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第30章:教義と聖約81-83章


「第30章:教義と聖約81-83章」『教義と聖約 生徒用資料』

「第30章」『教義と聖約 生徒用資料』

第30章 

教義と聖約81-83章

紹介とタイムライン

1832年3月8日,預言者ジョセフ・スミスはジェシー・ガウスとシドニー・リグドンを大神権の大管長会の顧問として奉仕するよう召した。1832年3月15日,預言者は教義と聖約81章に記録されている啓示を受けた。その啓示の中で,主は,ガウスの責任はジョセフ・スミスの顧問であることを明らかにされた。しかし,ジェシー・ガウスは忠実であり続けなかったため,主は後に,現在教義と聖約81章にその名が出ているフレデリック・G・ウィリアムズを,ガウス兄弟の後任として大管長会に召された。

1832年4月,ジョセフ・スミスとそのほかの人々はミズーリ州インディペンデンスに向かった。これはシオンを築き上げ,貧しい者の世話をする組織を確立せよという主の命令に従うものであった(教義と聖約78章参照)。インディペンデンスにいる間に,預言者は二つの啓示を受けた。4月26日,インディペンデンスにおける教会の大祭司と長老の評議会の間に,預言者は教義と聖約82章に記録されている啓示を受けた。その啓示の中で,主は罪を犯した兄弟たちを赦し,これ以上罪を犯さないように忠告された。主はまた共同商会の会員に,シオンにおけるこの世的な諸事を管理するために,この聖約によって結束するよう指示された。4日後,ジョセフ・スミスは教義と聖約83章に記録されている啓示を受けた。この啓示の中で,主は,やもめと孤児,貧しい者を世話することについて指示を与えられた。

1832年1月25日ジョセフ・スミスはオハイオ州アマーストにおいて,大神権の大管長として聖任された。

1832年3月8日ジョセフ・スミスはシドニー・リグドンとジェシー・ガウスを大神権の大管長会における顧問に指名した。

1832年3月15日教義と聖約81章が与えられた。

1832年3月24-25日ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンはオハイオ州ハイラムにおいて,夜間に暴徒によって捕らえられ,激しく打たれた。

1832年3月29日ジョセフ・スミスとエマ・スミスの養子であるジョセフ・マードック・スミスが亡くなった。

1832年4月1-24日ジョセフ・スミスとほかの指導者たちはミズーリ州インディペンデンスまで旅をした。

1832年4月26日教義と聖約82章が与えられた。

1832年4月30日教義と聖約83章が与えられた。

1832年5-6月ジョセフ・スミスはニューエル・K・ホイットニーとともにインディアナ州グリーンビル に数週間滞在した。ニューエルはオハイオに帰る途中,逃亡用の馬車から飛び降りたときに足と脚を骨折した。

教義と聖約81章:追加の歴史的背景

1832年1月25日,オハイオ州アマーストにおいて開かれた教会の大会において,預言者ジョセフ・スミスはシドニー・リグドンによって大神権の大管長に聖任されました。1832年3月8日,預言者はシドニー・リグドンとジェシー・ガウスを大神権の大管長会における顧問として選びました。1832年3月15日に与えられた啓示の中で,ジェシー・ガウスの召しが確認され,ジェシー・ガウスに顧問の責務に関する指示が与えられました。徐々に,この大神権の大管長会は大管長会として知られるようになり始めました。この啓示は「大管長会の正式な組織への一歩と見なされるべきもの」です(教義と聖約81章,前書き)。

ジェシー・ガウスは,恐らく1831年後半か1832年前半にバプテスマを受けたと思われます。ジェシー・ガウスは1832年3月,大神権の大管長会の顧問に指名された後,預言者ジョセフ・スミスが新約聖書の霊感訳を続けているときに,しばらくの間,筆記者としてジョセフを助けていたようです。1832年4月,彼はまた,ジョセフ・スミスとほかの教会指導者とともにミズーリ州インディペンデンスまで旅をしました。1832年8月以降,ジェシー・ガウスについては,忠実であり続けなかったため1832年12月3日に破門されたこと以外,ほとんど知られていません。

