第18章
教義と聖約46-49章
紹介とタイムライン
1831年の冬,オハイオ州カートランドの教会員の一部は,御霊の影響を受けていると主張しながら奇妙な行動を取る一部の新しい改宗者たちを見て懸念を感じた。預言者ジョセフ・スミスは,この行動と,聖餐会や教会の他の集会から非会員を除外するというカートランドの聖徒たちの習慣について主に尋ねた。1831年3月8日,主はそれに応じて,現在の教義と聖約46章に記録されている啓示を与えられた。主はこの啓示で,教会の集会を執り行う方法と,御霊の賜物を求めることによって欺かれないようにする方法について説明された。
1831年3月までは,オリバー・カウドリがジョセフ・スミスの筆記者,および教会の記録者となっていたが,オリバーが伝道に召されたとき,これらの務めを果たすことができなくなった。教義と聖約47章に記録されている啓示で,主はオリバーの代わりとなって教会の記録を書き留め,保存するようにジョン・ホイットマーを召された。同じころ,オハイオ州にいた聖徒たちも,ニューヨーク州から移住してくる教会員たちをどのように助けたらよいか知りたいと思っていた。教義と聖約48章に記録されている啓示で,主は,新たに到着する改宗者たちを支援する方法を聖徒たちに教えられた。
教会の新しい改宗者であったリーマン・コプリーは,以前属していたシェーカー派という宗教団体の会員に福音を教えてくれるよう宣教師たちに求めていたが,コプリーはシェーカー派の誤った信条の幾つかを信じ続けていた。1831年5月7日,コプリーの根強い信条を憂慮したジョセフ・スミスは主に尋ね,現在教義と聖約49章に記録されている啓示を受けた。主はこの啓示で,主のまことの教義を明確にし,シェーカー派の誤った信条の幾つかを非難された。
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1831年春オハイオ州カートランドの新しい改宗者たちが,偽りの霊的な現れを経験した。
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1831年3月8日教義と聖約46章が与えられた。
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1831年3月8日教義と聖約47章が与えられた。
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1831年3月10日教義と聖約48章が与えられた。
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1831年3月ジョン・ホイットマーが教会歴史家および記録者として奉仕するよう任命された。
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1831年3月下旬パーリー・P・プラットがミズーリ州のインディアン居住区への伝道からカートランドに帰還した。
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1831年5月7日教義と聖約49章が与えられた。
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1831年5月7日シドニー・リグドン,パーリー・P・プラット,およびリーマン・コプリーが,シェーカー派の共同体を訪問するためにカートランドを出発した。
教義と聖約46章:追加の歴史的背景
教会が組織された当初,オハイオ州カートランドの聖徒たちは,ほかの信仰を持つ人々が礼拝集会に参加することを許可していませんでした。これは,キリストに従う者は,聖徒たちとともに集うことをだれにも禁じてはならないことを明確に教えるモルモン書の中で与えられた指示に反するものでした(3ニーファイ18:22参照)。さらに,オリバー・カウドリが1829年6月に(教会が正式に組織されるまで忠実な人々に指示を与えるために書かれた)“Articles of the Church of Christ”(『キリスト教会の規定』)と呼ばれる文書をまとめたとき,オリバーは「『教会は,祈り〔と〕嘆願のためにしばしばともに集まり,礼拝の場所からだれも追い出すことなく,むしろ招き入れるものとする』〔『教会の規定』,June 1829, p. 372 herein〕」と書く際にモルモン書のこの指示を引用しました(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, ed. Michael Hubbard MacKay and others [2013], 281; spelling standardized)。このため,公の集会から無信仰者を排除する習慣は懸念されるものであり,ジョン・ホイットマーによると,「主は民が理解できるように,この件について語られた」と述べました(in The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 2: Assigned Histories, 1831–1847, ed. Karen Lynn Davidson and others [2012], 34)。その後で与えられた啓示(教義と聖約46章)は,主の御心を明らかにしました。主は聖徒たちに「あなたがたの公の集会から,決してだれも追い出さない」(教義と聖約46:3)ように命じられました。
