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第40章:教義と聖約102,104章


「第40章:教義と聖約102,104章」教義と聖約 生徒用資料

「第40章」教義と聖約 生徒用資料

第40章

教義と聖約102章104章

紹介とタイムライン

1830年4月6日に教会が組織されたときから,預言者ジョセフ・スミスは,重要な教会の諸事を決定するために,長老と大祭司とともに大会を開いてきた。後の啓示で,神権指導者が教会をつかさどる役割と職務についてさらに明確にされている(教義と聖約107:59-100参照。教義と聖約107章前書きも参照)。1831年11月に与えられた啓示に従って(教義と聖約107:78-79参照。教義と聖約107章前書きも参照),1834年2月17日,預言者ジョセフ・スミスは,示現で見た古代の評議会の規定に倣って,最初の高等評議会を組織した。その評議会の議事録(覚え書き)は預言者によって修正され,教義と聖約102章に記録されている。

1832年4月,主の命令に従って,預言者ジョセフ・スミスは教会の事業運営を管理する共同商会を組織した。1834年初めまでに,共同商会は深刻な財政難に陥り,1834年4月10日に開かれた集会で,共同商会の会員は組織を解散することを決定した。しかし,2週間後,預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約104章に記録されている啓示を受けた。その中で主は,共同商会を再組織し,負債を支払い,貧しい人の世話をするよう教会指導者に勧告された。

1832年3月-4月啓示によって,9人の神権指導者が教会の事業運営を監督するため共同商会(共同制度としても知られる)を設立するように命じられた(教義と聖約78章82章参照)。

1833年秋ミズーリ州ジャクソン郡の聖徒たちは,自分たちの家から追い出された。

1834年2月17日預言者ジョセフ・スミスはオハイオ州カートランドに最初の高等評議会を組織した。教義と聖約102章 には,預言者によって修正された評議会の議事録すなわち覚え書きが収められている。

1834年4月10日経済的問題のため,共同商会の会員は組織を解散することを決定した。

1834年4月23日教義と聖約104章が与えられた。

1834年5月5日預言者ジョセフ・スミスはイスラエルの陣営(後にシオンの陣営と呼ばれた)とともにオハイオ州カートランドを出発し,ミズーリへ向かった。

教義と聖約102章:追加の歴史的背景

1830年4月に教会が組織された後,預言者ジョセフ・スミスは,教会の業務を行う大会を四半期ごとに開催するという主の指示に従いました(教義と聖約20:61-62参照)。これらの大会に加えて,小さな集会が定期的に開かれ(これらも大会または評議会と呼ばれた),長老や大祭司が,教会の重要事項を決定しました。深刻な罪を犯した教会員に対してどのように宗紀を執り行うかについても評議されました。集会が開かれる場所やだれが出席できるかによって,これらの大会や評議会の参加者は異なりました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, ed. Gerrit J. Dirkmaat and others [2014], 435–36; see also Joseph F. Darowski and James Goldberg, “Restoring the Ancient Order,” in Revelations in Context, ed. Matthew McBride and James Goldberg [2016], 208–9, or history.lds.org)。

1834年2月12日,オハイオ州カートランドで開かれた大会で,預言者ジョセフ・スミスは次のように述べています。「わたしは今までに,どの評議会にあっても,……その評議会から得られる祝福を多かれ少なかれ損なってしまうような,評議会に関する実施規定を定めたことは決してありません。」(reported by Orson Hyde as the clerk, in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 429; spelling standardized)預言者はそれから,古代において評議会がどのように機能していたかを次のように説明しました。「古代の評議会は,非常に厳格な作法に従って運営されていました。すなわち,啓示によって主の声を聞くか,また御霊の導きによって評議会の決定が下されるまでは,私語をしたり,退屈そうな態度をしたり,退席したり,落ち着きのない態度を執ったりすることも許されませんでした。」預言者はまた,これを回復された教会の評議会で出席者が執っていた態度に照らして述べました。集会中にメモを取っていたオーソン・ハイドは次のように記しています。「わたしたちの評議会では通常,落ち着きのない人もいれば,寝ている人もいました。祈っている人,祈っていない人,評議会の務めについて考えている人も,何かほかのことを考えている人もいました。」預言者ジョセフ・スミスはこの態度について述べた後,特に「評議員の席に座して〔ほかの〕人を裁く備えができている」ように,もっと心を尽くし,よく祈るよう兄弟たちに勧告しました(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 429–30)。

