第25章
教義と聖約66-70章
紹介とタイムライン
1831年10月29日,当時教会に改宗したばかりのウィリアム・E・マクレランは,5つの疑問を持って主のもとに行き,預言者ジョセフ・スミスを通して答えを受けられるように祈った。その後,ウィリアムは,自分の代わりに主に尋ねてくれるよう預言者に願った。ウィリアムの祈りや5つの疑問について何も知らないジョセフは,主に尋ね,教義と聖約66章に記録されている啓示を受けた。この啓示は,ウィリアムの霊的な状態と福音を宣べ伝える召しに関する約束された祝福と具体的な勧告を詳述している。
1831年11月,神権者たちは,オハイオ州ハイラムにおける一連の大会に集まり,その時点までに預言者ジョセフ・スミスが主から受けた啓示の公表について話し合った。その大会の間に,主は教義と聖約1章に記録されている啓示を与えられた。それは,出版される啓示の書の序文となるよう主が指定されたものである。主はまた,教義と聖約67章に記録されている啓示を与えられた。ここで主は,預言者が受けた啓示の言葉に疑問を抱く人々に向けて話された。
大会の間に,4人の兄弟たちが,自分たちに対する主の御心に関して主に尋ねてくれるようジョセフ・スミスに頼んだ。それに応じて,預言者は教義と聖約68章に記録されている啓示を受けた。この啓示には,福音を宣べ伝えるために召された人々への勧告や聖文を構成するものについてのさらなる理解,ビショップの召しについての指示,福音の原則と儀式を子供に教えるようにという親への戒めが含まれている。
これらの大会のときに,オリバー・カウドリは,編さんされたジョセフ・スミスの啓示の原稿を印刷するために,オハイオからミズーリへ持って行く割り当てを受けた。1831年11月11日,ジョセフ・スミスは教義と聖約69章に記録されている啓示を口述し,ジョン・ホイットマーにミズーリまでオリバーに同行し,教会歴史家および記録者として歴史資料を収集し続けるよう指示を与えた。翌日,オハイオ州ハイラムでの大会で,預言者は教義と聖約70章に記録されている啓示を受けた。その啓示の中で,主は,ジョセフ・スミスへの啓示の出版を監督するために6人の男性を任命された。
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1831年10月29日教義と聖約66章が与えられた。
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1831年11月1-2日オハイオ州ハイラムで開かれた教会の大会で長老たちは,ジョセフ・スミスに対する主の啓示の出版(『戒めの書』)について話し合った。大会の間に,預言者は教義と聖約67-68章を与えられた。
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1831年11月11日教義と聖約69章が与えられた。
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1831年11月12日教義と聖約70章が与えられた。
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1831年11月20日オリバー・カウドリとジョン・ホイットマーは,『戒めの書』の中に印刷される啓示を携えて,ミズーリに向かってオハイオを出発した。
教義と聖約66章:追加の歴史的背景
1831年の夏,元教員で妻を亡くしたばかりのウィリアム・E・マクレランは,ミズーリ州ジャクソン郡でバプテスマを受けて教会員になりました。バプテスマから間もなく彼は長老に聖任され,オハイオ州オレンジにおける教会の大会に出席するまで,ハイラム・スミスとともに福音を宣べ伝えました。大会で,ウィリアムは初めて預言者ジョセフ・スミスと会い,大祭司に聖任されました。
1831年10月29日,オハイオ州ハイラムのジョセフ・スミスの家にいる間に,ウィリアムは「ひそかに主の前に行き,ひざまずいて,預言者を通して5つの疑問に対する答えを明らかにしてくださるよう主に求めました。」(William E. McLellin, The Journals of William E. McLellin, 1831-1836, ed. Jan Shipps and John W. Welch [1994], 248)自分の祈りや疑問について何も言わずに,ウィリアムは,自分の代わりに主に尋ねてくれるようジョセフ・スミスに願いました。預言者が口述した啓示に言及して,ウィリアムは後に次のように書いています。「わたしがこうして主に対して祈ったすべての疑問は……全面的かつ十分に満足のいく形で答えられました。わたしはジョセフが霊感を受けているという証を得るためにこのことを求めました。そしてわたしは今日まで,それがわたしにとって反論することのできない証拠であると考えています。」(The Journals of William E. McLellin, 249)