これらの排他的な習慣に加え,新しい教会員の一部は彼らの礼拝の一部として特異な行動を見せていました。ジョン・ホイットマーは次のように記録しています。「ラバンの剣〔1ニーファイ4:8-9参照〕を持っているという幻想に取りつかれて,まるで軽装備の竜騎兵のように剣を振り回す者もいました。……蛇のような速さで床をはいずり回って,今レーマン人のところまでボートをこいで行って福音を宣べ伝えているところだ,などと言う者までいました。ほかにも空虚で愚かなことが数多く行われましたが,ここに書くのは適切でなく,また何の益にもなりません。こうして,悪魔は正直で善良な弟子たちの目をくらましたのです。」(in The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 2: Assigned Histories, 1831–1847, 38)教義と聖約46章に記録されている啓示で,主は御霊の影響と偽りの霊の影響を区別する方法を聖徒たちにお教えになり,御霊の賜物の真の目的と特質を明確にされました。
教義と聖約46章
主は聖徒たちに教会の集会と御霊の賜物についてお教えになる
教義と聖約46:2。「聖なる御霊によって支持され導かれるままにすべての集会を執り行う」
教会が組織されたとき,主は主の聖徒たちに「しばしば会合する」(教義と聖約20:55)よう命じられました。この戒めに従って,聖徒たちは聖餐会のために,そして時には大会のために頻繁に集まりました。また,最近バプテスマを受けた人が教会員として確認された「確認の会」のためにも集まりました(教義と聖約46:6参照)。これらの初期の教会員は,モルモン書の中のキリストに従う人々が「教えを説くことも,勧めることも,祈ることも,請い願うことも,歌うことも,聖霊の力によって導かれるままに」(モロナイ6:9)集会を執り行ったことを読んでいました。主はわたしたちの時代でもこの原則を再度強調され,集会を「〔教会指導者たちが〕聖なる御霊によって指示され導かれるままに」(教義と聖約46:2。教義と聖約20:45も参照)執り行うように命じられました。
教義と聖約46:3-6。「決してだれも追い出さない」
主は教義と聖約46:3-6で,ほかの信仰を持つ人々を聖餐会と確認の会から除外するという初期の聖徒たちの習慣を正されました。教会員は,公の集会に参加したいと望む人々全員が歓迎されていると感じるように助けるべきです。十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン会長は,次のように説明しました。「わたしたちはキリストのもとに来るようにすべての人を招いているので,友人や隣人をいつでも歓迎しますが,彼らが聖餐を取ることは期待されていません。しかし,禁じられてはいません。友人たちが自分で決めます。初めて来た人々が,必要とされていることと,居ごこちの良さとを常に感じられるように願っています。罪がなく,主の贖罪の効力を受けている幼い子供たちも,将来聖約を交わす備えをするために聖餐を取ることができます。」(「聖餐会での礼拝」『リアホナ』2004年8月号,14参照)
教義と聖約46:7-8。「欺かれないために熱心に最善の賜物を求め……なさい」
オハイオ州カートランドの教会員の中には,教会の集会に出席するときに奇妙な行動を取り,彼らの行動が聖霊に触発されたものだと主張する人がいました。それを信じた会員もいましたが,彼らの行動は神によるものではないと感じた会員もいました。教義と聖約46章に記録されている啓示が与えられる前日に,預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約45章に記録されている啓示を受けました。主はこの啓示で,「聖なる御霊を導き手として受ける」(教義と聖約45:57)ならば欺かれないようにできることを教会員に思い出させられました。サタンは,「神の業を損な〔い〕」,「人々の霊を滅ぼ〔す〕」(教義と聖約10:23,27)ことができるように聖徒たちを欺こうとします。サタンの手口には,「邪悪な霊,あるいは悪霊の教義,または人間の戒め」(教義と聖約46:7)を用いることが含まれます。しかし主は,わたしたちが「聖い心をもって」物事を行い,「〔主〕の前をまっすぐに歩み」,「熱心に最善の賜物を求め〔る〕」(教義と聖約46:7-8)ならば,欺かれないだろうと約束しておられます。「最善の賜物」とは,聖霊の賜物を受けた人が得ることのできる霊的な賜物を指します。
教義と聖約46:9-11。霊的な賜物は,神を愛し,神の戒めを守ろうと努める人々の利益のためのものである