〔野原に座るイエスと使徒たちの絵の画像〕

昔,主の僕たちは評議会を開いて,主から指示を受け,御心を知った。

5日後の1834年2月17日に,預言者ジョセフ・スミスと神権指導者,教会員は,カートランドの預言者の自宅に集まり,12人の大祭司から成る「常任評議会」を組織しました(教義と聖約102:3)。これは,評議会は緊急の議題を処理した後に休会するのではなく,将来の必要に備える評議会として「常任」し続けるということを意味しました。この評議会は,「オハイオ州カートランドにおける『大管長会の教会評議会』」と呼ばれましたが,「後に『キリストの教会の高等評議会』またはカートランド高等評議会」として知られるようになりました。(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 435)この評議会に対する指示の一部として,預言者は「啓示により示された古代の評議会の規定を見せよう」と言いました。預言者が示現で見たエルサレムの教会評議会は,使徒ペテロと二人の顧問により管理されていました。この古代の評議会に倣って,カートランドの評議会が新しく組織されました。(In The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 437.

〔オハイオ州カートランドのジョセフ・スミスの家の画像〕

1834年から1838年にジョセフ・スミスとエマが住んだオハイオ州カートランドの家。

翌日,預言者は2月17日の評議会議事録,もしくは覚え書きの修正に努めました。議事録は,高等評議会の組織について,また,戒めに背いたと訴えられた教会員の宗紀を執り行う手順について概説したものです。2月19日,預言者は修正した議事録を新しく組織された評議会に提出し,それは「今後のキリストの教会の高等評議会の形式と憲章」として受け入れられました。預言者ジョセフ・スミスは,さらなる指示を与え,評議会の会員を任命した後,評議会は「古代の規定と主の御心にも従って組織された」と宣言しました。(In The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 439.)1834年2月17日に開かれた高等評議会の修正版議事録が,教義と聖約102章に記録されています。

1835年,教義と聖約の印刷に向けて準備しているときに,30-32節教義と聖約102章に記録された議事録に追加されました。これらの節には,遠隔地で組織された一時的な高等評議会による決議と,1835年に組織された十二使徒定員会による決議との違いについて記されています。

〔地図7:オハイオ州カートランド,1830-1838年の画像〕

教義と聖約102章

預言者ジョセフ・スミスは啓示を通して最初の高等評議会を組織した

教義と聖約102:1-10。「キリストの教会の高等評議会の組織」

主は高等評議会に教会における管理上の多くの事柄を処理するよう命じられました。教義と聖約102章に記録されている評議会の議事録には,カートランドの教会の高等評議会が組織された理由の一つは「重大な問題のうち,教会またはビショップの評議会によって当事者に満足のいく解決が得られない問題」を解決することであったと書かれています(教義と聖約102:2)。「重大な問題」とは会員が重大な背きを犯した状況を,「ビショップの評議会」とはビショップとその顧問による宗紀評議会を指すものと思われます(教義と聖約107:69-75参照)。ビショップの評議会の決定に満足できない会員は,カートランドの「キリストの教会の高等評議会」に控訴することができました(教義と聖約102:1)。

教義と聖約102章で述べられている高等評議会は,今日のステークにおける高等評議会とは幾つかの点で異なりました。今日のステーク高等評議会はステーク会長会により管理されますが,カートランド高等評議会は「教会の大管長〔が〕……他の二人の会長の補佐を受け」て,すなわち大管長会が管理しました。(教義と聖約102:9-10)。さらに,カートランド高等評議会は教会の管理高等評議会でもあり,オハイオ州カートランドとその周辺地域での教会の諸事を監督しました。ミズーリの教会の統制を助けるため,預言者ジョセフ・スミスは1834年7月に,会長としてデビッド・ホイットマーと,その二人の顧問であるジョン・ホイットマーとウィリアム・W・フェルプスにより管理されるもう一つの高等評議会を組織しました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, ed. Matthew C. Godfrey and others [2016], 88)。ジョセフ・スミスは,1838年にミズーリに移った後,カートランドの高等評議会の代わりにミズーリ高等評議会を教会の管理高等評議会として管理しました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 440)。教会員数が増すにつれ,一定のステーク境界内で教会を管理するステーク会長会と高等評議会を備えたステークがやがて組織されました。

預言者ジョセフ・スミスは「シオンを築くときや地上に真理を確立するときのあらゆる重大な折に」,高等評議会を通して「主の御心が知らされる」と教えています (reported by Frederick G. Williams as the clerk, in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 93; spelling standardized)。評議会を通して,主は地上での御自分の王国を統治し,救いの業を導かれます。

十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は,次のように説明しています。

「神はわたしたちに永遠の幸いをもたらす栄えある計画を提示するために,前世で大会議を招集されました。主の教会はあらゆるレベルの評議会をもって組織されており,大管長会と十二使徒定員会の評議会から始まって,ステーク,ワード,定員会,補助組織,そして家族の評議会に至ります。