教義と聖約66章
主は,ウィリアム・E・マクレランを称賛され,福音を宣べ伝え,不義を捨てるように命じられる
教義と聖約66:1-2。「あなたはわたしの永遠の聖約,すなわち,……わたしの完全な福音を受け入れているので,幸いである」
主はウィリアム・E・マクレランに,自分の罪を捨てて,バプテスマを受けることによって「永遠の聖約,すなわち,……完全な福音」(教義と聖約66:2)を受け入れたので幸いであると語られました。ウィリアムが改宗した当時,「完全な福音」という言葉には,イエス・キリストを信じる信仰,悔い改め,水に沈めるバプテスマ,聖霊の賜物,神の戒めに従順であることが含まれていました(教義と聖約39:5-6参照)。しかし,この啓示が与えられた当時は,昇栄に必要な儀式と聖約はまだ明らかにされていませんでした。ふさわしいときに,預言者ジョセフ・スミスを通して,主は,聖なる神殿で執行されるものを含め,神の王国において昇栄を受け継ぐために必要なすべての儀式と聖約を回復されました。
七十人のジョン・M・マドセン長老は,今日,完全な福音と主の永遠の聖約とは,救いに必要なすべての福音の聖約と儀式を指すと次のように教えています。
「主イエス・キリストを知るためには,わたしたち全人類は主を受け入れなければなりません。……
主を受け入れるためには,主の完全な福音と永遠の聖約を受け入れなければなりません。それには人類が神のみもとに帰るために必要なすべての真理や律法,聖約,儀式が含まれます。」(「イエス・キリストにおける永遠の命」『リアホナ』2002年7月号,88)
教義と聖約66:3。「あなたは清いが,完全に清いわけではない」
自分の罪悪を捨てて,バプテスマを通して回復された真理を受け入れたことでウィリアム・E・マクレランを称賛した後,主は,彼は清いが,完全に清いわけではないと宣言されました(教義と聖約66:3参照)。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,ウィリアムは赦しを受けたものの,「明らかにその思いと考えの中に,完全な悔い改めによって自分自身を清くしていない部分を何らかの状態で持ったままでいたのである」と説明しています(Church History and Modern Revelation [1953], 1:245)。主はウィリアムに,主の目にかなわない事柄を悔い改めるよう勧告され,悔い改める必要があることをウィリアムに明らかにすると約束されました。同様に,神の御心を知ろうとするとき,わたしたちが悔い改める必要があることを示すことによって,主はわたしたちが霊的に進歩するのを助けてくださいます。
七十人のラリー・R・ローレンス長老は,主が聖霊を通して,わたしたちの生活の中でどのような変化と改善が必要かを明らかにしてくださる方法を次のように説明しています。
「弟子としての道は決して楽なものではありません。それは『着実な進歩の道』〔ニール・A・マックスウェル「偉大な栄えある贖罪を証する」『リアホナ』2002年4月号,9〕と呼ばれています。わたしたちがその細くて狭い道に沿って歩むときに,御霊は常にわたしたちがより良い者となり,より高く登れるように叱咤激励されます。聖霊は旅の理想の伴侶となってくださいます。わたしたちが謙虚で素直であれば,聖霊は手を取って天の家へと導いてくださるのです。
しかし,わたしたちは度々主に道を尋ねる必要があります。時には『わたしは何を変えればよいでしょうか』『自分はどのように進歩できるでしょうか』『どの弱さを強さに変える必要があるでしょうか』というような難しい質問をしなければなりません。……
聖霊はわたしたちにすべてを一度に改善するようには言われません。もしそうなされば,わたしたちは落胆し諦めてしまうでしょう。御霊はわたしたちのペースに合わせて一歩一歩,主が『教えに教え,訓戒に訓戒を加えて』お教えになるのと同じように,わたしたちに働きかけられます。主は『わたしの訓戒を聴〔く〕者は,……幸いである。わたしは受け入れる者にさらに多く与え〔る〕』と言われました〔2ニーファイ28:30〕。例えば,もっと頻繁に『ありがとう』を言うようにと聖霊に促され,すぐにその促しに従うと,次はもう少し難しいステップ,例えば『すみません。それはわたしの責任です』と言えるように導いてくださいます。