神は,神の霊的な賜物を神の子供たちに強制されることはなく,それらを「熱心に……求める」よう招いておられます(教義と聖約46:8)。主は,これらの賜物が主を愛し,主の戒めを守ろうと努める人々の利益のためのものだと説明されました(教義と聖約46:9参照)。主は霊的な賜物を,しるしを求める人に福音の真実性を証明するためではなく,個人と教会全体を祝福するために授けてくださいます(教義と聖約46:12参照)。
十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は,だれが霊的な賜物を受けることができるかについて教えました。
「キリストの御霊は,善と悪を区別することができるようにすべての男女に与えられ,聖霊の現れは,熱心に求める人を悔い改めとバプテスマに導くために与えられます。これらは準備的な賜物です。その次に,わたしたちが霊的な賜物と呼ぶものを授けられます。
霊的な賜物は聖霊の賜物を受けた者に与えられます。預言者ジョセフ・スミスが教えたように,御霊の賜物は『その媒体〔聖霊〕を通して取得され』,『聖霊の賜物なしでは享受できない』ものです。……(Teachings of the Prophet Joseph Smith, comp. Joseph Fielding Smith, Salt Lake City: Deseret Book Co., 1938, pp. 243, 245; see also Elder Marion G. Romney in Conference Report, Apr. 1956, p. 72.)。」(“Spiritual Gifts,” Ensign, Sept. 1986, 68)
忠実な教会員のすべてが少なくとも一つの霊的な賜物を持っています。「すべての人があらゆる賜物を与えられるわけでは」ありませんが(教義と聖約46:11),すべての霊的な賜物は「すべての人がそれによって益を得られるように」(教義と聖約46:12)教会員の間で集合的に存在します。十二使徒定員会のロバート・D・ヘイルズ長老は,御霊の賜物をどのように探し求めることができるかについて説明しました。
「賜物を探し求めるための前提条件として,自分にどのような賜物が与えられているかを知ることが必要となるかもしれません。……
与えられた賜物を見いだすには,祈り,断食しなくてはなりません。祝福師の祝福では,しばしばわたしたちが受けた賜物が伝えられ,探し求めるならば受けることができる賜物の約束も宣言されます。皆さんそれぞれが自分の賜物を見いだして,職業に対する導きをもたらし,かつ天の業を推し進める賜物を探し求めるようにお勧めします。」(“Gifts of the Spirit,” Ensign, Feb. 2002, 16)
御霊の賜物を授けることは,天の御父のようになれるよう御父がわたしたちを助けてくださる一つの方法です。大管長会のジョージ・Q・キャノン管長(1827-1901年)は次のように説明しました。「もしわたしたちのだれかが完全でないならば,完全にしてくれる賜物を祈り求めることがわたしたちの義務です。わたしに欠点はあるでしょうか。欠点だらけです。わたしの義務は何でしょうか。これらの欠点を正す賜物を授けていただけるよう神に祈ることです。わたしが怒りっぽい人間であれば,長く堪え忍び,親切である慈愛を祈り求めることがわたしの義務です。わたしはねたみ深い人間でしょうか。ならば,ねたまない慈愛を探し求めることがわたしの義務です。あらゆる福音の賜物にもこれと同じことが言えます。賜物はこの目的のためのものなのです。『しかたがない,これはわたしの性分だから』などとだれも言うべきではありません。言い訳することでそれが正当化されるわけではないのです。神はそれらの欠点を正す力と,欠点を根絶する賜物を授けると約束しておられるからです。知恵に不足しているならば,神に知恵を願い求める義務があります。ほかのどのようなものについても同じです。それが神の教会に関する神の計画なのです。神は聖徒たちに,真理にあって完全な者となるよう望んでおられます。神はこのためにこれらの賜物をお与えになります。そして賜物を探し求める人に対し,彼らの多くの弱点にもかかわらず,この地上で完全な者となれるようにそれらをお授けになります。なぜなら,神は完全な者となるために必要な賜物を与えると約束されたからです。」(“Discourse by President George Q. Cannon,” Millennial Star, Apr. 23, 1894, 260–61)
教義と聖約46:13-27。霊的な賜物
教義と聖約46:13-27には,1コリント12:8-11とモロナイ10:8-17に記載されているものと同様の,おもな霊的な賜物が多数リストされています。初期の聖徒たちには,オハイオ州カートランドの新しい改宗者の一部が過剰な宗教的行為によって示していた偽の霊的な現れを是正するためにも,霊的な賜物を正しく理解する必要がありました。主は,教会員がこれらの賜物を覚え,探し求めるならば欺かれなくなると説明されました(教義と聖約46:7-8参照)。主は聖徒たちに「賜物が何であるか,常に覚えてお〔く〕」よう命じられました(教義と聖約46:10)。預言者ジョセフ・スミスは数年後,この賜物の幾つかが挙げられる信仰箇条第7条を書いたときに霊的な賜物の重要性を再確認しました。