〔大管長会の〕スティーブン・L・リチャーズ管長は次のように言いました。『この教会の統治の真髄は,評議会によって治めるところにあります。……わたしはこれまでの経験から,評議会の価値を十分に認識しています。神の王国を治めるために……評議会が設けられたのは神の知恵であり,それを忘れる日は一日たりともありません。……

わたしは何のためらいもなく,確信をもって言うことができます。皆さんが期待されているとおりに評議会で話し合うなら,神は皆さんが抱えている様々な問題を解決できるようにしてくださるでしょう。』(in Conference Report, Oct 1953, p. 86)」(「評議の力」『聖徒の道』1994年1月号, 85参照)

教義と聖約102:11。「他の会長……が,彼の代わりに管理する権限を持つ」

教義と聖約102章に記録されている評議会議事録によると,教会の大管長はその顧問の補佐を受けて,または補佐なしに評議会を管理することができます。もし大管長自身が欠席の場合,顧問の「両者あるいはいずれか一人」が代わりに管理できます(教義と聖約102:11)。ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,この規定がどのように大管長会に当てはまるのか次のように説明しています。「大管長が病気のときや,その職にかかわるすべての責任を十分に果たすことができない場合は,二人の顧問が大管長会定員会を構成し,大管長会の日常の業務を遂行します。例外的な状況で一人しか働けない場合には,教義と聖約第102章10節から11節に定められたとおり,その人が大管長会の職の権限により職務を果たすことは差し支えありません。」(「神がかじを取っておられます」『聖徒の道』1994年7月号, 60参照)

教義と聖約102:12-26。教会宗紀評議会

〔インドのステーク会長会の画像〕

ステーク宗紀評議会を管理するという重要な責任を持つステーク会長を,顧問は補佐する。彼らはインドで最初に召されたステーク会長会である。

今日の教会では,ステーク会長はステークにおける教会宗紀を管理する権能を持っています。ビショップは,その顧問と,またステーク会長と協議して,自分のワードの会員の宗紀評議会を開く権能を持っています。メルキゼデク神権者の破門が必要と思われるときは,ステーク会長が,その顧問とステーク高等評議会の評議員とともに,ステーク宗紀評議会を開きます。教義と聖約102章に記録されている議事録には,高等評議会が宗紀評議会として働くときの指示が与えられています(教義と聖約102:12-26参照)。

M・ラッセル・バラード長老は,教会宗紀評議会の目的について次のように説明しています。

「聖文で,主は教会宗紀評議会に関する指示をお与えになりました(教義と聖約102章参照)。評議会という言葉は,有益な手続きを思い起こさせます。戒めに背いた者の救いと祝福を最優先に考える,愛と気遣いの手続きです。

教会宗紀評議会が開かれるのはなぜかと,会員から時折尋ねられます。その目的は3つ,すなわち,戒めに背いた人を救うこと,罪のない人を保護すること,教会の清さと高潔さと名誉を守ることです。」(“A Chance to Start Over: Church Disciplinary Councils and the Restoration of Blessings,” Ensign, Sept. 1990, 15

教会からの公式な声明により,教会宗紀について詳しい説明がなされています。

「教会で行われるどのようなカウセリングや宗紀も,その個人がキリストの贖罪が与える平安と希望を得られるよう助けるために行われるのである。処罰することと混同すべきではない。

教会宗紀は,その状況と個人を最もよく知っており,悔い改めの過程の最初から最後まで,本人の傍らで支援できる人々により,地元レベルで実施されるのである。

教会宗紀の目的は,処罰することではなく,重大な罪を犯した人が完全に悔い改め,完全な会員資格を回復できるように促すことである。……

神は御自身のすべての子供たちを愛しておられ,御子イエス・キリストの贖いがもたらす平安と回復を子供たちに実感してほしいと望んでおられる。個人的な悔い改めや自制から教会の公式な宗紀まで,どのレベルにおける宗紀も,わたしたちがより善い人となり,弱点と罪を克服し,イエス・キリストの真の弟子になろうと努めるときに高められるためにある。」(「教会宗紀」 www.mormonnews.jp

教義と聖約102:12-17。「数字を書いたくじを引〔く〕」

聖典にはくじを引く例があります。くじとは,「幾つかの選択肢の中からあるものを選び出すための方法。あらかじめ用意した紙片や木片の中から一つを選び出すという方法で行われることが多い。」(『聖句ガイド』「くじ」の項,scriptures.lds.orgマタイ27:35使徒1:23-261ニーファイ3:11も参照)今日の教会のステーク宗紀評議会では,高等評議員が1から12までの数字が書かれたもの(紙片など)を無作為に選ぶことで「くじを引き」ます(教義と聖約102:12参照)。教義と聖約102:17によると,「偶数……を引いた評議員は,訴えられた者のために立って,侮辱と不公平を防止しなければならない人」です。これは訴えられた人を公平に代表するという意味です。

