ダリン・H・オークス長老は,ビショップがイスラエルの判士としてどのように務めるかについて,次のように説明しています。「ビショップは判士であり,羊飼いであって,識別する力と,羊の群れを導くための啓示と霊感を受ける権利を持っています。ビショップは神殿への参入,ワードの責任への召し,神権の職への聖任,宣教師の召しを承認するために,ふさわしさに関する面接を行う責任があります。ビショップは教会の律法に反した人に対して公式および非公式の処置を実施し,会員たちが処置を受けるような行為をすることのないように勧告し,助けます。」(「監督,助けて!」『聖徒の道』1997年7月号,25参照)

ビショップの義務の詳細については,本書の教義と聖約72:9-19の解説も参照してください。

教義と聖約107:99-100。「人は皆,自分の義務を学び,……まったく勤勉に遂行するようにしなさい」

教義と聖約107章に記録されている啓示は,最後に神権指導者や神権者が皆,「自分の義務を学び,任命されている職務をまったく勤勉に遂行する」べきであるという責務について書かれています(教義と聖約107:99)。ほかの人が救いを得る助けをすることを含め,神権の義務を果たすことによってのみ,神権者は主から認められ,「その職にいるにふさわしい者と見なされ」ます(教義と聖約107:100)。

トーマス・S・モンソン大管長は神権者に対して次のように教えています。

「神権は賜物というよりも,託された奉仕,人の霊を高める特権,人の生活を祝福する機会です。

こうした機会には責任と義務が伴います。わたしは義務 という気高い言葉と,その言葉が意味するものすべてが好きですし,大切にしています。……

アロン神権であれ,メルキゼデク神権であれ,わたしたちは自分が持つ神権の具体的な義務を教えられてきました。そうした義務について深く考えた後,全力を尽くして遂行してください。そうするためには,各人がふさわしくなければなりません。天の御父が御自分から受け取ってほしいと願われるものを人に差し出すことがともにできるよう,準備を整え,自身を清め,自発的に働きましょう。ふさわしくなければ,神権の力を失う危険性があります。そして神権の力を失えば,昇栄に不可欠な要素を失います。奉仕するためにふさわしくなりましょう。……

兄弟の皆さん,世の人々はわたしたちの助けを必要としています。わたしたちは すべきことをすべて行っているでしょうか。ジョン・テーラー大管長の次の言葉を覚えているでしょうか。『召しを尊んで大いなるものとしないならば,神は,皆さんが義務を果たしていたら救えたはずの人々への責任を皆さんに帰せられます。』〔『歴代大管長の教え—ジョン・テーラー』164〕足を踏み外さないよう助けてあげられる人がいます。手を握り,励まし,鼓舞し,救うべき人がいます。永遠の祝福が皆さんを待っています。」(「奉仕する意志とふさわしさ」『リアホナ』2012年5月号,66-67,69)

教義と聖約108章:追加の歴史的背景

ライマン・シャーマンは預言者ジョセフ・スミスの個人的な友人でした。1832年1月,彼と妻のデルシーナは家族とともにニューヨークで教会に加わりました。翌年,ライマン一家はオハイオ州カートランドに移住しました。ライマンは,シオンの陣営で奉仕し,七十人定員会の7人の会長の一人として召された忠実な教会員でした。1839年1月,ライマンは十二使徒定員会の空席を埋めるよう召されましたが,新しい召しについての預言者ジョセフ・スミスからの手紙を受け取る前に亡くなりました。(リサ・オルセン・テート「啓示を求めるよう『御霊の促しを受ける』」『啓示の背景』マシュー・マクブライドとジェームズ・ゴールドバーグ編,またはhistory.lds.org参照。)

1835年12月26日,預言者ジョセフ・スミスは日記にこう記しています。「ライマン・シャーマンが……わたしを通して主の言葉を聞きたいと願い出て〔こう言いました。〕『わたしは,自分の気持ちや願いをあなたに伝えるようにという働き掛けと,わたしの務めを明らかにする啓示を受けるはずであるという約束を受けました。』」(The Joseph Smith Papers, Journals, Volume 1: 1832–1839, ed. Dean C. Jessee and others [2008], 137; capitalization and punctuation standardized)ライマンの願いに応じて,預言者は主に尋ね,教義と聖約108章に記録されている啓示を受けました。

教義と聖約108章

ライマン・シャーマンに対する主の勧告

教義と聖約108:4-6。「聖会が召集されるまで,忍耐強く待ちなさい」

教義と聖約108:4で言及された聖会の説明については,本書の教義と聖約88:70-76の解説を参照してください。

教義と聖約108:7。「あなたのすべての生き方により,……あなたの兄弟たちを強めなさい」

教義と聖約108:7生き方という言葉は,人の言葉や教えを表すと同時に,品行や行動も表しています。このように,主はライマン・シャーマンに,自分の模範により,また自分の「すべての祈りにより,すべての訓戒により」,すなわち教えにより,自分の「兄弟たちを強めなさい」と勧告されました(教義と聖約108:7)

ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,教会員はほかの人を強める責任があることについて,次のように教えています。

「人と交わるとき,互いを築き,強めてください。……

お互いの重荷を負い合い,強め合い,励まし合い,高め合い,お互いの長所を見,その長所を重視するのは,神がわたしたちに与えておられる責任です。」(Teachings of Gordon B. Hinckley [1997], 45)