1833年1月,ジェシー・ガウスが破門されてから数週間後,主は彼の代わりとしてフレデリック・G・ウィリアムズを顧問に召されました。フレデリック・G・ウィリアムズは,1830年10月に,ニューヨークからオハイオ州カートランドに行く途中の宣教師から話を聞いて教会員になりました。フレデリック・G・ウィリアムズは,オリバー・カウドリとほかの宣教師たちが引き続きミズーリに向かい,「レーマン人に近い境の地」にて福音を宣べ伝える際に,自ら志願して同行しました(教義と聖約28:9)。彼は何か月もの後,カートランドに戻り,1831年10月25日に大祭司に聖任されました。彼は後にジョセフ・スミスの書記と筆記者になりました。ジェシー・ガウスの代わりとして,大神権の大管長会における顧問に召されてしばらくたった後,フレデリック・G・ウィリアムズの名前は,ジェシー・ガウスの名前から置き換えられて,この啓示の原稿に書き入れられました。1835年版の教義と聖約としてこの啓示が出版されたとき,フレデリック・G・ウィリアムズに対してのみ言及されていますが,このことは顧問の義務に関する指示がジェシー・ガウスだけでなく,ほかの人たちにも適用できることを示しています。

〔「地図5:アメリカ合衆国のニューヨーク,ペンシルベニア,オハイオ地域」の画像〕

教義と聖約81章

主,大神権の大管長会における顧問の役割について概要を示される

教義と聖約81:1-2。大神権の大管長会

聖徒たちがオハイオに集合し始めてすぐの1831年6月3日から6日にかけて,すでに長老として聖任された人たちに向けた特別な大会が開催されました。この大会において,最初の大祭司たちが聖任されました。しばらくの間,初期の教会員は,大祭司の職のことを大神権と呼んでいました。時を経て,大神権という言葉が用いられるときは,メルキゼデク神権を意味すると理解されるようになりました。1902年,大管長会は聖句を引用し,「教会の大神権の大管長」は「教会の大神権を管理する管理大祭司」のことであると述べました(教義と聖約107:65-66)。それから次のように宣言しました。「『大神権』という言い方は,しばしば用いられていたように,下位の神権であるアロン神権と区別して,メルキゼデク神権を表していることを覚えておいてください。」(“The Priesthood and Its Offices,” Improvement Era, May 1902, 551

主は以前にジョセフ・スミスのことを「使徒」,教会の「第一の長老」「聖見者」「翻訳者」「預言者」と呼ばれました(教義と聖約20:221:1参照)。1832年1月25日,ジョセフ・スミスが大神権の大管長に聖任されたことによって,ジョセフの教会におけるメルキゼデク神権の管理の役割がさらに明確になりました。最初はジェシー・ガウスに与えられ,後にフレデリック・G・ウィリアムズに責任を与えた啓示の中で,主は,「王国の鍵」は「大神権の大管長会に常に属する」と述べ (教義と聖約81:2),教会の大管長とその顧問の神聖かつ特別な役割をさらに明確にされました(教義と聖約107:91-92も参照)。1834年2月初め,主はこれらの指導者を「大管長会」と言われました(教義と聖約102:26-27,33教義と聖約112:20, 30117:13120:1124:125-126も参照)。 教義と聖約68:15,22-23の中で用いられている「大管長会」という言い方は,後に最初の啓示にも付け加えられました(霊感を通して啓示に追加または変更を加える預言者の権能については,本書の教義と聖約42章の追加の歴史的背景にある解説を参照)。

フレデリック・G・ウィリアムズ

フレデリック・G・ウィリアムズは,ジェシー・ガウスが大管長会の顧問としての責任を果たすことができなくなった後,その代わりとして大管長会顧問に召されました(教義と聖約81:1参照)。