『わたしにまだ欠けているものは何でしょうか』と尋ねる最善の時は,聖餐を取るときです。使徒パウロは聖餐を取るときがわたしたち一人一人にとって自分を吟味するときだと教えています〔1コリント11:28参照〕。この敬虔な雰囲気の中で,わたしたちの思いが天に向くときに,主は次のステップが何かをそっと教えてくださるのです。」(「ほかに何が足りないのでしょう。」『リアホナ』2015年11月号,33-34)
教義と聖約66:4-13。「主なるわたしは,わたしがあなたについて何を望んでいるか……をあなたに示そう」
ウィリアム・E・マクレランは,自分に対する主の御心を知ることを望みました。初期の聖徒の多くと同様に,彼はミズーリ州ジャクソン郡に移ることを心配していました。しかし,ウィリアムをシオンに送るのではなく,主は彼に,東部に向かい,預言者の弟サミュエル・H・スミスとともに福音を宣べ伝えるよう命じられました。主はウィリアムに,彼とともにいることと,病人を癒す力を彼に約束されました。
ウィリアムとサミュエルは,召しを受けてから数週間後にオハイオ州ハイラムを離れ,福音を宣べ伝えながらオハイオ東部の至る所を旅しました。ウィリアムは,自分に対する主の約束の成就として,按手による奇跡的な癒しの例を日記を記録しています(教義と聖約66:9;The Journals of William E. McLellin, 1831–1836, 66参照)。幾らか成功したにもかかわらず,この二人の宣教師は福音を宣べ伝えながら多くの反対も経験しました。冬になると,ウィリアムは病気になり,12月下旬に帰宅することを決めました。そうすることでウィリアムは,「苦難の中で忍耐強くあり」,主が帰るよう求めるまで伝道から「帰ってはならない」という主の指示を無視しました(教義と聖約66:9)。
主はまたウィリアムに,「煩わされないようにしなさい」,そして「すべての不義を捨てなさい」とも勧告されました(教義と聖約66:10)。煩わされるとは,進歩するのを阻む何かによって妨げられる,あるいは意気消沈させられることを意味します。すべての不義を捨てるという次の戒めは,罪がわたしたちの霊的な進歩を邪魔する第一の障害物であることを思い起こさせます。主は,ウィリアムに対して,性的不道徳に用心するよう特に警告されました。これは明らかに彼が苦しんでいた誘惑でした(教義と聖約66:10参照)。主はウィリアムに,主の勧告に従い「最後まで」忠実であり続けるなら,永遠の命の冠を受けると約束されました(教義と聖約66:12)。
ウィリアムはしばらくの間忠実に主に仕え,1835年に十二使徒定員会の会員として奉仕するよう召されました。悲しいことに,ウィリアムは,最後まで忠実であり続けるようにという主の勧告を心に留めず,後に背教し,預言者ジョセフ・スミスに背を向けました。1838年5月に教会から破門されたとき,彼は「祈ることも,戒めを守ることもやめてしまい,欲望に身を任せた」ことを認めました(Joseph Smith, in Manuscript History of the Church, vol. B-1, page 796, josephsmithpapers.org)。
教義と聖約67章:追加の歴史的背景
1831年の秋までに,預言者ジョセフ・スミスは主から60以上の啓示を受けました。啓示を編さんして出版し,教会員の手に入りやすくするための準備が行われました。1831年11月1日から2日に,神権指導者の一団がオハイオ州ハイラムのジョンとアリス(エルサ)・ジョンソンの家で大会を開き,啓示を『戒めの書』という表題の一巻の書物にまとめて出版することについて話し合いました。これらの神権指導者は10,000部を印刷することにしました(後にその数は3,000部に減らされました)。