預言者ジョセフ・スミスは次のように説明しています。「古代の評議会においては,今日の教会法廷のように罪人を弁護したり抗弁したりすることは,天の秩序ではありませんでした。」むしろ高等評議員が宗紀評議会で話すときは,「証拠に基づき,主の御霊の教えのままに正確に語らなければなりません。」高等評議員は,「教会員の罪が明らかな場合でも,決してその人をさげすんではなりません」でした。それどころか,訴えられた人の代わりに立って意見を述べる評議員は,「弁護をすることになっていました。それは,訴えられた人の立場が〔高等評議会の〕会長の前に公正に申し述べられ,真理と義に従った裁決が下されるようにするためでした。」 (reported by Orson Hyde as the clerk, in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 3: February 1833–March 1834, 437; spelling standardized)このように,宗紀評議会の目的は,主の御霊を通して真理を求め,公平と正義をもって手続きが行われるようにすることです。こうして,教会宗紀評議会は,「戒めに背く者を救うこと,罪のない人を保護すること,教会の清さと高潔さと名誉を守ること」の助けとなります。(M. Russell Ballard, “A Chance to Start Over: Church Disciplinary Councils and the Restoration of Blessings,” 15

教義と聖約102:19,23。「主に尋ね,啓示によって主の思いを知る」

ステーク宗紀評議会で高等評議員が洞察を述べて,ステーク会長と顧問が非公開で協議しますが,その事案の判決を下すのは評議会の会長であるステーク会長に任されています(教義と聖約102:19参照)。ステーク会長は,問題の詳細と教会の教義と方針をよく考えながら,主の思いを明らかにしてくださるよう啓示を求めます。最初の高等評議会の中では,教義と聖約102:23にある「会長」とは預言者ジョセフ・スミスのことであり,ジョセフは教会の大管長として,教会の教義を明らかにする啓示を受ける権限と神権の鍵を持っていたことを覚えておくことは大切です。今日の教会では,ワードまたはステーク宗紀評議会で裁定する際に,主に尋ね,啓示を受けるための神権の鍵を持っているのはビショップとステーク会長です。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように教えています。「宗紀評議会が開かれるときには,ビショップリック,ステーク会長会,あるいは大管長会の3人の兄弟たちは,最終的な処置を決定するまでの間に,ともに席に着き,ともに審理し,ともに祈ります。皆さんにはっきりと知っていただきたいのですが,祈りがささげられずに最終的な処置が決定されたことはないはずです。会員に対する処置の決定は,人間の考えだけで行ったり,まして一人だけで判断したりするにはあまりにも重大な問題です。正義に基づいた裁定を得るには,御霊の導きを熱心に求め,それに従わなければなりません。」(「助言者が多ければ安全である」『聖徒の道』1991年1月号,56)

教義と聖約104章:追加の歴史的背景

1832年3月と4月に,主は預言者ジョセフ・スミスと,ミズーリとオハイオの神権者の少人数のグループに,共同商会(後に共同制度と呼ばれる)を組織するように命じられました。彼らは財産を教会に奉献し,教会の倉と印刷事業を管理するためにともに働くことを聖約しました(教義と聖約78:1-382:11-12参照)。さらに共同商会の会員は「農場と住宅用不動産,灰焼場,皮なめし工場,石切り場,製材所,れんがの焼き窯を管理しました。」 (in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, ed. Matthew C. Godfrey and others [2013], 498)これらの事業から得た利益はシオンを築く業の資金として,また,共同商会の会員の収入として使われました(教義と聖約82:17-19参照)。

1834年4月には,共同商会は深刻な財政難に陥りました。1833年に起きたミズーリでの集団暴力のため,ジャクソン郡にあったウィリアム・W・フェルプスの印刷所は破壊され,シドニー・ギルバートは倉を閉鎖させられました。その結果,商会は印刷所からも店からも収入を得られなくなりましたが,商会の設立費用や経営に要した負債は返済し続けなければなりませんでした。オハイオでは,共同商会の会員はニューヨークの数社への負債が増えていました。カートランドの倉に商品を供給したり,カートランドに土地や新しい印刷機を購入するために借金したためです。さらに,共同商会の何人かの会員は「自分たちが責任を持つ商会の財産をむさぼるようになりました。」(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 20)このような困難のために,1834年4月10日,共同商会のカートランド部門の会員は集まって,「商会を〔解散〕し,各人が管理人の職,すなわち財産を受け取り,それを管理,運営する」ことを決めました(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 21; see also The Joseph Smith Papers, Journals, Volume 1: 1832–1839, ed. Dean C. Jessee and others [2008], 38)。2週間後,預言者ジョセフ・スミスは,共同商会とその資産に関する主からの詳しい指示を含む教義と聖約104章に記録されている啓示を受けました。