教義と聖約81:1。「わたしの僕ジョセフ……の顧問」

預言者ジョセフ・スミスは,大神権の大管長会に二人の顧問を指名しました。教会の大管長が一人またはそれ以上の顧問を追加で召すことはありましたが,今日でもこの方式に従っています。大管長会は教会の大管長とその二人の顧問から構成され,教会の会員を管理します(教義と聖約107:22参照)。ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,顧問の役割について次のように説明しています。

「顧問は長ではありません。ある場合には,長の職にある人に代わって責任を果たすことがあるかもしれませんが,あくまでそれは権限の委任にほかなりません。……

顧問は長の職にある人の補佐役を務めます。どのような組織であれ,長の職にある人の責任は重く,大変なものです。……

顧問は補佐役であって,組織の長ではありません。組織の長の責任を引き受けて,長の職を務める人の前に出るようなことがあってはなりません。

会長会の集会では,顧問を務めるいずれの人もすべての議題について自由に自分の意見を発表することができます。しかし,決定を下すのは長の職を務める人だけが持つ権利です。顧問を務める人はその決定を支持する義務があります。したがって長の職を務める人の決定は,それ以前にどのような意見の相違があろうと,会長会の決定になります。……

預言者,聖見者,啓示者である教会の大管長には,教会の進む方向を決め指導する権利と責任がありますが,その大管長でさえ顧問たちの考えを知るために常に……相談します。全員の一致が得られないまま,実行に移されることはありません。二人の顧問は長としての立場にある人とともに働くことによって,抑制し均衡を保つというすばらしい働きをしているのです。顧問は,極力過ちを犯さないようにするための安全弁の役割を果たし,強力な指導力となります。」(「助言が多ければ安全である」『聖徒の道』1991年1月号,55-56参照)

教義と聖約81:2。「王国の鍵」

教義と聖約81:2で述べられている「王国の鍵」とは,教会を導き,神権の行使を管理する権能のことを表します。王国の鍵についてさらに深く理解するには,本書の教義と聖約65:2の解説を参照してください。

〔「大管長会,2008年」の画像〕

大管長会の会員は神の王国の鍵を保持している(教義と聖約81:2参照)。

教義と聖約81:3-7。「弱い者を助け,垂れている手を上げ,弱くなったひざを強めなさい」

主はジェシー・ガウスに,そして後にフレデリック・G・ウィリアムズに,もし「わたしがあなたを選任した職においてあなたが忠実に助言」するなら「不死不滅と永遠の命の冠を受けるであろう」と約束されました(教義と聖約81:3,6)。この約束を受ける資格を得るためには,ほかの人々の必要を満たす必要があります。主はこう言われました。「弱い者を助け,垂れている手を上げ,弱くなったひざを強めなさい。」(教義と聖約81:5)これは肉体的および霊的な強さを失った人を助け,慰めを与えるということです。十二使徒定員会のマービン・J・アシュトン長老(1915-1994年)は次のように述べています。

「英文の標準聖典には4か所に,わたしがいつも思い返している言葉があります。それは『feeble knees(かよわきひざ)』という表現です〔訳注—教義と聖約の現在の翻訳では『弱くなったひざ』となっている〕。

辞書の定義によるとかよわい(feeble )とは『弱い,強くない,力がない,たやすく折れる,もろい』という意味があります。

主はフレデリック・G・ウィリアムズをジョセフ・スミスの顧問に召されたとき,次のような責任を与えられました。『それゆえ,忠実でありなさい。わたしがあなたを任命した職において務めなさい。弱い者を助け,垂れている手を上げ,弱くなったひざを強めなさい。』 (教義と聖約81:5

強めるという言葉とともに,これらの言葉の持つ意味を深く考えてみました。

以前からわたしは『かよわきひざ』とは弱いとか,疲れ切っているという意味だと思っていました。しかし,イザヤ書(イザヤ35:3-4参照)に使われている文脈から見ると,恐れるとでもいうような,もっと深い意味で使われているようです。……