預言者は,三人の証人と八人の証人がモルモン書の真実性を証したのと同じ方法で,啓示の真実性を宣言する長老たちからの書面による証を『戒めの書』に含めようとしていました。大会のある時点で,ジョセフは長老たちに,「近いうちに世界に送られる必要のあるこれらの戒め〔啓示〕に付け加えたいと思う証は何か」と尋ねました(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, ed. Matthew C. Godfrey and others [2013], 97)。幹部の兄弟たちのうちの何人かは「立ち上がり,〔その啓示〕が主からのものであることを知っていることを世界に向けて証したいと言いました」(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, 97)。しかし,長老たちの中には,そのような霊的な確信を受けていない者もいました。彼らは,その啓示が神からの霊感によって与えられたことを証するのをためらいました。また,長老たちの中には,啓示の中で使われた言葉に関して懸念を表明する者もいました。これらの懸念にこたえて,預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約67章に記録されている啓示を受けました。
教義と聖約67章
主は,預言者ジョセフ・スミスに与えられた啓示の言葉に疑問を抱いた人々に勧告される
教義と聖約67:5-9。「義にかなうものは上から,……父から降って来る」
長老たちの中には,言語や文の組み立ての不完全さのために,預言者ジョセフ・スミスに対する啓示の起源が神にあるのかどうかについての疑いが残っていたようです。ジョセフ・スミスは正式な教育に欠けていましたし,話すことや執筆することに常に雄弁というわけではありませんでした。それにもかかわらず,主は預言者に真理を明らかにし,「〔彼〕の言葉に倣って」(教義と聖約1:24)表現することを許されました。主は,預言者よりも雄弁に表現できると思う人々に,彼らの中から最も賢い者を選任し,その人が最も小さいと考える啓示を選んでもらい,それと「同等のもの」を書くようチャレンジしました(教義と聖約67:6)。元教員であったウィリアム・E・マクレランはこのチャレンジを受けました。
ジョセフ・スミスは,啓示を書くというウィリアムの試みの成果について次のように述べています。「〔ウィリアム・〕E・マクレランは,主の最も小さな〔啓示〕に似せて〔啓示〕を書こうとしましたが,失敗に終わりました。主の御名により物を書くというのは途方もなく大きな責任なのです。長老たちとそこにいてイエス・キリストの言葉をまねるという虚しい人間の試みを目にした人たちは,完全な福音への信仰,および主がわたしを通して教会に与える戒めと啓示に対する証を新たにしました。そして,長老たちはその真理を世の人々に証することに同意しました。」(in Manuscript History of the Church, vol. A-1, page 162, josephsmithpapers.org)
主は長老たちに,啓示は「上から……降って来る」(教義と聖約67:9)と証を述べられました。また,長老たちに,啓示が真実であることを証しなければ,罪の宣告を受けると告げられました(教義と聖約67:8参照)。啓示を書こうとする試みが失敗した後,集まった幹部の兄弟たちは啓示について証を述べる声明に署名しました。1835年に十二使徒定員会の会員たちの名前が記されたこの証は,最近の教義と聖約の序文に含まれています。
教義と聖約の中の啓示の言葉に関するさらなる洞察については,本書の教義と聖約1:24の解説を参照してください。
教義と聖約67:10-14。「あなたがたが完全になるまで忍耐し続けなさい」
古代でも現代でも,神殿の幕は主のみもとからの分離を象徴しています。主は大会に出席していた長老たちに,ねたみと恐れを除き去ってへりくだるなら,主と彼らの間の幕は裂け,彼らは主を見て,主がいることを知るであろうと約束されました(教義と聖約67:10参照)。主は,「生まれながらの〔死すべき〕人」は神の臨在に堪えられないので,神の御霊によって「変えられ〔た〕」,すなわち霊的に活気づけられた人々を除いて,だれも神を見た者はいないと説明されました(教義と聖約67:11-12。モーセ1:11も参照)。主は,長老たちは当時そのような栄光ある祝福を受ける備えができていないと宣言しましたが,「あなたがたが完全になるまで忍耐し続けなさい」と励まされました(教義と聖約67:13)。
大管長会のディーター・F・ウークトドルフ管長は,完全になることにおける忍耐の役割について次のように説明しています。
「忍耐がなければ,神に喜ばれることも,完全になることもできません。実際,忍耐は清めのプロセスであり,理解力を磨き,幸福を深め,行動を絞り込み,希望と平安をもたらします。……
……忍耐とは,積極的に待って堪え忍ぶことです。持ちこたえ,できるすべてを行い,働き,希望を持ち,信仰を働かせることです。望むように事が進まなくても,不屈の精神で苦難に耐えることです。忍耐は単なる我慢ではなく,よく堪え忍ぶことなのです。……