共同商会についての詳しい情報は,本書第29章と第30章にある教義と聖約78章および82章の解説を参照してください。

:「教義と聖約の後の版では,共同商会は『共同制度』と呼ばれ,参加者の名前には暗号名が使われるようになりました。さらに,商会の目的に関する言葉は,貧しい人の必要を満たすというもっと漠然としたものに変更されました。これが行われたのは,商会に参加した人々の身元を分からなくし,また商会の目的を内密に保つためでした。個人の名前は1980年代に元の啓示の状態に戻されましたが,商会は2013年版の教義と聖約でも『共同制度』のまま言及されています。」(Matthew C. Godfrey, “Newel K. Whitney and the United Firm,” in Revelations in Context, ed. Matthew C. Godfrey and James Goldberg [2016], 146, or history.lds.org

教義と聖約104:1-77

主は共同商会に関する指示を与えられる

教義と聖約104:1-2。「多くの祝福をもって祝福される」

共同商会が設立されたとき,その会員は財産を商会に奉献し,シオンを築くために一致して働くことを聖約しました(教義と聖約78:11-1282:11-12,15参照)。後に,主は彼らに「不変不易の約束」すなわち絶対的で拘束力がある,「〔彼らが聖約に〕忠実であれば多くの祝福をもって祝福される」という約束をお与えになりました(教義と聖約104:2)。十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老は,教会員が主と聖約を交わし,忠実に守るときに受ける多くの祝福のうちの幾つかを次のように挙げています。

「聖約とは神とわたしたちが交わす合意であり,合意の条件は神がお定めになります(『聖句ガイド』「聖約(契約)」の項,152参照)。この神聖な合意において,わたしたちは神に仕え,神の戒めを守ると約束し,それに対して,神はわたしたちを支え,聖め,高く上げると約束されます。……

イエス・キリストの福音の原則と戒めに従順に生活することによって,神が聖約の中で約束された祝福が,絶えず流れ込むようになります。このような祝福は,生きていく中で,単に作用される者でなく,作用する者となるために必要な力を与えてくれます。……

聖約の道を歩んでいると,常に賜物や助けが与えられます。……わたしたちは聖約の民であり,互いに励まし合い,支え合い,仕え合う聖徒の共同体の一員です。……

聖約は,……主が求められることを全部行う信仰を生じます。喜んでキリストの御名を受け,戒めを守るには,信仰が必要です。聖約を尊ぶなら,そのような信仰が強まります。……

神との聖約を守る人の生活に,天の御父は神の影響力,すなわち『神性の力』を注がれます(教義と聖約84:20)。御父がそうされるのは,わたしたちが神権の儀式を受けることを通して,選択の自由を行使してそれを受ける選びをしたからです。……

強いクリスチャンは,神聖な聖約によって作られます。ふさわしくなり,受けられる神権の儀式をすべて受け,聖約によって交わした約束を忠実に守るよう一人一人に強く促します。苦難に遭ったときには,聖約を最優先し,厳密に守ってください。そうすれば,自分の必要に合わせて『疑わないで,信仰をもって願い求め〔る〕』ことができ,神はこたえてくださるでしょう。神は,答えを待ちつつ励む皆さんを支え,御自身の時と方法により,手を差し伸べ,『わたしはここにいます』と声をかけてくださるでしょう。」(「聖約の力」『リアホナ』2009年5月号,20-22)

教義と聖約104:3-10。「わたしの僕の中のある者たちが……貪欲によって,……聖約を破った」

主は「貪欲によって,また偽りの言葉をもって聖約を破った」何人かの共同商会の会員を戒められました(教義と聖約104:4)。「偽りの言葉」とは,不正直で,本心を隠す言葉で,貪欲とは「人をうらやんだり,何かを過度に欲しがったりすること」です(『聖句ガイド』「貪欲;むさぼり」の項,scriptures.lds.org)。使徒パウロは,貪欲とは「偶像礼拝」だと教えています(コロサイ3:5)。心をこの世のものに向けることで,主と主の王国に完全に忠実でいられなくなり,献身することもできなくなります。