教義と聖約81章5節の聖句は,主がフレデリック・G・ウィリアムズに,弱い者に力を与え(『弱い者を助け』),疲れ果て落胆している者に励ましを与え(『垂れている手を上げ』),さらに弱くなったひざ,すなわち恐れおののく者に力と勇気を与えるように,諭されているとも解釈できるでしょう。」(「かよわきひざを強うすべし」『聖徒の道』1992年1月号,78参照)

教義と聖約82章:追加の歴史的背景

1832年,教会には会員数が伸びている中心地が二つありました。一つはオハイオ州カートランド,もう一つはミズーリ州ジャクソン郡でした。困っている聖徒を助け,シオン(ジャクソン郡)の土地を購入し,啓示を出版する資金を生み出すために,それぞれの地に倉が建てられました(教義と聖約57:8-1072:8-10参照)。1831年11月,主は教会の指導者たちを「啓示と戒めについての管理人」となり(教義と聖約70:3),出版を監督するように任命されました。後に,主は教会の著作物と商取引を管理するために「商会」を組織するように命じられました(教義と聖約78章および教義と聖約82章の前書き〔英語〕参照)。

教義と聖約78章に記録されているように,ジョセフ・スミス,ニューエル・K・ホイットニー,シドニー・リグドンはミズーリ州インディペンデンスに行き,そこで教会の指導者たちと評議するよう命じられました。しかし,出発前の1832年3月24日から25日の夜中に,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンはオハイオ州ハイラムにある自宅から手荒に連れ去られ,ひどく打たれました。元教会員を含む地域住民の暴徒たちは,ジョセフに恥辱を与えるために,その体にタールを塗り,羽を付けました。数日後,恐らく暴徒が家に押し入ったときに冷たい風にさらされたこともあって,ジョセフ・スミスとエマ・スミスの養子である生後10か月のジョセフ・マードック・スミスが亡くなりました。

ミズーリ州の教会指導者と評議会を開くようにとの主の戒めに従うために,1832年4月1日,預言者とほかの指導者はハイラムを出発して,ミズーリ州インディペンデンスまで約900マイル(約1,450キロメートル)の旅をして,1832年4月24日に到着しました。オハイオの教会指導者とミズーリの指導者が1832年4月26日に評議会を開いていたときに,預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約82章に記録されている啓示を口述しました。この啓示は戒めの書の中には入れられませんでしたが,1835年版の教義と聖約には仮名,すなわち名前を変えて収録されました。仮名の使用についての詳しい情報は,本書の教義と聖約78章の追加の歴史的背景の解説を参照してください。

〔「地図8:アメリカ合衆国ミズーリ,イリノイ,アイオワ地域」の画像〕

教義と聖約82:1-7

主,主から多く与えられた人々に対して警告される

教義と聖約82:1-7。「あなたがたが互いに過ちを赦し合ったので」

オハイオのシドニー・リグドンとミズーリのエドワード・パートリッジビショップとの間に,数か月間,感情のわだかまりがありました。ミズーリ州インディペンデンスに教会指導者が到着してから間もなく,1832年4月26日に,教会の大祭司による評議会が開かれ,シドニー・リグドンとエドワード・パートリッジは不和を解消しました。教義と聖約82章に記録されているその日に受けた啓示の中で,主は彼らを赦すと言われましたが(教義と聖約82:1参照),「罪を犯す者には以前の罪が戻るであろう」と警告もされました(教義と聖約82:7)。大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長(1920-2007年)は,次のように勧告を与えています。

「まず怒りの感情があることを知り,そして認める必要があります。それには謙虚さが求められます。しかし,ひざまずき,赦したいと思えるように願い求めるならば,天の御父は助けてくださいます。主はわたしたち自身の益のために,『すべての人を赦す』よう求めておられます〔教義と聖約64:10〕。なぜなら『憎しみは霊的成長を妨げる』からです〔Orson F. Whitney, Gospel Themes (1914), 144〕。……わたしたちも,憎しみや苦々しい思いを捨て去るときに初めて,主によって心の安らぎを得ることができるのです。……