忍耐は神の属性であり,心と霊を癒し,知識と理解の詰まった宝の箱を開き,普通の男性や女性を聖徒や天使に変える力があります。……
忍耐とは完全へ至る過程です。救い主は,あなたがたは堪え忍ぶことによって,自分の魂を勝ち取るであろうと言われました〔ルカ21:19参照〕。ギリシア語原本からの別の翻訳にはこうあります。『あなたがたは堪え忍ぶことによって,自分の魂を完全に支配するであろう』〔ルカ21:19,欽定訳〔英語〕の脚注b参照〕。忍耐とは,最大の成長は与えられるときより待つときにあると確信しながら,信仰をもって踏みとどまることです。」(「忍耐し続ける」『リアホナ』2010年5月号,56-59)
教義と聖約68章:追加の歴史的背景
オハイオ州ハイラムでの教会の大会の間に,オーソン・ハイド,ルーク・S・ジョンソン,ライマン・E・ジョンソン,ウィリアム・E・マクレランは,預言者ジョセフ・スミスに自分たちに関する主の御心を知らせてくれるよう嘆願しました。この4人のうち3人は大祭司の職に聖任されたばかりで,ライマン・E・ジョンソンはその後間もなく聖任されました。ウィリアムは後に,大祭司に聖任されたとき,彼は「その職の義務を理解していなかった」ことを思い出しています(W. E. McLellan [sic], M. D., letter to D. H. Bays, May 24, 1870, in Saints’ Herald, Sept. 15, 1870, 553)。この理解の欠如は,預言者に啓示を嘆願した理由の一つであったかもしれません。その啓示は現在,教義と聖約68章に記録されています。
教義と聖約68章
主は聖文の意味を説明し,福音を宣べ伝えるよう召された人々に勧告し,ビショップの召しについての真理を明らかにし,シオンの聖徒に指示を与えられる
教義と聖約68:1-4「聖霊に感じて」
主はこの節でオーソン・ハイドと「この神権に」聖任されたすべての人々(教義と聖約68:2)に対して教えを与えられました。「この神権」とは恐らく大祭司の職を指していますが,一方でそれは大神権とも呼ばれています。オーソンとそのほか数人はこの職に聖任されたばかりでした。この啓示の当時,大祭司の職は,使徒としても定められた第一および第二の長老の職を除いて,教会の中で最も高い職でした。神権のそのほかの管理の職は後に確立されました。したがって,教義と聖約68:3-4の教えは,恐らく,神権者全般に向けられたものではなく,大神権に聖任された人々,すなわち大祭司の職に聖任された人々に向けられたものと思われます。これらの主の僕たちは,御霊によって福音を宣べ伝える責任を負いました。また主は,「聖霊に感じて」語る言葉は,主の心,主の思い,主の言葉,主の声となり,人々を救いに導く力を持つと宣言されました(教義と聖約68:4)。大管長会のJ・ルーベン・クラーク管長(1871-1961年)は,現在,この責任が,大管長会と十二使徒定員会によってどのように保持されているか次のように教えています。
「長年にわたって,〔教義と聖約68:4〕にはより広い解釈が与えられています。……
ここにかかわる問題を考えるうえで,一部の中央幹部〔使徒〕には特別な召しが与えられていることを覚えておく必要があります。彼らは特別な賜物を持っています。預言者,聖見者,啓示者として支持されており,それによって,人々を教えることに関して特別な霊的な賜物を受けているのです。教会の大管長の全体にわたる力と権能を前提として,彼らは神の御心と御旨を人々に宣言する権利,力および権能を持っています。そのほかの中央幹部はこの特別な霊的な賜物を受けていません。……
……管理大祭司である教会の大管長のみが,教会の預言者,聖見者,啓示者として支持されます。また,新しいものにしろ修正されるものにしろ,大管長だけが,教会に対する啓示を受ける権利,あるいは教会を拘束する聖文の権威ある解釈を与える権利,または教会の既存の教義を何らかの形で変える権利があります。」(“When Are Church Leaders’ Words Entitled to Claim of Scripture?”Church News, July 31, 1954, 9–10)