十二使徒定員会のジョセフ・B・ワースリン長老 (1917-2008年)は,貪欲の危険性について次のように警告しました。「兄弟姉妹,あらゆる貪欲に対してよくよく警戒してください。それは末日に見られる大きな災いの一つです。貪欲は意地汚い欲望と恨みを生じさせ,しばしば,束縛,悲痛,そして背負い切れないほど大きな負債に結びつきます。」(「この世の負債と天の負債」『リアホナ』2004年5月号,40)

主は共同商会の会員に,もし聖約を破って悔い改めないならば,「絶たれる」すなわち教会から破門され,「サタンに引き渡して打たせる」と警告されました(教義と聖約104:8-10参照)。十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老は次のように書いています。「〔サタンに〕打たせる というのは,サタンの手に引き渡されることです。神権,正義,信心というあらゆる守護の力が取り去られた状態で,ルシフェルはそのような人を思いのままに苦しめ,悩ますのです。一度サタンのとりことなった人は,この世においても来世においても,サタンの手錠とのろいをかけられ,燃える火と硫黄に象徴される筆舌に尽くし難い苦悩を味わうことになるのです。」(Mormon Doctrine, 2nd ed. [1966], 108

教義と聖約104:11-14。「すべての人をその管理人の職に任じ〔なさい〕」

管理人とは,ほかのだれかに帰属する資産や業務を管理する人のことです。主は地球と地上のすべてのものを創造されたので,土地やその資源,地球に住む神の子供たち,すなわち「万物」は主のものです(教義と聖約104:13-14,55-56参照)。万物は主のものであるので,わたしたちは主の管理人です。この原則に基づいて,主は,共同商会の会員一人一人に,共同商会によって管理される資産から割り当てられた,それぞれの管理人の職が与えられるよう指示されました。このようにして,主は共同商会の会員一人一人が,任された資産を管理し用いる責任を持つようにされました。同様に,主はわたしたち一人一人が地球の資源を用いることや,主が与えられた責任をどれほど果たしているかについて責任を負わせられます。

管理人の職とその責任を負うことについての詳しい情報は,本書の教義と聖約51:19と72:2-3の解説を参照してください。

教義と聖約104:15-16。「わたし自身の方法で行われなければならない」

主が意図されていることは,「〔御自分の〕聖徒たちに必要なものを与えることである。しかしそれは,」世の方法ではなく「〔主御自身〕の方法で行われなければならない」ということです(教義と聖約104:15-16)。主は,奉献の律法と管理人の職の原則,個人の責任の原則を含む,主の福音の律法を聖徒にお与えになったときに,御自分の方法を明らかにされました(教義と聖約42:18-42参照)。「神の王国の建設と確立のために時間や才能や財産を」奉献する,すなわち,ささげることによって(『聖句ガイド』「奉献:奉献の律法 」の項,scriptures.lds.org),末日聖徒は互いを,特に貧しい人や助けの必要な人を世話する助けとなる,神聖な管理人の職を果たします。

大管長会のディーター・F・ウークトドルフ管長は,主の方法で貧しい人や助けの必要な人を世話することについて次のように教えています。「世の中には貧しい人や助けの必要な人の差し迫った必要を満たそうと至る所で努力している,善良な人々や団体がたくさん存在します。わたしたちはこのことに感謝していますが,助けの必要な人を世話するための主の方法は世の方法とは異なります。主は『わたし自身の方法で行われなければならない』とおっしゃっています〔教義と聖約104:16〕。主はわたしたちの目先の必要だけでなく,永遠の進歩に関心を寄せておられます。そのような理由から,主の方法には貧しい人の世話に加えて,自立と隣人への奉仕が常に含まれてきました。」(「主の道にかないて助けをなす」『リアホナ』2011年11月号,54)

〔水をくむアフリカの少女の画像〕

教会員は惜しみない献金によって,アフリカのケニアで水を浄化するなど,多くの人道支援プロジェクトを実施できるようにしている(教義と聖約104:13-16参照)。

ジョセフ・B・ワースリン長老は,教会員が主の方法によってほかの人に与えるとき,どのように「貧しい者を高く」し「富んでいる者を低くする」かについて(教義と聖約104:16),次のように説明しています。「主の方法にあっては,自らを助ける者を助けるというのが原則です。貧しい人々は高くされます。なぜなら自分たちの受ける物質的な援助に見合った働きをし,正しい原則を学び,貧困から自立へと身を起こすことができるからです。富んでいる人々は,貧しい人々のために惜しみなくその財産を用いるときに,謙遜になり低くされるのです。」(「霊感によって与えられた教会の福祉」『リアホナ』1999年7月号,91参照)