御霊の賜物は,わたしたちの生活の中で数え切れないほど多くの形で現れ得ます。教義と聖約46:13-27には約14の霊的な賜物がリストされていますが,十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老(1915-1985年)が述べたように,「これらの賜物がすべてであるわけでは決してありません。ほんとうの意味で,賜物の数は無限であり,その現れに際限はありません。」(Mormon Doctrine, 2nd ed. [1966], 315)
追加の霊的な賜物について言及した十二使徒定員会のマービン・J・アシュトン長老(1915-1994年)は,次のように教えました。
「常に人目に付いたり注目されたりするわけではないものの非常に大切な賜物を幾つか挙げさせてください。その中には,皆さんの持つ賜物,目立たないけれども現実に存在する貴重な賜物があるかもしれません。
このあまり目立たない賜物とは,実際どのようなものがあるのでしょうか:人に質問をする,人の話によく耳を傾ける,静かな細い声に聞き従う,人のために嘆き悲しむ,争いを避ける,人当たりが良い,むなしい言葉を繰り返さない,義を追い求める,神に導きを求める,キリストの弟子としてふさわしい生活をする,人々に関心を向ける,物事を深く考える,祈りをする,力強い証を述べる,聖霊を受ける,など様々な賜物があります。」(「多くの賜」『聖徒の道』1988年1月号,20)
教義と聖約46:13-14。「ある人には……知ることが,聖霊によって許される。……ほかの人には,彼らの言葉を信じることが許される」
主はオハイオ州カートランドの聖徒たちに対し,イエスがキリストであられることを聖霊の力によって知る祝福を受ける人もいるとお教えになりました(教義と聖約46:13参照)。ほかの人は,自分自身で知るようになるまで,彼らの言葉を信じる祝福を受けます(教義と聖約46:14参照)。証と確信への第一歩は常に,疑うことではなく信じることです。ほかの人の証を信じることは,御霊の賜物です。
教義と聖約46:23,27。識別の賜物
聖霊の賜物を通じて,わたしたちは物事を明瞭に見定める,または理解するための導きと霊的な洞察にふさわしくなることができます。ジョージ・Q・キャノン管長は,教会員にとって識別の賜物を求めることが重要である理由について説明しました。「霊の識別の賜物は,それを有する男女に他人の心に入って影響を与える霊を識別する力を与えるだけでなく,自分自身に影響を与える霊を識別する力も与えます。この賜物を持つ人は偽りの霊を見抜くことができます。神の御霊がともにあるときにそれを知ることもできます。末日聖徒の私生活において,この賜物は大変重要です。この賜物を持ち,使うなら,どんな邪悪な影響力もその人の心に入り,思いや言葉や行いに影響を与えることはできないでしょう。その人は邪悪な影響力を追い払います。たとえそのような霊が入り込んだとしても,すぐさまその影響に気づいて追い出してしまいます。言い換えればそのような霊に導かれたり促されたりすることを拒むのです。」(Gospel Truth: Discourses and Writings of George Q. Cannon, comp. Jerreld L. Newquist [1987], 157)
教会指導者たちに対して,主は「あなたがたの中に,神から出ていると公言しながらそうではない者がいることのないように」,「それらすべての賜物を見分ける」賜物をお与えになります(教義と聖約46:27)。これらの特別な賜物は,教会で管理する人々が,偽りの霊と聖霊の正当な現れを区別することを可能にします。
教義と聖約46:24。異言の賜物
異言の賜物には異なる現れがあります:
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教会の歴史を通じて,人が御霊に動かされて神の言語,つまり現代の啓示に「清らかで汚れのないもの」と説明されているアダムの言葉を話したことがありました(モーセ6:5-6,46参照)。カートランド神殿の奉献を取り巻く出来事では,多くの聖徒たちが異言を話し,それらを解釈しました。
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五旬節の日,聖霊の賜物がいつになく力強く注がれたとき,外国の言葉を話し,理解するよう御霊によって男女に力が与えられました(使徒2:1-6参照)。世界中の主の僕が,言語を習得し,それらを流暢に話し,あらゆる国民,部族,国語の民,民族の人々に救いのメッセージを伝えることにおいて,特別な特権を日常的に与えられています。