十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,教義と聖約68:4で教えられた原則が総大会にどのように応用されるのかという例を次のように述べています。「わたしは皆さんに,明日からの日々の中で,これまで聞いてきたメッセージについてだけでなく,総大会という独特な行事そのものについても深く考えるようお願いします。わたしたち末日聖徒が総大会とは何であると思っているか,また総大会に関して何を聞き,何を見るよう世界の人々を招いているか考えてください。わたしたちはすべての国民,部族,国語の民,民族に証します。すなわち,神は生きておられるだけでなく,語られること,また,この時代のために,この時代において,皆さんが聞いてきた勧告は,聖なる御霊の導きの下で与えられた『主の心〔であり〕,主の言葉〔であり〕,主の声〔であり〕,救いを得させる神の力』〔教義と聖約68:4〕であることを証します。」(「国々への旗」『リアホナ』2011年5月号,111)
十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老は,いつ,どのようにして主が預言者を通して御自分の言葉を知らせておられるかを次のように明らかにしています。
「過去や現在の教会指導者が語ったことが必ずしもすべて教義となるわけでは〔ありません〕。教会では一般に,一人の指導者がある特定のときに語ったことは,熟慮されたものではあっても個人的な意見であることが多く,教会の公式な見解あるいは教会全体に対して拘束力を持つ言葉ではないと理解されます。預言者ジョセフ・スミスは『預言者は預言者として行動するときにのみ預言者である』と教えています〔in History of the Church, 5:265〕。〔J・ルーベン〕クラーク管長は……こう述べています。……
『……教会員は,兄弟たちが述べる意見が「聖霊に感じるままに」語られた言葉かどうかを,聖霊の証を通して知るでしょう。そしてやがて,その知識が明らかにされるでしょう』〔J. Reuben Clark Jr., ‘When Are Church Leaders’ Words Entitled to Claim of Scripture?’Church News, July 31, 1954, 10〕。」(「キリストの教義」『リアホナ』2012年5月号,88-89)
教義と聖約68:14-21。ビショップとアロンの子孫の職
教義と聖約68章の啓示が与えられた時点で,エドワード・パートリッジは教会で唯一のビショップとして奉仕していました。しかし,主は,ふさわしいときに「ほかのビショップたち」を召すことを約束されました(教義と聖約68:14参照)。1か月後の1831年12月4日,主は,オハイオのビショップとして働くためにニューエル・K・ホイットニーを召されました(教義と聖約72:1-8参照)。ビショップとして働くよう召された人々は信頼の置ける大祭司で,大管長会によって召され,任命されなければなりませんでした。しかし,主はまた,アロンの直系の子孫の長子が,大神権の会長会(大管長会)によって召され,ふさわしいと認められ,聖任されれば,血統の定めによってこの職に対する権利を有することを明らかにされました。古代では,モーセの兄弟アロンがアロン神権の管理大祭司でした。古代イスラエルでは,アロンの子孫のみが祭司の職に就くことができ,大祭司はアロンの子孫の長子の中から選ばれました。
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,教義と聖約68:15-21のアロンの子孫についての定めは,教会の管理ビショップの職を指していると次のように説明しています。「これはアロン神権を管理する者だけを指しているのであって,ワードのビショップについてはいかなることも言及していません。さらに,そのような者は教会の大管長会により指名され,彼らの手により油を注がれ,聖任を受けます。……そのような子孫が分からない場合は,大管長会により選ばれた大祭司が管理ビショップの職に就くことができます。」(Doctrines of Salvation, comp. Bruce R. McConkie [1956], 3:92–93。教義と聖約107:13-16,69-83も参照)
教義と聖約68:25-28。「シオンにおいて,または……そのいずれかのステークにおいて,子供を持つ両親がいて」
主は,教会の両親は,イエス・キリストの福音の第一の原則と儀式を理解するよう子供たちを教える責任があると教えられました(教義と聖約68:25参照)。両親は,教義を理解するよう子供たちを教えるだけでなく,「主の前をまっすぐに歩む」(教義と聖約68:28)ために福音の教えを守ることも教えなければなりません。これには,子供たちに祈ることと,安息日を聖なる日として保つことと,怠惰を避けるように教えることも含まれます(教義と聖約68:28-31参照)。