教義と聖約104:17-18。「地は満ちており,十分にあり余っている」

全世界の人口は地球の資源を上回っていると言う人がいます。教義と聖約104章に記録されている啓示の中で,主は,地球にはすべての神の子供たちのために,たくさんの資源があることを強調しておられます(教義と聖約104:17参照)。問題は限られた資源ではありません。問題は地球の豊かさを貧しい人や乏しい人と分かち合おうとしないことです。教会に対する主の「律法」の中で,主は聖徒に「貧しい者を思い起こし,……彼らの扶養のために〔自分の資財〕のうちから奉献する」ようお命じになりました(教義と聖約42:30)。教義と聖約104:18に記録されているように,主は,もし聖徒が「〔主の〕福音の律法に従って貧しい者や乏しい者に物を分け与えることをしない」ならば,「悪人とともに,地獄で苦しみながら見上げるであろう」と警告しておられます。これは,イエス・キリストの金持ちとラザロのたとえ(ルカ16:19-31)に関係があります。このたとえの金持ちのように,自分の豊かなものを貧しい人に分けない者は,次の世で地獄の苦しみを受けます。

D・トッド・クリストファーソン長老は,教会員が惜しみなく分け与えることを称賛するとともに,貧しい人や乏しい人を助けるためにもっとできることを考えるようことを次のように勧めています。

「わたしたちは自分の資産や所有物をどう扱うかを自分で決めますが,この世のものをどのように管理したかを神に報告します。断食献金や人道支援プロジェクトを通して惜しみなく援助する皆さんの姿をとてもうれしく思います。長年にわたる聖徒の皆さんの寛大な援助によって何百万という人の苦しみが和らぎ,そのほか数え切れないほどの人が自立できるようになりました。それでも,シオンの大義を求めるのであれば,貧しい人,助けの必要な人のために自分が行うべきことを行い,主の求められることをすべて行っているかどうか,一人一人が祈りをもって検討する必要があります。

わたしたちの多くは所有物や娯楽を礼拝する社会に住んでいます。この世のものをもっと手に入れたいという羨望や強欲を遠ざけた生活を送っているかどうか自問してください。物質主義は,バビロンの特徴である偶像崇拝と高慢の一形態にすぎません。わたしたちは,必要な分だけで満足することを学ぶとよいでしょう。」(「シオンに来たれよ」『リアホナ』2008年11月号,39参照)

「貧しい者や乏しい者」(教義と聖約104:18)には,財政的な支援が必要な人だけでなく,霊的,情緒的,精神的,社会的な支援が必要な人も含まれます。同様に,地球の「豊かなもの」には,物質的な所有物だけでなく,個人の時間,才能,技術,霊的な賜物,知識も含まれます。

教義と聖約104:19-46。「数々の祝福を増し加えよう」

教義と聖約104章に記録されている啓示の中で,主はオハイオ州カートランドの共同商会の会員に割り当てられた管理人の職について,具体的な指示を与えられました。その啓示では,ミズーリ州に住む共同商会の会員に対する資産の割り当てについては語られませんでした。恐らく,聖徒たちがこのころジャクソン郡から追い出されたからでしょう。主はカートランドの共同商会の資産を分けて各々の会員に割り当て,割り当てられた会員はそれらを管理する責任を持つように指示をお与えになりました。「それは,すべての人が,自分に定められる管理人の職について〔主〕に報告できるようにするため」でした(教義と聖約104:11-13参照)。主は啓示で述べられた商会の各々の会員に,同じ約束をされました。もし自分の管理人の職に忠実であれば,主は「数々の祝福を増し加え〔て〕」くださるという約束です(教義と聖約104:23,25,31,33,35,38,42,46参照)。同様に,もしわたしたちが主の与えてくださった管理人の職に忠実であれば,主は祝福を「増し加え〔て〕」くださるでしょう。

教義と聖約104:47-53。「あなたがたはもはや,一つの共同制度として……拘束されることがあってはならない」

オハイオの共同商会の会員は商会を解散することを1834年4月10日に決定していましたが,教義と聖約104章に記録されている啓示によって,共同商会を再組織し,オハイオとミズーリで部門を分けて,別々に運営できるようにと指示されました(教義と聖約104:47-50参照)。主はこう述べておられます。「わたしはこれを,あなたがたの救い……のために行うように命じた。」(教義と聖約104:51)これは会員の経済的な救いのことを指していると考えられます。しかし,再組織されるのではなく,「この啓示が与えられた後間もなく,共同商会は事実上存在しなくなります。」それは恐らく「指導者たちが教会のこの世的な諸事に関する責任の多くを,カートランドの高等評議会などの別の管理部門に移すことを決めた」ためでしょう (in The Joseph Smith Papers, Documents 4: April 1834–September 1835, 21–22)。