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人々は,聖霊の力によって話すとき,「天使の言葉で語〔る〕」,つまり言い換えると「キリストの言葉を語る」ときに異言で話します(2ニーファイ31:13;32:2-3)。
ロバート・D・ヘイルズ長老は,異言の賜物に関する幾つかの注意を要約しました。
「わたしたちはこの神権時代の預言者たちに,教会の動向に対する啓示は異言の賜物を通じては与えられないと言われています。この理由は,ルシフェルにとって,異言の賜物を不正に再現し,教会員を混乱させることが非常に簡単だからです。
サタンには,それが御霊の賜物のいずれかに関連するかのようにわたしたちをだます力があります。サタンが最もうまく偽装できるものが異言の賜物です。ジョセフ・スミスとブリガム・ヤングは,……異言の賜物について考えるときに慎重になる必要性について説明しました。
『自分自身の慰めのために異言で語るのは差し支えありませんが,規則として次のことを述べておきます。すなわち,もし何かが異言の賜物によって教えられたとしても,それは教義として受け入れるべきものではありません。』(Teachings of the Prophet Joseph Smith, sel. Joseph Fielding Smith [1976], 229)
『語ることを理解せずに,あるいは解釈せずに,異言の賜物によって語ってはいけません。悪魔は異言で語ることができ〔ます〕。』(Teachings of the Prophet Joseph Smith, 162)
『異言の賜物には……教会に……指図する力はありません。主から主の教会の会員に与えられたどの賜物や才能も,教会を支配するために与えられるものではありません。これらは,神権の支配と指示の下にあり,神権によって裁かれます』(Discourses of Brigham Young, comp. John A. Widtsoe [1941], 343)。」(“Gifts of the Spirit,” 14–15)
教義と聖約47章:追加の歴史的背景
モルモン書の8人の証人の一人であったジョン・ホイットマーは,モルモン書の翻訳の一部,そして後に預言者による聖書の霊感訳において,筆記者として預言者ジョセフ・スミスを支援しました。ジョンの仕事は,1830年10月にオリバー・カウドリがレーマン人への伝道に出発した後で増加しました。ジョンは,教会の大会で記録を取る援助をし,ジョセフ・スミスが受けた啓示をまとめてそれらを“Book of Commandments and Revelations”(『戒めと啓示の書』)として知られるようになる原稿記録帳に書き写し続けました。1831年3月,預言者ジョセフ・スミスは教会の歴史を書き留めるようにジョン・ホイットマーを任命しました。ジョンは後に「やりたくはありませんでしたが,主の御心に従いました。主がそれをお望みならば,わたしは主が聖見者ジョセフを通じてそれを明らかにしてくださることを望みます」と語りました(in The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 2: Assigned Histories, 1831–1847, 36)。それに続く預言者への啓示は,教会の「正式な歴史を書き記して残す」(教義と聖約47:1)というジョン・ホイットマーの召しを再確認しました。ジョンは主の御心を受け入れ,最終的には「おもに1830年の秋から1830年代中ごろまでの出来事を描写する96ページの物語的な歴史」を作成しました(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 1: July 1828–June 1831, 285)。
教義と聖約47章
主は教会の歴史を記録し,預言者のために筆記するようにジョン・ホイットマーを召される
教義と聖約47:1。「正式な歴史を書き記して残す」
主は正確な歴史を記録するよう教会に命じられました(教義と聖約21:1;47:1-3;72:5-6;123:1-6;127:6-9;128:4-9参照)。今日教会では,記録を残して維持することに高い優先度が置かれています。教会は2009年に,原稿,書籍,教会の記録,写真,口述歴史,祝福師の祝福,建築図面,パンフレット,新聞,雑誌,地図,マイクロフィルム,および視聴覚資料を保存することを目的とする新しい教会歴史図書館を奉献しました。七十人のマーリン・K・ジェンセン長老は,教会歴史を保存する取り組みが継続されている理由について説明しました。
「教会歴史の第一の目的は,教会員がイエス・キリストを信じる信仰を育み,聖約を守るのを助けることです。この目的を達成するため,主に次の3つの点に配慮しています。
一つ目は,回復というこの教会の土台となる真理を教会歴史を通して証し,擁護するように努めることです。
二つ目は,神が御自身の子供たちのためになさった偉大な事柄を教会員が覚えているように助けることです。