中央日曜学校会長会のタッド・R・カリスター兄弟は,子供たちに福音を教えるという親の責任についてのさらなる洞察を次のように与えています。「わたしたちは親として,子供にとって最も重要な福音の教師および模範となるべきです。ビショップや日曜学校の教師,若い女性や若い男性の指導者ではなく,模範となるべきは親です。子供たちの最も重要な福音の教師として,贖罪の力のその真実性,彼らが何者であるか,また自分たちの神聖な行く末について彼らに教えます。そうすることで彼らが将来信仰を築くための堅固な土台を据えることができます。結局,イエス・キリストの福音を教える理想的な場所は家庭なのです。」(「親—子供にとって最も重要な福音の教師」『リアホナ』2014年11月号,32-33)
D・トッド・クリストファーソン長老は,子供たちに福音の真理を教えないことの霊的な危険性について次のように両親に警告しています。
「子供に福音を押し付けたくはないと何人かの親が言うのを聞いたことがあります。子供には何を信じて何に従うかを自分で決めてほしいと言うのです。このようにすることで,子供に選択の自由を使わせていると考えているのです。このような親が忘れているのは,選択の自由を賢く使うためには,真理に関する知識,あるがままの事物の知識が必要だということです(教義と聖約93:24参照)。それがなければ,自分の前に置かれる選択肢を正しく理解し評価するよう若人に期待することはとうていできません。敵対者がどんな手を使って子供に忍び寄るか,親は真剣に考えてみるべきです。サタンとその手下は目に見えるものだけを追い求めるよう仕向けるわけではありません。罪を犯し自分勝手な行動を取るよう,あの手この手で執拗に誘い込むのです。
福音に対して中立の立場を取るということは,実は神とその権能の実在を否定することです。子供がはっきりと人生の選択肢を見極め,自分で考えられるよう望むのであれば,神が確かにいて何でもおできになることをわたしたちがしっかりと認識しなければなりません。」(「道徳面での鍛錬」『リアホナ』2009年11月号,107)
教義と聖約68:25「罪はその両親の頭にある」
教義と聖約68:25では,「罪」という言葉が複数形(sins)ではなく,単数形(sin)で用いられていることを覚えておくことが重要です。それは,子供が犯す可能性のある様々な罪を指すのではなく,子供たちに王国の教義を教えないという親の罪を指しています。この節を誤解すると,両親が子供の罪に対する責任を誤って感じる原因となりかねません。その結果,正しい原則を熱心に教えたにもかかわらず,子供の愚かな選択のために自分自身を責めている両親もいます。
ハワード・W・ハンター大管長(1907-1995年)は,不従順な子供のために親として失敗したと感じるかもしれない人々に対して次のような慰めの勧告を与えています。
「立派な親とは,子供を愛し,犠牲を払い,世話をし,教え,子供の必要を満たす人のことです。もしこれらのことをすべて行っても,子供が不従順で世のものを追い求め,手に負えないようであっても,皆さんは立派な親であると言えます。……
……迷い出た子供について希望を失ってはなりません。完全に失われたと思われた多くの人々が,帰って来ました。わたしたちはよく祈る必要があります。そして,できるのであれば,子供たちに愛と関心を伝えるのです。……
サタンに欺かれて,すべては失われたと思い込んではなりません。わたしたちが行った正しいことや良いことに誇りを持ちましょう。悪いことは生活の中から捨て去りましょう。そして,主に赦しと力と慰めを求めて,前進しましょう。」(『歴代大管長の教え-ハワード・W・ハンター』206-207)
教義と聖約69章:追加の歴史的背景
1831年10月下旬または11月上旬,オリバー・カウドリは,預言者ジョセフ・スミスが受けた啓示の原稿をミズーリ州インディペンデンスに持って行くよう割り当てられました。この啓示は,そこにあるウィリアム・W・フェルプスの印刷所で印刷されることになっていました。オリバーはまた,シオンを確立するために寄付された金銭もともに持って行くように任命されました。原稿と金銭を守るために,旅の同伴者が同行する必要があると判断されました。1831年11月11日,主は教義と聖約69章に記録されている啓示を与えられました。その中で主は,ミズーリまでオリバー・カウドリに同行するようジョン・ホイットマーを任命されました。この啓示が与えられた当時,ジョン・ホイットマーは教会歴史家および記録者として奉仕していました(教義と聖約47:1-3参照)。