赦されるためには赦す必要があるということを忘れないようにしましょう。……わたしは,『すべての人を赦』しなさい〔教義と聖約64:10〕という救い主の勧告に従うときにもたらされる癒しの力を,全身全霊を込めて信じています。」(「赦しのもたらす癒しの力」『リアホナ』2007年5月号,69) 

十二使徒定員会のリチャード・G・スコット長老(1928-2015年)は,人を赦すことについて次のように説明しています。

「皆さんの中には,ひどい仕打ちを受けたことで心が傷つけられ,苦しみを負っている人がいることでしょう。その行為の反動で理性がゆがめられ,苦しみから解放されるには,相手が赦しを請いに来るまで待ち続けて当然だと感じているかもしれません。救い主は,そのような思いが間違っていることをお教えになりました。救い主はこう命じられました。

『それゆえ,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは互いに赦し合うべきである。自分の兄弟の過ちを赦さない者は,主の前に罪があるとされ,彼の中にもっと大きな罪が残るからである。

主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる〔教義と聖約64:9-10マルコ 11:25-26ルカ6:37モーサヤ26:29-323 ニーファイ13:14-15も参照〕。』

傷つけられたことを,これ以上重荷にしないでください。自分は間違ったことを一切していないように感じていても,加害者に心から赦しを求めてください。その努力によって確実に平安が与えられ,深刻な誤解は解かれ始めるでしょう。」(「重荷から解放される」『リアホナ』2002年11月号,88) 

教義と聖約82:3。「多く求められ〔る〕」

主はミズーリ州インディペンデンスの大会において,教会の指導者たちは神の計画をさらに理解できるように祝福されているので,その知識に責任を持たなければならないことを強調されました(教義と聖約82:3参照。ヤコブの手紙4:17アルマ9:23も参照)。十二使徒定員会のニール・L・アンダーセン長老は次のように説明しています。「末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちは聖書だけでなくモルモン書からも主が実際におられるという証を得ており,主の神権が地上に回復されたことを知っています。主に従うという神聖な聖約を交わし,聖霊の賜物が授けられています。また,主の聖なる神殿で力が授けられ,主が地上に戻って来られる輝かしい再臨の準備に参加しています。こうした真理をまだ受けていない人々と,わたしたちのあるべき姿を比較することはできません。『多く与えられる者からは多く求められ』るのです〔教義と聖約82:3〕。」(「決して主を離れず」『リアホナ』2010年11月号,41)

教義と聖約82:8-24

主は9人の男性に,教会のこの世的な諸事を管理するための商会を設立するよう命じられる

教義と聖約82:8-12,15-24。共同商会が組織され,指示が与えられる

預言者ジョセフ・スミスとほかの教会指導者はミズーリ州インディペンデンスまで旅をしました。これは「シオンにいる聖徒たちとともに評議会の席に着きなさい」という主の命令に従うものでした(教義と聖約78:9)。教会の商取引と出版業務を監督し,組織化するために,指導者たちは「商会」すなわち「制度」を作るために集会を開きました。共同商会に参加するように招かれた教会員には,オハイオ州カートランドに住むジョセフ・スミス,シドニー・リグドン,ニューエル・K・ホイットニー,マーティン・ハリス,ミズーリ州ジャクソン郡に住むエドワード・パートリッジ,シドニー・ギルバード,ジョン・ホイットマー,オリバー・カウドリ,ウィリアム・W・フェルプスが含まれています(教義と聖約78:9教義と聖約82:11参照)。1833年に,啓示によってフレデリック・G・ウィリアムズとジョン・ジョンソンの二人が商会に新たに加わりました (教義と聖約92:1-296:6-9参照)。商会の目的は,貧しい人を助けるための物資と金銭を得るための倉の管理することと,シオンを建設するために土地を購入し,主が預言者に与えられた啓示を出版する資金を生み出すことでした。商会の一つの部門はインディペンデンスで運営され,「ギルバート,ホイットニー社」と呼ばれ,カートランドで運営されるもう一つの部門は「ニューエル・K・ホイットニー社」と呼ばれることになりました(see “Minutes, 26–27 April 1832,” page 25, josephsmithpapers.org)。