三つ目は聖文の中にあります。わたしたちは,神の王国に関して明らかにされた秩序を守ることを聖文の中で命じられています。それには啓示,文書,手順,措置,規範を保存することが含まれます。これらは,神権の鍵の行使,神権定員会の正しい機能,儀式の執行など,救いに欠かせない事柄の秩序を保ち,継続させていくために必要なものです。」(「あなたがたの間で記録を記さなければならない」『リアホナ』2007年12月号,26-27)
教義と聖約48章:追加の歴史的背景
エドワード・パートリッジは,教会の最初のビショップとなるように啓示によって召され,「貧しい者と乏しい者に与える」(教義と聖約42:34。教義と聖約41:9も参照)責任を与えられました。ニューヨーク州からオハイオ州に移住してくる聖徒たちの到着を予想したパートリッジビショップは,彼らの必要を満たすために備える方法について「何か知ることを切望」しました(John Whitmer, in The Joseph Smith Papers, Histories, Volume 2: Assigned Histories, 1831–1847, 35)。シオンの町がどこに確立されるのかについての疑問も生じました。新しい教会員は,オハイオ州に定住することを計画すべきか,それともシオンが置かれることになる場所に移動する準備をするべきか迷いました。これらの理由から,預言者ジョセフ・スミスは主の導きを求め,その結果として教義と聖約48章に記録されている啓示を受けました。
教義と聖約48章
主は聖徒たちにニューヨーク州からオハイオ州に移住してくる教会員を援助する方法を伝えられる
教義と聖約48:1-3。人に分け与える
主はカートランドの聖徒たちに,オハイオ州に到着する新しい改宗者たちを助けるために自らの財産を使うよう勧告されました。この指示は,以前の啓示で説明された奉献の原則を実践する機会を教会員に提供しました(教義と聖約38:24-25,35;41:5;42:30参照)。トーマス・S・モンソン大管長は,今日わたしたちがどのように困っている人を助けることができるかのよい例となる経験について話しました。
「1951年のある寒い冬の夜に,ドアをノックする音がしました。そこにユタ州のオグデンから来たドイツ人の兄弟が立っていました。彼は自己紹介をしてこう言いました。『あなたがモンソンビショップですか。』わたしが『はい』と答えると,その人は泣き出して言いました。『わたしの兄弟が妻子を連れてドイツからやってきます。あなたのワード部の管轄区域に住むようになると思います。わたしと一緒に来て,彼らのために借りたアパートを見ていただけませんか。』
アパートに向かう途中で,彼はその兄弟とはもう何年も会っていないことをわたしに告げました。しかしその兄弟は第二次世界大戦のさなかも教会に忠実で,ロシア戦線に駆り出されるまで支部長を務めていたということでした。
アパートを見ましたが,寒々として暗い部屋でした。ペンキははげ,壁紙は汚れ,食器棚は空っぽでした。居間の天井には40ワットの裸電球が下がっていて,リノリューム製の床の真ん中にあいた大きな穴を照らし出しています。わたしは気が重くなりました。『多くの苦難をしのいで来る家族にとって何と寂しい歓迎だろうか。』……
……翌朝の日曜日,ワード部福祉活動委員会で顧問のひとりがこう言いました。『ビショップ,顔色がすぐれないようですが,何か心配事でもあるのですか。』
わたしはその会に出席していた人に昨晩のことを告げ,何となく気乗りしないアパートのことを詳しく説明しました。しばらくの間,だれも何も言いませんでした。すると大祭司グループリーダーのアードリー兄弟が開口一番こう言いました。『ビショップ,そのアパートは薄暗く,台所用品も取り換える必要があるのでしょう。』わたしが『はい』と答えると,大祭司グループリーダーは続けて言いました。『わたしは電気工事の請負いをしています。そこでワードの大祭司たちにそのアパートの配線工事を任せていただけないでしょうか。それから業者に頼んで,新しいコンロと冷蔵庫を入れてもらいましょう。ビショップ,許可してくださいますか。』……
続いて七十人の会長のバームフォース兄弟がこう言いました。『ビショップ,御存じのようにわたしはカーペットの仕事をしています。業者に頼んでカーペットを入れてもらうように交渉してみましょう。また七十人の方々と協力してカーペットを敷き,古くなったリノリュームの床を直しておきますよ。』
長老定員会会長のボーデン兄弟が次に話し始めました。彼は塗装の請負いをしています。『塗装の方はわたしがしましょう。長老たちに手伝ってもらってペンキを塗り替え,新しい壁紙を張ってもいいでしょうか。』
次は扶助協会会長のミラー姉妹です。『扶助協会の会員として食器棚を空のままにしておくわけにはいきませんわ。必要な食器類を集めてきてもよろしいでしょうか。』
それからの3週間は忘れることのできない毎日でした。ワード部全体が一つのプロジェクトに参加しているようでした。そうしているうちに日も過ぎ,一家がドイツからやってくる日になりました。再び戸口にオグデンからの兄弟が立ち,震える声で自分の兄弟とその奥さん,そして子供たちをわたしに紹介しました。『それではアパートに行ってみましょうか。』アパートヘの階段を昇っていきながら,彼は『これで十分とは言えませんが,それでもドイツにいるときよりはましです』と繰り返していました。彼はそのアパートにどのような変化が起こり,この計画に参加した大勢の人々が中で彼らの到着を待っていることなどまったく知るよしもありませんでした。