〔オハイオ州カートランドの灰焼場,訪問者センターの画像〕

ニューエル・K・ホイットニービショップは,オハイオ州カートランドの灰焼場など,幾つかの資産と事業の管理人の職を与えられた(教義と聖約104:39-42)。

教義と聖約104:54-66。「わたしの言葉……を印刷する」

主は,共同商会の会員に割り当てられた各々の財産は主のものであり,彼らは主の管理人であることを思い起こさせられました。主は聖文や主が与えられるほかの啓示を印刷する費用を得られるように,彼らが管理人の職を賢く果たすように期待されました(教義と聖約104:58,63参照)。「わたしの聖文のすべて」(教義と聖約104:58)という言葉は,特にジョセフ・スミスによる聖書の霊感訳を表すと同時に, 教義と聖約104章に記録されている啓示の最初の写しが示すところによると,モルモン書や,教義と聖約に収められた啓示をも含むことが意図されていました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 29)。

D・トッド・クリストファーソン長老はこう教えています。「すべての聖文の第一の目的は,わたしたちの心を父なる神と御子イエス・キリストを信じる信仰で満たすことです。」(「聖文の祝福」『リアホナ』2010年5月号,34)このように,聖文を出版して,読んだり研究したりできるようにするのは,神の子供たちに回復された福音の知識をもたらし,「地上に〔主〕の教会と王国を築き上げ,……〔主の〕民」を主の再臨に「備える」のを助けるためです(教義と聖約104:59)。

聖文の印刷事業とシオンを築く資金を調達するために,主は二つの金庫,すなわち口座を設けるように命じられました。一つ目は「主の神聖な金庫」として知られるもので,教会の印刷事業の資金を調達するためのものでした(教義と聖約104:63-64参照)。教会の出版物を販売することによって得た「利益」は,この金庫に保管されました( 教義と聖約104:65参照)。二つ目の金庫には,各々の管理人の職による利益が保管されました。共同商会の会員は,管理人の職を果たすのに必要なら,この金庫の基金から引き出すことができました(教義と聖約104:72-73参照)。

教義と聖約104:78-86

聖徒は負債に関して勧告を受ける

教義と聖約104:78-86。「あなたがたの負債に関して」

預言者ジョセフ・スミスが教義と聖約104章に記録されている啓示を受ける数日前,共同商会の一員であるニューエル・K・ホイットニービショップは,共同商会が負う多額の負債を詳述する書類を作成しましたsee The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 4: April 1834–September 1835, 10–12)。共同商会の会員たちは,オハイオとミズーリでの教会の商取引と印刷事業の運営費を支払うために,ホイットニービショップの店を介して金銭を借りていました。主は,商会が負債を払うのを避けるために共同商会を再組織するようにお命じになったのではありません。実際に主は商会の会員に,「わたしの思いは,あなたがたがすべての負債を返済することである」と指示されました(教義と聖約104:78)1834年の春に教会が負っていた多額な負債を考えると,これはかなり困難なことでした。しかし,もし彼らが「熱心かつ謙遜であり,信仰をもって祈るならば」,主が負債を支払うための「資産」を授けるまで「貸し主の心を和らげ」ると約束してくださいました(教義と聖約104:80)。

教義と聖約104章に記録された啓示の中で,主は商会の負債のことを「束縛」と呼んでおられます。負債を支払うことによって,商会の会員は経済的な「束縛」から「解放される」ことになります(教義と聖約104:80,83-84参照)。同じように,末日の預言者も,教会員は負債を支払い,不必要で過剰な負債を避けるように勧告しています。ジョセフ・B・ワースリン長老はこのように教えています。

負債を返済する。わたしたちは時々,貪欲と利己心がからんだ話を聞いて大きな悲しみを覚えます。詐欺や融資返済の不履行,金銭詐欺,破産の話を耳にします。……

わたしたちは誠実な民です。負債を返済し,隣人と正直に接します。」(「この世の負債と天の負債」『リアホナ』2004年5月号,42)

ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように宣言しています。

「教会員の中でぎりぎりの生活をしている人が多くいます。中には借金生活の人もいます。……

皆さんに強く申し上げたいのは,家計の状態をよく調べて支出を抑えることであり,購買欲を抑えて,借り入れをできるだけ避けるということです。負債はできるだけ早く返済して,束縛から逃れてください。

わたしたちが信じているの福音には現世に関する面が含まれています。」(「若い兄弟たちに,そして成人の兄弟たちに」『リアホナ』1999年1月号,61-62参照)