商会すなわち制度の会員は,聖約によって一つになるよう命じられました。商会の会員は,教会の事業収益の一部に対する管理人の職が授けられました。また,管理人の職を務めるために,商会の資金を活用することができました。商取引の運営が成功すれば教会の倉に保管できる余剰が生み出されました。

今日,末日聖徒イエス・キリスト教会は,教会が運営する事業から資金を生み出す原則に引き続き従っています。これらの事業から得た収入は,さらに教会の益となるように,また,教会が世界中の困っている人を助けることに使われています。ゴードン・B・ヒンクレー大管長 は,教会が運営する事業の大切さについて次のように述べています。

「多くはありませんが,わたしたちは事業を経営しています。それらのほとんどは,教会のきわめて初期の時代に始められたものです。この隔絶された地域で人々の必要を満たすことを目的として〔銀行,病院,製造などの〕事業を始めるうえで,その資金を提供できる組織が教会以外になかったからです。必要性がなくなったと判断して分離売却して久しい事業も一部にあります。……

事業の幾つかは教会の必要を直接的に満たしています。例えば,わたしたちの仕事は意思を伝達することです。全世界の人々と話をしなければなりません。地元の人々にわたしたちの見解を知らせ,外国の人々にわたしたちの働きを知ってもらうには話をしなければなりません。そのため,デゼレトニュース新聞社を所有しています。ユタで最古の事業体です。

同様の理由から,わたしたちはテレビとラジオの放送局を所有しています。これらの放送局は地域社会にわたしたちの『声』となって情報を提供しています。……

わたしたちは不動産会社を所有しています。テンプルスクウェア周辺地域の維持と美化を保護することをおもな事業内容としています。多くの都市の中心部は甚だしく退廃しています。ソルトレーク・シティーをそのような状態にしたくないのです。……テンプルスクウェアと東に隣接するブロックに広がる美しい土地に,世界の同様な庭園に勝るとも劣らない庭園を維持しています。……

これらの事業は利益を追求しているのでしょうか。もちろんそうです。競争の世界の中で運営されています。税金も納めています。これらの事業はこの地域社会で重要な役割を果たしています。事業が生み出す利益は,この地域社会とそのほかの地域で慈善のほか価値ある目的のために,とりわけ,大規模に展開されている教会の人道的救援活動を実行するために末日聖徒イエス・キリスト教会財団により使用されています。

これらの事業は所得の10分の1を財団に寄付しています。財団は財団自体のためにあるいは教会のほかの組織のために資金を使うことができません。それ以外のほかの価値ある目的のために使われています。惜しみない支援が実施されています。数百万ドルの資金が拠出され,大勢の人々に食料が供給され,医薬品が届けられています。大災害や悲惨な状況で苦しんでいる人々のために衣類や住居が提供されています。教会の事業からの資金で運営されるこの偉大な財団が実施している慈善行為にわたしは心から感謝しています。」(「わたしたちはある種の事柄についてなぜそうしているか」『リアホナ』2000年1月号,67-68)

教義と聖約82:10。「あなたがたがわたしの言うことを行うとき,主なるわたしはそれに対して義務を負う」

主は共同商会の会員が,交わした盟約または聖約に従順に生活しなければならない理由を理解できるように彼らを備えられました。もし会員が主の戒めに従うなら,永遠の祝福が授けられるということを明確に約束されました。教義と聖約82:10に記録されている約束は,わたしたちにも当てはまります。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は次のように教えています。