ドアを開けたとき,そこには文字どおり新生活の場が映し出されたのです。彼らを出迎えたのは塗りたてのペンキの臭いと真新しい壁紙でした。40ワットの電球も使い古されたリノリュームの床もそこにはありません。わたしたちは厚く,そして美しいカーペットの上に足を進めました。台所には新品のコンロと冷蔵庫が置かれていました。食器棚は開いたままですが,どの棚にも食料品がいっぱい詰まっていました。扶助協会の姉妹たちが準備したのです。
……最後にそれらが皆自分たちのものだと分かった父親は,わたしの手を取って感謝の言葉を述べました。そして声を詰まらせ〔ました〕。……
帰る時間が来ました。アパートの階段を降り,外に出ると,雪が降っていました。みんな何も言いませんでした。するとひとりの少女がこう言いました。『ビショップ,わたしは今までにないよい気持ちを感じています。どうしてかしら。』
わたしは救い主の言葉を借りて答えました。『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである』(マタイ25:40)。」(「将来に備える計画—貴い約束」『聖徒の道』1986年7月号,63-64参照)
教義と聖約48:4-6。「その場所はまだ示されない」
主は聖徒たちに対し,シオンの町を築くための土地を購入する必要が生じたときのために貯金をするよう勧告されました。この当時,「レーマン人に近い境の地」(教義と聖約28:9)になると宣言された以外,主はシオンの場所をまだ明らかにされていませんでした。教義と聖約48章に記録された啓示から数か月以内に,主はシオンがミズーリ州インディペンデントに築かれることを明らかにされました(教義と聖約52:2-3;57:1-5参照)。
教義と聖約49章:追加の歴史的背景
オハイオ州カートランドから約24キロ南西の場所に,キリスト再出現信者連合会に属する信徒たちがいました。彼らは,音楽に合わせて歌い,踊り,手をたたきながら体を揺するその礼拝方法から,一般にシェーカー派として知られていました。シェーカー派は,シェーカー運動の指導者であったアン・リーという女性の姿でキリストが地上に戻られたと信じており,完全な独身生活(結婚と性的関係を慎むこと)も信じていました。彼らはバプテスマが必須だとは考えておらず,肉を食べることを禁じる人もいました。1831年初頭,シェーカー派の信徒であったリーマン・コプリーが教会に改宗し,教会の長老たちが彼の以前の仲間に福音を宣べ伝えに行くことを望みました。しかし,一部の新しい改宗者がそうであったように,彼は以前の誤った信条の幾つかを信じ続けました。預言者ジョセフ・スミスが1831年5月7日に受けた教義と聖約49章に記録されている啓示は,シェーカー派の信条の幾つかを否定しました。それに加えて,シェーカー派の共同体に教えを説きに行くようにシドニー・リグドン,パーリー・P・プラット,およびリーマン・コプリーが召されました。この啓示が与えられてから間もなく,これら3人の男性はシェーカー派の人々を訪ね,集まった信徒たちの中で啓示を読むことを許可されましたが,教徒たちは彼らのメッセージを拒絶しました。
リーマン・コプリーは,ニューヨーク州から移住してくる聖徒たちの多くがオハイオ州トンプソンにあった彼の農場に住むことができるように,奉献の原則に基づいて聖約を交わしました。しかし,しばらくすると彼はその聖約を破り,聖徒たちに彼の土地から出て行くよう求めました。コプリーの回復に対する信仰は放棄され,その後は聖徒たちとあまり交流しませんでした。
教義と聖約49章
主は,オハイオ州北部のシェーカー派の人々に教えを説くようシドニー・リグドン,パーリー・P・プラット,リーマン・コプリーを召される。
教義と聖約49:1-4。「彼らは真理を一部分知りたいとは望んでいるが,すべてではない」
主は,シェーカー派の人々が「真理を一部分知りたいとは望んでいるが,すべてではない」(教義と聖約49:2)と説明されました。シェーカー派の人々は神に従おうとしましたが,最終的には,主の御言葉を彼らに宣言するように召された宣教師たちによって教えられた回復のメッセージを拒絶しました。神の子供たちが永遠の福音の一部である教義的真理のすべてを受け入れることは必要不可欠です。七十人のグレン・L・ペイス長老(1940-2017年)は,今日の教会員の一部がどのように「真理を一部分」のみ知る選択をしているかについて説明しました。
「会員の中には,だれに対して,またいつ従順になるべきかを自分で選択する人がいます。預言者はたとえて言うならば,バイキング料理のようにいろいろな種類の真理をわたしたちの前に広げ,好きなものを取っていいと言っているわけではありません。……預言者は人々がどんな意見を持っているかを知るために世論調査をするわけではありません。ただ,主の御心をわたしたちに伝えるのです。……