教義と聖約69章
主は,ジョン・ホイットマーにミズーリまでオリバー・カウドリに同行し,教会歴史家としての義務を続けるよう命じられる
教義と聖約69:3-8「すべての重要な事柄の歴史を……書いて作成する」
1831年3月,ジョン・ホイットマーは,教会の「正式な歴史を……残す」ことと,記録をつけることによって預言者ジョセフ・スミスを助けるために主によって召されました(教義と聖約47:1)。この召しは,「あなたがたの間で記録を記さなければならない」(教義と聖約21:1)という主の以前の勧告と一致していました。主は,聖徒の中で起こった「すべての重要な事柄」を集めて記録することによって,教会の歴史を文書化する責任についてジョン・ホイットマーに繰り返し述べられました(教義と聖約69:3)。そのような歴史を記録する目的は,「教会のためになる,また……後の世代のためになる」(教義と聖約69:8)ことです。
教義と聖約70章:追加の歴史的背景
預言者ジョセフ・スミスは,1831年11月12日にオハイオ州ハイラムで開かれた大会のさなかまたは直後に,教義と聖約70章に記録された啓示を口述しました。これは,11月1日から12日まで開かれた4回の特別大会の最後の集会のときでした。この2週間に,ジョセフ・スミスとそのほかの人々は,預言者が受けた啓示を見直し,それらの出版の準備をするために多くの時間を費やしました。この最後の集会で,その場にいた人々は,啓示が「教会にとって全地の富に相当する価値がある」と宣言する決議を承認しました(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, 138)。また,この大会で,預言者は,主から与えられた神聖な文書を世に出すために,最初から彼とともに働いてきた少数の幹部の兄弟たちによってなされた貢献について述べました。その大会では,啓示の出版と準備とに時間をささげていた人々の家族のために,その出版物の販売から得る報酬を提供するという提案が通りました。
長老たちは,ジョセフ・スミス・ジュニア,オリバー・カウドリ,ジョン・ホイットマー,シドニー・リグドンを「教会の律法〔および〕主の戒めに従って〔啓示を〕管理するよう任命」しました(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, 138)。後の歴史記録には,預言者はある求めに応じて教義と聖約70章に記録された啓示を受けたと記しています。この啓示で,主は,啓示の出版を監督する人々を任命する決定をお認めになりました。
教義と聖約70章
主は,御自分の啓示についての管理人として奉仕する6人の男性を任命される
教義と聖約70:3-8「数々の啓示と戒めについての管理人」
教義と聖約70章に記録されている啓示で,主は,啓示についての管理人として奉仕するよう以前に任命した4人の男性に加え,マーティン・ハリスとウィリアム・W・フェルプスを召されました。これらの管理人は,啓示を出版するという責任だけでなく,『戒めの書』の販売から生じる収入を管理する責任もありました。主は,その利益を使って家族を整え,残余をシオンの民の利益となるよう主の倉に奉献するよう命じられました。主は,奉献の律法の原則に従ってこの共同の管理の職を組織されました。
1832年3月,教会の「書籍出版会社と商店」を組織するよう預言者ジョセフ・スミス,シドニー・リグドン,ニューエル・K・ホイットニーに啓示によって指示が与えられました(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 2: July 1831–January 1833, 198; spelling standardized)。その結果,啓示についての管理人たちは,教会のビショップや責任者となる人たちとともに,the United Firm(「共同商会」)と呼ばれることになる倉の任務に当たりました(教義と聖約78章および82章の前書き参照)。教会の印刷活動を監督するために任命された6人の男性は,the Literary Firm(「書籍出版会社」)と呼ばれる共同商会の支社を作りました。『戒めの書』に加えて,「書籍出版会社」のそのほかの出版プロジェクトには,教会の賛美歌集,児童文学,ジョセフ・スミス訳聖書,教会の新聞がありました。