「主がわたしたちを導くために与えられた戒めを守らなければ,主の祝福を求める権利はありません。……

戒めを守ってください。光の中を歩んでください。最後まで堪え忍んでください。すべての聖約と義務に忠実であってください。そうすれば,主はあなたが夢見ている最も好ましいものよりはるかに勝る祝福を与えられるでしょう。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・フィールディング・スミス』214219参照)

教義と聖約82:13-14。「シオンは美しさと聖さを増し,……そのステークは強くされなければならない」

聖徒たちは,ミズーリ州ジャクソン郡地域が「約束の地であり,シオンの町のための場所」であって,インディペンデンスの町がシオンの「中心の場所」になると主が指定されたことを知っていました(教義と聖約57:2-3)。旧約聖書の預言者イザヤは末日のシオンを見ました。そして,シオンを天幕すなわちテントにたとえ,それは「移されること〔がなく〕……その杭はとこしえに抜かれ〔ない〕」と言っています(イザヤ33:20)。天幕を広くするたとえを使って,イザヤは末の日におけるシオンの成長について次のように預言しました。「あなたの天幕の場所を広くし,あなたのすまいの幕を張りひろげ,惜しむことなく,あなたの綱を長くし,あなたの杭を強固にせよ。」(イザヤ54:2

主はオハイオ州カートランドの土地をシオンの最初のステークとして聖別されました(教義と聖約82:13参照)。後に,高等評議会が1834年2月18日にカートランドにおいて組織され,預言者ジョセフ・スミス,シドニー・リグドン,フレデリック・G・ウィリアムズによって管理されました。

「シオンは美しさと聖さを増し,その境は広げられ,そのステークは強くされなければならない」と主は言われました(教義と聖約82:14)。ハロルド・B・リー大管長 (1899-1973年)は次のように説明しています。「主の民が,神の目から見て十分受け入れられるに値する者となって生活するための規則は,〔教義と聖約82:14〕の中に示されています。この民は,世の人々の前にその美を増し,内面的な麗しさを堅持しなければなりません。世の人々は,その麗しさが神聖さに反映し,その神聖さから生ずる固有の性質に反映するものであることを知るでしょう。義人と心の清い者が住むシオンは,今その境を広げ始めなければなりません。シオンのステークは強められなければなりません。これはみな,シオンが全世界の人々に救いの計画を推し進めるに当たって,ますます勤勉になることによって輝きを増し,立つためです。」(「シオンのステーキ部を堅くせよ」 『聖徒の道』 1973年10月号, 465-466参照)

教義と聖約82:22。「不義の富」

という言葉はアラム語から来ており,「この世の富」または「財産」という意味です。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように説明しています。「『不義の富を持つ者と友になりなさい』という主の命令は〔教義と聖約82:22ルカ16:9も参照〕,正しく理解しないとひどい言葉のように思われる。『不義の富』と友になるというのは,兄弟たちが,不義を行う人々とともに罪を犯したりするという意味では決してない。……それは,敵対する人々とも平和に過ごすように心がけるということである。正義と徳の原則に照らして,できるかぎり彼らに親切にし,友好的に接するのである。……もし偏見をなくして彼らと交易し,親切な心を示すなら,彼らが苦しみから逃れるのを助けることになるであろう。裁きは主に委ねるべきである。」(Church History and Modern Revelation [1953], 1:323