1831年,ある改宗者は,自分たちが前に信じていた教えをこの教会に持ち込もうとしました。今日わたしたちが抱えている問題は,社会の風潮と批判になびき,教会の立場をそれに合わせて変えようとする会員がいることです。彼らにとっては他人の教えの方がほんとうのように聞こえるのです。
1831年に主が与えられた勧告は,今日にも当てはまります。『見よ,わたしはあなたがたに言う。彼らは真理を一部分知りたいとは望んでいるが,すべてではない。彼らはわたしの前に正しくなく,必ず悔い改めなければならない。』(教義と聖約49:2)
わたしたちは真理のすべてを受け入れ,『神の武具で身を固め』(エペソ6:11),王国建設の業に励まなければなりません。」(「預言者に従う」『聖徒の道』1989年7月号,29参照)
ダリン・H・オークス長老が教えたように,イエス・キリストの福音は,教会員になるときに福音の教えに反する習慣を捨てることをわたしたちに求めます。
「神の戒めを守るうえで助けとなるものとして,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員には,いわゆる福音の文化があります。それは世の人々とは異なる生き方であり,すべての会員が共有している価値観と標準と慣習です。この福音の文化は,救いの計画,神の戒め,生ける預言者の教えが原点であり,わたしたちが家族を築き,個々の人生を歩む際の導きとなってくれます。……
世界中の会員を助けるために,教会は,イエス・キリストの教会の教えとこの福音の文化に反する個人や家族の伝統や行いはどのようなものであっても捨てるように教えています。」(「福音の文化」『リアホナ』2012年3月号,22)
教義と聖約49:7。イエス・キリストの再臨の時期を知る者はいない
シェーカー派はイエス・キリストの再臨がすでに起こっており,キリストがアン・リーという名前の女性の姿で戻られたと信じていました。この信条は,救い主が末の日に蔓延すると預言された偽りの教えの例です。
「そのとき,だれかがあなたがたに『見よ,ここにキリストがいる』,また,『あそこにいる』と言っても,それを信じるな。
それらの日には,偽キリストたちや偽預言者たちも起こって,大きなしるしと不思議を示し,できれば,聖約による選民である真の選民をも惑わそうとするであろう。……
だから,人々が『見よ,彼は荒れ野にいる』と言っても,出て行くな。また『見よ,へやの中にいる』と言っても,信じるな。
ちょうど朝の光が東から出て,西に照り,全地を覆うように,人の子も来るからである。」(ジョセフ・スミス—マタイ1:21-22,25-26)
預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は,救い主の再臨の時期を知っていると主張する人々について警告しました。「イエス・キリストは,御自身がおいでになる正確な時を決してだれにも示されませんでした〔マタイ24:36;教義と聖約49:7参照〕。聖文を読んでください。主が来られる正確な時をはっきりと述べた箇所を見つけることはできないでしょう。それを告げる者は皆,偽りの教師です。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』253)
教義と聖約49:15-17。結婚は神によって定められている
シェーカー派は,男性と女性が別々に住み,結婚や子供を持つことを慎む共同体を作っていました。使徒パウロは,「結婚を禁じ〔る〕」ことを含む,末の日の背教につながる偽りの教えについて説明しました(1テモテ4:1,3参照)。
1995年に発表された正式な宣言の中で,大管長会と十二使徒定員会はこのように宣言しています。「男女の間の結婚は神によって定められたものであり,家族は神の子供たちの永遠の行く末に対する創造主の計画の中心を成すものである。」(「家族—世界への宣言」『リアホナ』2004年10月号,49)
十二使徒定員会のL・トム・ペリー長老(1922-2015年)は,結婚と家族がきわめて重要である理由について説明しました。
「回復された福音という神学全体が,家族と,結婚の新しくかつ永遠の聖約を中心としているのです。……
わたしたちは,結婚と家族のきずなは墓を超えて続くものとなり得る,と信じています。つまり,適切な権能を持つ人によって主の神殿で執行される結婚は来世でも有効だと信じているのです。この教会の結婚式では『死が二人を分かつまで』とは言わず,『この世においても永遠にわたっても』と言います。
わたしたちはまた,昔ながらの堅固な家族は,安定した社会,安定した経済,安定した価値観の文化の基本単位であるだけでなく,永遠の,そして神の王国と統治体制の基本単位でもあるとも信じています。……
わたしたちは結婚生活と家族が永遠に続くと信じているので,家族を堅固なものにするという全世界的な動きを教会として導き,これに参加したいと思っています。」(「世界中どこでも—なぜ結婚と家族が大切なのか」『リアホナ』2015年5月号,41)