教義と聖約83章:追加の歴史的背景

大半の教会員が小さな開拓地,インディペンデンスの約12マイル(約19キロメートル)西のカー・タウンシップに住みましたが,ミズーリ州ジャクソン郡に移住した聖徒たちの中には,インディペンデンスとその近くに住む人々もいました。4月26日から27日に開かれたインディペンデンスでの教会指導者たちの集会の後,預言者ジョセフ・スミスは,ニューヨーク州コールズビルから移り住んだ人々を含む,カー・タウンシップに住む聖徒たちを訪れました。預言者は後にその訪問について次のように記録しています。「〔1832年4月〕28日と29日にインディペンデンスから12マイル(約19キロメートル)離れたカー・タウンシップの兄弟たちを訪れ,同じ信仰と同じバプテスマにより一つに結ばれ,同じ主によって助けられている兄弟姉妹からしか受けられない歓迎を受けた。コールズビル支部では,パウロが古代の聖徒たちから受けたような特に大きな歓迎を受けた。神の民とともに喜ぶことは良いことだ。30日,インディペンデンスに戻り,再び兄弟たちと評議会の席に着いた。」(in Manuscript History of the Church, vol. A-1, page 213, josephsmithpapers.org

4月30日のミズーリ州インディペンデンスにおける集会で,預言者は教義と聖約83章に記録されている啓示を受けました。そのとき,ミズーリ州の教会員の中には,奉献の原則に従って生活している人もいました。ジョセフが訪れている間,教会に自分の持ち物を奉献していた夫が死亡した女性の財産権に関して質問が起きる可能性がありました。

教義と聖約83章

主,やもめと孤児の世話をする方法を明らかにされる

教義と聖約83章。やもめと孤児

教義と聖約83章に記録されている啓示は,預言者ジョセフ・スミスがミズーリ州カー・タウンシップに移住した聖徒たちを訪れた後に与えられました。カー・タウンシップの聖徒たちの中には,奉献の原則に従って生活することを聖約した人々もいました。啓示は,やもめと孤児を世話することに関しての質問に対する答えでもあったようです(教義と聖約83:1,5-6参照)。教会指導者たちは今日も女性と子供たちの物質的な福祉について関心を表し続けています。ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,次のように説明しています。

「教会の女性の中には,離婚や死によって夫を亡くした人や扶養義務を果たさない夫を持つ人がいます。その方々に対してわたしたちは大きな責任があります。……

わたしは,この女性のような状況にあるすべての女性が,……助けの手を差し伸べてくれるビショップ,また,どのように援助したらよいかをよくわきまえている扶助協会会長,自分の義務を理解し,実行するホームティーチャー,でしゃばることなく,助けを与えてくれる多くのワード会員に恵まれるように望んでいます。」(「教会の女性」『聖徒の道』1997年1月号,77-78参照)

啓示の中で主は,親が子供たちを扶養する責任についても強調しておられます(教義と聖約83:4参照)。ハワード・W・ハンター大管長 (1907-1995年)は特に夫や父親に向けて次のように話しています。「神権を持つ皆さんは,身体的に支障がないかぎり,妻子を扶養する責任があります。この責務を,妻はもちろん,ほかのだれかに肩代わりしてもらうことはできません。女性と子供には,夫であり父親である者に扶養を要求する権利がある,と主は言われました(教義と聖約83章1テモテ5:8)。」(「義にかなう夫,父親」『聖徒の道』1995年1月号,59)

〔「ビショップの倉で奉仕する姉妹宣教師」の画像〕

夫と父親には家族を養う義務がある。それが不可能な場合,貧しい人は主の倉に求める権利がある(教義と聖約83章 参照)。

スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は,自立について次のような指示を与えています。

「教会とその会員は,自立し,独立するように主から命じられています(教義と聖約78:13-14参照)。

それぞれの人の社会的,情緒的,霊的,肉体的,および経済的な福利に対する責任は,第1にその人自身に,第2にその人の家族に,そして第3に,もしその人が忠実な教会員であるならば,教会にあります。

まことの末日聖徒は,肉体的または情緒的に能力があるならば,自分自身や家族の福利に対する責任を自分の意志で他人に転嫁したりはしません。まことの末日聖徒は可能なかぎり,主の導きと自らの労働によって,自分自身と家族の霊的・物質的必要を満たすことでしょう(1テモテ5:8参照)。」(「福祉活動:福音の実践」『聖徒の道』1978年2月号,118-119参照)